『言語文化』第34号と拙稿

『言語文化』第34号

 明治学院大学の「言語文化研究所」から本年3月に発行された『言語文化』第34号が、インターネット上にアップされてPDFで読めるようになっています。
 この号の特集は「2016宮沢賢治生誕120年」なのですが、『言語文化』において宮沢賢治特集が組まれるのは、賢治没後50年、生誕100年に、それぞれ天沢退二郎氏が企画されて以来、3回目だということです。今回の企画は、宮沢賢治学会代表理事の富山英俊さんによるもので、上の画像のように表紙には「〔北上川は熒気をながしィ〕」の「下書稿(五)」が載せられています。
 収録論文の執筆者は、栗原敦さん、杉浦静さん、富山英俊さんなど錚々たる方々が並んでいますが、今回は畏れ多くもその末席に、私も加えていただきました。
 以下、この号の目次と、各論文へのリンクです。

(※杉浦さん、吉田さん、富山さんの論文へのリンクは、明治学院大学図書館のリポジトリにアップされているPDFファイルにしてあります。)

 それぞれの論文の内容については、ここに要約してご紹介できるような力量も私にはありませんので、ぜひとも直接お読み下さい。(しかしやはり私には、先にも挙げた、栗原さん、杉浦さん、富山さん、というお三方の論文が、印象的です。)

 私自身の論文は、長大な「青森挽歌」に賢治が描いた複雑な苦悩を、自分なりに読み解こうとしてみたもので、これまでにこのブログに書いてきたことが、ある程度もとになっています。「編集後記」において富山さんは、「妹トシ追悼の心的過程への精神科医らしい関心から…」と紹介して下さっていますが、たしかに私自身そういう関心の由来はあるのかなと思います。
 その目次は、下記のようになっています。かなり長いもので恐縮ですが、 お読みいただければ幸いです。

「青森挽歌」における二重の葛藤
        ―― トシの行方と、一人への祈り

一、「青森挽歌」という企図
  (1) 「探索行動」としてのサハリン行
  (2) 挽歌群における「青森挽歌」の位置と目的
二、考察の内実と限界
  (1) 「臨終正念」という拠り所
  (2) 「已に絶へ切つても一時ばかり耳へ唱へ入る可し」
  (3) トシはうなずいたのか
  (4) 考察の核心部――死後の残存意識と異空間の通信
  (5) ヘッケルの一元論がつなぐもの
  (6) 考察の到達点と原理的問題
三、第一の葛藤
四、第二の葛藤
五、葛藤のその後