ポラーノの広場のうた

1.歌曲について

 童話「ポラーノの広場」の最後で、レオーノキューストがファゼーロから受けとる一通の郵便に、この楽譜と歌がついていたことになっています。
 この童話をはじめから読んできて、終末のこの歌に至ると、なんともいえない感慨にとらわれざるをえません。
 歌詞にはせつない希望が満ちていますし、ファゼーロたちの産業組合は、軌道に乗っているとのことです。しかしレオーノキューストは、それを「友だちのないにぎやかなながら荒さんだトキーオの市」で、ひとり寂しく知るだけでした。
 その孤独と疎外感には、農民とともに理想を追い求めようとした賢治が現実のなかで直面した挫折が、反映しているのかもしれません。

 童話の中でレオーノキューストは、「一つの厚い紙へ刷ってみんなで手に持って歌へるやうにした楽譜」を受けとったと記されています。1982年になって、それをまさに彷彿させるような謄写版印刷の楽譜「"IHATOV" FARMERS' SONG」(下楽譜(1))が、現実に昔の教え子の持ち物の中から発見された時には、地元の新聞も、「宮沢賢治に“幻の農民歌” 自筆楽譜見つかる」と大きく報じました。
 この五線譜は、教文社から1903年に刊行された歌集『讃美歌』に収められている、「第四百四八番「いづれのときかは」」の譜(下楽譜(2))を、忠実に模写したもののようです。比べて見ていただくと、ヘ音記号や音符の形にいたるまで、ていねいに似せてあるのがおわかりでしょう。
 ところが、このように慎重に写しとったはずの楽譜に、いくつか相違点があります。大きな問題は二つあって、一つは讃美歌の歌詞で言えば「そなへハ…」の「な」のところ、アルトとバスには「♯(シャープ)」がついていますが、賢治の楽譜の方にはありません。もう一つは、讃美歌の最下段、「たまへ」の「ま」の近辺で、テナーとバスは「四分音符+四分音符」ですが、賢治の譜では「付点四分音符+八分音符」になっています。
 この食い違いは、どう解釈したらよいのでしょうか。

 賢治の単純な写し間違いと考えるか、あるいは彼が意図的に、ここは原曲をこのように変えて歌った方がよいと思って「編曲」したのか、両方の可能性が考えられます。賢治自筆の楽譜で歌っても、それなりの響きにはなりますから、ミスだったのか意図的だったのかということについて、その結果としての「音」だけからは、なんとも判断のつけようがありません。
 しかし賢治は、既存の楽譜を模写した以外に、自分で新たに楽譜を作成した例はありませんので、この箇所だけは自分で意図的に改変して楽譜化したとは考えにくく、これは賢治の写譜ミスだったのではないかと、私としては思います。
 そこで今回の演奏は、もとの讃美歌「いづれのときかは」の楽譜を再現したものにしてみました。

 賢治自筆楽譜は、題名が「"IHATOV" FARMERS' SONG」と英語であるばかりでなく、歌詞もていねいにローマ字で書き込まれています。この歌が、日本人によってだけでなく、もっと普遍的に歌われるものになってほしいと、彼はひそかに願っていたのかもしれません。
 21世紀の現代でも、この歌はまだそこまで広まってはいませんが、少なくともある時期の羅須地人協会では、この歌は高瀬露女史などのオルガン伴奏で、未来へのみんなの希望を乗せて、何回となく歌われのではないでしょうか。

 現在、花巻北高校の校庭には、この歌詞の一部を刻んだ石碑が立てられています。

2.演奏

 上述のように今回の変奏は、もとの讃美歌「いづれのときかは」のオルガン伴奏にもとづいて作成しています。
 あと、『新校本全集』に掲載されている歌詞は、「ポラーノの広場」に出てくる二番までなのですが、ここでは文語詩「ポランの広場(定稿)」の第二連を二番とし、もとの二番を三番として、作成してみました。下の「歌詞」も、その形で掲載しています。

羅須地人協会のオルガン

 歌は、'VOCALOID'の Meiko と Kaito で、一番と三番は本来の設定どおり合唱ですが、二番は女の子の独唱としています。

3.歌詞

つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたひかはし
雲をもどよもし  夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ

組合理事らは   藁のマント
山猫博士は    かはのころも
醸せぬさかづき  その数しらねば
はるかにめぐりぬ 射手(いて)や蠍

まさしきねがひに いさかふとも
銀河のかなたに  ともにわらひ
なべてのなやみを たきゞともしつゝ
はえある世界を  ともにつくらん

4.楽譜

(1) 賢治自筆謄写版楽譜「IHATOV FARMERS' SONG」



(2)讃美歌「いづれのときかは」