夏季特設セミナー「心象スケッチと異空間」

 来たる7月28日-29日に花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で、賢治学会の夏季特設セミナー「心象スケッチと異空間」が開かれます。すでに「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」のページにも予告が掲載されていますが、その開催要領と内容は、下記のとおりです。

宮沢賢治学会夏季特設セミナー「心象スケッチと異空間」

期日:  2018年7月28日(土)・29日(日)
会場:  宮沢賢治イーハトーブ館ホール
定員:  200名
受講料: 学会員無料 一般参加者資料代300円
主催:  宮沢賢治学会イーハトーブセンター

第1日 7月28日(土) 13:30より
1. 開会あいさつ
2. 基調報告 平澤信一(明星大学教授)
3. 研究発表およびコメント・質疑応答
  秋枝美保(福山大学教授)
   「宮沢賢治における「生活の改善」
     ―短歌から心象スケッチへ」
  信時哲郎(甲南女子大学教授)
   「語りきれぬものは、語り続けなければならない」
  コメンテーター 岡村民夫(法政大学教授)
4. 詩作品朗読 牛崎敏哉
5. 交流会 会費1,500円

第2日 7月29日(日) 9:30より
1. 詩作品朗読 ポランの会
2. 研究発表およびコメント・質疑応答
  浜垣誠司(精神科医)
   「「おかしな感じやう」の心理学
   ―「心象スケッチ」における賢治の超常体験の特徴」
  富山英俊(明治学院大学教授)
   「心象スケッチ、主観性の文学、仏教思想」
3. コメンテーター 栗原敦(実践女子大学名誉教授)
4. 詩作品朗読 古屋和子

 ご覧のように、並みいる第一線の研究者の方々にまじって私も二日目に発表をすることになり、今から身の引き締まる思いをしています。
 当日お話しする内容については、まだこれから整理していくところですが、その準備のためにも、現時点でおおまかに考えていることについて、ここで簡単にまとめておきます。

 今回のセミナーは、2015年から始まった「心象スケッチを知っていますか?」という企画の第三弾で、「心象スケッチと異空間」と題されています。
 ところで、賢治の言う「異空間」には、大まかに言って二つの側面があると私は思います。一つは、仏教の教理で言う「十界」、すなわち地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という様々な世界のうち、人間や畜生が生きている「この世界」以外の、「他の世界」のことです。我々が生きているこの世界からは、「地獄」も「天」も通常は感じとることはできませんが、しかし仏教の教えでは、死後には輪廻転生してこういう空間のどこかに行くのだとされており、これは「異空間」の理論的な側面と言えます。
 これに対してもう一つは、より感覚的な側面です。賢治という人は、その作品にも記録され、周囲の人々も証言しているように、しばしば幻覚(幻聴・幻視など)を体験する人でした。ところで、幻聴で人の声が聞こえたり、幻視で瓔珞をつけた子供が見えたりしても、そのような声や子供は、現実には存在していません。だから一般に幻覚とは、「対象なき知覚」と呼ばれるのですが、しかしここで賢治は、自らの幻覚をそのようにはとらえず、彼自身が幻覚で体験する内容は、この世界には存在しないかもしれないが、ここではない「別の世界」には存在していて、そこから幻覚という特殊な形で到来するのだと、考えていたのです。その「別の世界」のことも、賢治は「異空間」としてとらえていたのです。

 しかしながら、仏教的・理論的に規定されている異界と、自分が幻覚で感じる対象が存在すると勝手に想定している場所が、同じ意味における「異空間」である保証は何もありませんし、このような考え方は、正統的な仏教の解釈とは言えないでしょう。しかし実際に、賢治自身がそのように考えていたことは、例えば彼が残した「思索メモ1」などからも、読みとることができます。
 すなわちこのメモには、「一、異空間の実在 天と餓鬼、」「「幻想及夢と実在」「二、菩薩仏並に諸他八界依正の実在」などと書いてありますが、彼は「幻想」や「夢」に現れてくる現象は、「天」や「餓鬼」など、仏教的な意味における「異空間」の実在を証明するものと考えていのだと推測されます。実際に賢治は、「小岩井農場」の中では、「緊那羅のこどもら」「瓔珞をつけた子」を見ていますが、この子供たちは「天界」の存在でしょうし、また農学校の同僚の白藤慈秀には、「餓鬼の世界」の声が聞こえるという話もしています。

 またより具体的な形では、「青森挽歌」でトシの臨終の場面を回想する、次の箇所に表れています。

にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた
それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう

 ここでは、トシはすでに死んでしまったので、当然ながら「わたくしたちの空間を二度と見なかった」と賢治は考えていますが、しかしその後に、「おれたちの世界の幻視をみ/おれたちのせかいの幻聴をきいたらう」とも記しているのです。これは常識的には理解しがたいことですが、賢治の考えによれば、トシは死者として「異空間」に行ってしまったので、「おれたちの世界」のことを通常の方法では見たり聞いたりすることはできないものの、「幻視」や「幻聴」という形でならば、感じとることもできるというのです。(上記については、以前の記事「賢治はいつトシは死んだと判断したか」で、もう少し詳しく述べました。)
 つまりここでも、幻視や幻聴は、異空間の間の伝達の手段になっているわけです。

 賢治による「異空間」の理解がこのようなものであったとするならば、「心象スケッチと異空間」という今度のセミナーのテーマに沿うためには、賢治にとって「異空間」を感じとる手段となっていたところの、「幻覚体験」そのものについて検討する必要が、どうしても出てくるわけです。

 同じことを、また別の角度から見てみましょう。賢治は、自作の「心象スケッチ」というものの趣旨について、いくつかの書簡で触れていますが、その代表的なものが、1925年2月の森佐一あて書簡200と、同年12月の岩波茂雄あて書簡214aという、有名な二通です。
 まず森佐一あて書簡では、次のように述べられています。

前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。

 岩波茂雄あて書簡では、次のように説明されています。

わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。

 岩波茂雄あて書簡を見ると、賢治が心象スケッチを書いた目的は、「歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやう」がしたので、それらについて「あとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちを科学的に記載し」たのだ、ということになります。ここで言う「あとで勉強するときの仕度」とは、森佐一あて書簡の方には「或る心理学的な仕事の仕度」とあることから、賢治がいつか実行しようと企画していたのは、自分の「おかしな感じやう」について、「心理学」的に解明することだ、ということになるでしょう。
 私が、今度のセミナーの発表のタイトルを「「おかしな感じやう」の心理学」とした理由は、ここにあります。

 それでは、賢治が自ら「おかしな感じやう」と呼んでいたのは、どのような「感じ」のことなのでしょうか。
 岩波茂雄あて書簡を見ると、「歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについて」と書かれていますから、彼の「おかしな感じやう」の対象は、「歴史やその論料」と、「そのほかの空間」ということになり、後者はまさに今回のセミナーのテーマに入っている「異空間」です。
 では前者、すなわち「歴史やその論料」について、賢治が「おかしな感じやう」をしていたというのは、いったいどういうことだったのかと考えてみると、これは「論料」という言葉の共通性からしても、『春と修羅』の「」の次の箇所に書かれていることと、関連しているのでしょう。

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

 ここで賢治が「記録や歴史、あるひは地史」について言おうとしていることは、少し前の記事でも書いたように、客観的で変わることのない「不磨の大典」のような「歴史」なるものが存在するのではなくて、それぞれの時代から見たそれぞれの歴史認識が、時とともに様々に形を変えながら存在するに過ぎないのだ、ということでしょう。「銀河鉄道の夜」初期形第三次稿で博士がジョバンニに見せてくれた「地理と歴史の辞典」や、「グスコーブドリの伝記」でクーボー大博士が使っていた「歴史の歴史といふことの模型」にこめられているのも、同じ思想だと思われ、つまり賢治が「歴史やその論料」について「おかしな感じやう」をしていたというのは、このような「歴史の時間的相対性・無常性」ということだと思われます。
 しかしそれでは、賢治の「心象スケッチ」において、このような事態について記述されているものがあるかと探してみると、上の『春と修羅』「」の「みんなは二千年ぐらゐ前には/青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ…」という箇所などは確かにそうかもしれませんが、それ以外には特に見つからないのです。

 となると、賢治の「おかしな感じやう」の中身について考えるには、彼が「心象スケッチ」に記載している「そのほかの空間=異空間」のことを中心に、検討していかなければならない、ということになるわけです。
 賢治にとって「異空間」とは、最初の方にも書いたように、個人的には己れの幻覚によって感じとられる現象のことですから、結局のところ、賢治の幻覚体験について考察することが、今度のセミナーにおける重要な課題だと、少なくとも私には理解されます。

 というわけで、私が「「おかしな感じやう」の心理学―「心象スケッチ」における賢治の超常体験の特徴」というタイトルのもとに当日述べてみたいのは、このような賢治の特異な体験を、現在の精神医学から見ればどう位置づけることができるか、ということだとも言えます。ただ、単にそれらの現象に名前を付けたり分類したりするだけでは、おそらく新たに何かが得られるわけではありませんので、私としては、宮澤賢治という一人の「人間」をあらためて理解し直す上で、少しでも材料を提供できるようなお話ができればと思っているところです。
 具体的には、以前から時々述べていたように、「解離」という心理機制の働きが、キーワードになるかと思います。

 ところで余談ですが、上に見たように賢治の森佐一あて書簡と岩波茂雄あて書簡を読むかぎりでは、賢治は自らの「心象スケッチ」を、あくまで「或る心理学的な仕事」の準備のために書いたのだと述べており、さらに「これらはみんな到底詩ではありません」などと強調している背景には、そこに「文学的」な意図があることを、ことさら否定しようとしているようにも見えてしまいますが、はたしてこれは額面どおり受けとってよいものなのでしょうか。
 これについては、賢治が自らの「心象スケッチ」のテキストを、飽くことなく推敲しつづけ、その韻律にもこだわっていたことを思えば、文学的作品としての意識が賢治に強く存在したのは、確実と言ってよいだろうと私は思います。

 それではなぜ、上記の二つの書簡においては、賢治は異なった書き方をしているのかということが問題となりますが、1922年1月に『春と修羅』に収められる作品を書き始めた頃の彼の思いと、1925年に書簡をしたためた時の考えが変化しているというのは、別にそれで当然のことなのかもしれません。
 それは彼自身も、次のように書いているからです。

正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
 (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます

 最後に、今度の発表で(今のところ)予定しているスライドの表紙画像を貼っておきます。だいぶ以前に、種山ヶ原で撮ってきた写真です。

「おかしな感じやう」の心理学・スライド表紙