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岩手大学「宮沢トシ没後百年」シンポジウム

 来たる11月20日(日)に、岩手大学の「宮沢賢治いわて学センター」の主催で、「宮沢トシ没後百年」と題したシンポジウムが開かれます。(下画像をクリックすると、別ウィンドウで拡大表示されます。)

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 下記が、同センターのサイトに掲載されているシンポジウムの案内です。

第3回となる令和4年度のシンポジウムは、本年が宮沢賢治に大きな影響を与えた妹トシの没後100年にあたるため、改めて宮沢トシという存在について考える機会をもつべく、トシの命日11月27日に近い2022年11月20日に、下記のとおり開催させていただくこととなりました。

ご登壇いただきますのは、宮沢賢治研究を専門とされる3名の研究者の方々、すなわち、宮沢トシ研究の第一人者で、著書『宮沢賢治 妹トシの拓いた道:「銀河鉄道の夜」へむかって』(朝文社、2003年)で第14回宮沢賢治賞奨励賞を受賞されている山根知子氏(ノートルダム清心女子大学文学部教授/日本近現代文学)、当センターの前身「宮澤賢治センター(岩手大学内)」の初代代表である望月善次氏(岩手大学名誉教授/国語科教育)、そして司会は当センター連携研究員の佐藤竜一氏(岩手大学非常勤講師)です。

兄賢治に比べ研究が進んでいない分野である宮沢トシ研究に関する、山根氏、望月氏による最新の調査をふまえた新しい知見に触れることができる貴重な機会となっておりますので、ぜひ多くの皆さまのご参加をお待ちしております。

なお、コロナ禍下のため、オンライン形式での開催となり、事前申込制(定員100名)とさせていただきます。詳しくは下記をご確認ください。

【名称】:岩手大学人文社会科学部【宮沢賢治いわて学センター】第3回シンポジウム

【テーマ】:「宮沢トシ没後百年」

【日時】:令和4(2022)年11月20日(日)13:30~16:30

【実施方法】:オンライン形式
(*オンラインの定員は100名:先着順とさせていただきます)

【内容】
*センター長挨拶:横山 英信(岩手大学人文社会科学部長・教授)

《第1部》講演
*講演1:13:35〜14:30
「新たに浮かびあがるトシ像」
 山根 知子 氏(ノートルダム清心女子大学文学部教授/日本近現代文学)

〜(休憩5分)〜

*講演2:14:35〜15:30
「「自省録(宮澤トシ)」の魅力 〜その隘路にも触れながら〜」
 望月 善次 氏(岩手大学名誉教授/国語科教育)

〜(休憩15分)〜

《第2部》シンポジウム:テーマ「宮沢トシ 没後100年」15:45〜16:30
・シンポジスト:山根 知子 氏
        望月 善次 氏
・司 会: 佐藤 竜一 氏(岩手大学非常勤講師/当センター連携研究員)

*総合司会&全体コーディネイト:木村 直弘(岩手大学人文社会科学部教授/当センター副センター長)

【参加方法】
・Googleフォームよる事前申込制といたします。  
・下記のURLまたはQRコードより、申込を⾏ってください。
(学内の⽅でも必ず申込を⾏ってください。)
https://forms.gle/ffioxLqnUFme1ibi7

・申込締切:申込者が定員に達ししだい締め切らせていただきます。

★参加費無料

★「宮沢賢治いわて学センター」ウェブサイト
https://jinsha.iwate-u.ac.jp/iwategaku-center

本件に関する問い合わせ先:
岩手大学 人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター (担当:木村直弘)
〒020-8550 岩手県盛岡市上田3-18-34 岩手大学 人文社会科学部 1号館2階 211室
Phone:019-621-6672 / Fax:019-621-6715
E-mail:kenji■iwate-u.ac.jp(■を@に置き換えてください)

 実際のところ、先週の記事で宮澤トシの生涯について書く際には、山根知子さんの著書『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』を座右に置いて何度も参照させていただきましたし、9月に花巻の宮沢賢治学会定期大会で望月善次さんにお会いした時には、今回の講演タイトルにも出てくるトシの「自省録」を賢治は読んでいたのかなどという問題について、貴重なご意見をお聞かせいただきました。
 このお二人がそれぞれ1時間近くの講演をされ、その後さらにシンポジウムでじっくり討論が行われるというのは、私にとってこれほど素晴らしい企画はありません。

 もう今から11月20日を、待ち遠しく感じている今日この頃です。

 ところで、賢治が妹トシの「自省録」を読んでいたのかどうかは答えの出にくい問題ですが、それでもそこに記されたトシの考えと、後の賢治の思想との間に、決して見逃せない重要な共通点があることは確かです。

 トシは、高等女学校4年の終わり頃に教師との恋愛ゴシップを新聞に書き立てられるという災厄に見舞われて、それまで抱いていた人々への信頼や自尊心を、粉々に打ち砕かれてしまいました。彼女はまさに故郷を追われる心境で東京の日本女子大学に遊学し、その後は苦悩と模索の日々を送った後、5年後の1920年に自らの問題の総決算として記したのが、「自省録」だったのです。
 この2万字あまりに及ぶ自己省察の末に、彼女が上記恋愛事件において自分が犯した過ちの本質として導き出した答えは、「自分と教師の間の感情は、排他的傾向を持っていた」という結論でした。そしてトシは、自分たちだけの幸福を求めるような利己的な性質を帯びた二人の親密さは、いずれは破綻するほかなかったのだと総括し、「凡ての人人に平等な無私な愛を持ちたい」という自らの願いを記すのです。ここでトシが、粘り強い内省によって自己の内奥の深淵にまで迫ろうする筆致は、まさに感動的です。
 そして、「自省録」のこの部分において、彼女は「偽りのない渇仰を捧げる」目標として、「願わくはこの功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆倶に……」という『法華経』の「化城喩品第七」の偈の一節を、引用するのです。

 一方、賢治もまた、1922年から1923年にかけて、トシの死や農学校の人間関係から来る深い孤独感に苛まれる中で、自らの苦しみの原因は、一対一の個別的な感情に固執しているところにあると考えました。そして自らの目標を、そのような利己性や排他性を超えて、全ての衆生の普遍的な幸福を追求することとして掲げたのです。
 このことは、「小岩井農場」では「じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする」のではなくて、「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」のでなければならない、という形で述べられますし、「青森挽歌」では、《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けつしてひとりをいのつてはいけない》という言葉で戒められます。
 まさにトシと同じく、「凡ての人人に平等な無私な愛」を目ざそうとしたのです。

 さらに、「青森挽歌」の先駆形である「青森挽歌 三」の下書稿には、いったんはトシの「自省録」における引用と同じく、《願此功徳 普及於一切》という言葉が二重括弧を付けて書かれるのですが、それは後の推敲で抹消されます。(『新校本宮澤賢治全集』第二巻校異篇p.199)
 この部分は、出版された「青森挽歌」では、やはり二重括弧で括られた《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けつしてひとりをいのつてはいけない》という、最も核心的な言葉に相当する箇所だったのではないかと、私は推測しています。(「トシの「願以此功徳 普及於一切」」参照)

 すなわちトシも賢治も、それぞれの人生最大の苦難を乗り越える際に、「排他的な愛ではなく普遍的な愛に生きなければならない」という考えを拠り所とし、さらにその際に法華経の「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」という一節を念頭に置いていた、ということになります。
 これは、単なる偶然の一致と考えるよりも、賢治とトシの間で何らかのコミュニケーションがあったと考える方が自然ですし、さらにその時間的な順序を考えると、「トシから賢治へ」という方向性だったことになります。

 賢治にしてみれば、トシに『法華経』を教えたのは自分だったわけですし、その際には「願以此功徳 普及於一切……」という言葉の意味も説明したでしょうが、図らずも自分がその妹の死の悲嘆を乗り越える際に、彼女自身が切実な体験によって掴みとってきた法華経の精神を、今度は亡き妹からバトンとして受け取った、ということになります。
 賢治がトシの「自省録」を読んでいなかったとしても、「凡ての人人に平等な無私な愛」を目ざそうという考えについては、二人が宗教談義を交わす際には必ず出てきたテーマだと思いますし、その際には法華経の「願此功徳 普及於一切」という一節も、取り上げられたに違いありません。

 そして私は以前から、賢治がトシの死の苦悩から真の意味で立ち直れたのは、「いつもトシと一緒にいる」という心境に至ることができたからではないか、と考えているのですが、妹から渡されたこの大切なバトンを手にしているかぎり、確かに彼は「いつもトシと一緒にいる」と実感できたに違いありません。