二相系いろいろ

 去る9月22日の夕方から23日の昼すぎまで、花巻に行ってきました。今年は21日の賢治祭は平日とあって参加することができず、22日の仕事を早めに終わらせて、伊丹空港を17時発の飛行機に乗りました。花巻空港には18時25分に到着し、それからタクシーで「宮沢賢治学会・参加者懇親会」が行われている「なはんプラザ」に向かい、会場にたどり着いたのは、終了間際の18時40分頃。

宮沢賢治学会・参加者懇親会

 とりあえず大いそぎで知り合いの方々にあいさつをして、少しだけ残っているお酒を「駆けつけ三杯」w。そうこうするうちに閉会の時間となりましたが、今年は懇親会の最後にみんなで歌うのが恒例の「精神歌」を、すでに最初に歌ったとのことで、あっさりとお開きでした。
 それからOさんの車に乗せてもらって、宿泊先の大沢温泉へ向かいました。

大沢温泉・自炊部

 温泉につかってから、賢治学会のお仲間とともに、懇親会の二次会。その晩は2時頃に就寝しました。

◇          ◇

 翌朝はあいにくの雨でしたが、またOさんに乗せていただいて、「宮沢賢治イーハトーブ館」で行われる「研究発表会」へ。
 今年は8題の発表がありましたが、会場が一つにまとめられていたので、すべての演題を興味深く聴かせていただきました。なかでも、原子内貢さんによる「江刺の地質と作品『十六日』『泉ある家』」は、作品中の細かい描写と地質学の知見や当時の地形図を照らし合わせ、それぞれの作で舞台となっている「家」は「ここにあった!」とピンポイントで特定した調査で、見ていて痛快でした。こういうことを教えていただくと、私としてはどうしても現地へ行ってみたくなってしまいます。

 神代瑞希さんの発表「化学の視点から捉える賢治作品のおもしろさ~なぜ雲はたよりないカルボン酸のイメージなのか~」は、応用化学を専攻しておられる立場から、『春と修羅』の「風景」という作品の一行目「雲はたよりないカルボン酸」という隠喩を取り上げ、なぜ賢治はここで「雲」を「カルボン酸」に喩えたのかということを考察したものでした。昔から親しんできた一節でしたが、たしかになぜ「カルボン酸」なのか、言われてみれば不思議です。

     風景

雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
 さつきはすなつちに廐肥(きうひ)をまぶし
   (いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾(だん)がいきなりそらに飛びだせば
  風は青い喪神をふき
  黄金の草 ゆするゆする
    雲はたよりないカルボン酸
    さくらが日に光るのはゐなか風だ

宮沢賢治学会・研究発表会

 神代さんは、カルボン酸の説明や従来のこの部分の解釈を紹介した後、結局このイメージは、代表的なカルボン酸である酢酸から由来しているのではないかという考えを示されました。酢酸は融点が比較的高く、たとえば実験室に置いてある試薬も冬になると凍ったりすることから、「はっきりしない⇒たよりない」という印象が生まれたのではないか、「酢酸が凍ったり溶けたりする様子が高等農林の体験等から思い出されたのでは?」「雲ができたり消えたりするイメージ?」との推測です。
 また発表時のスライドでは、(1)過冷却状態にある液体の酢酸に、核となる微粒子を入れると見る見る固化して、液体と固体が共存した状態になる様子、(2)酢酸に炭酸塩を入れると二酸化炭素の泡が発生して、まるで雲が湧くように見える様子、という二種類の動画も見せて下さって、とても印象的でした。

 ところで私はこの(1)の動画を見て、「二相系」ということを連想しました。「二相系」とは、液体と固体のような二つの異なった「相」が共存している状態のことで、賢治の作品にも何度か登場する言葉です。
 あの「永訣の朝」には、「雪と水とのまつしろな二相系をたもち・・・」として出てきますが、賢治は固体の「雪」とそれが溶けた「水」とを共存させたまま(=「みぞれ」の状態で)、慎重に妹の「さいごのたべもの」を採取しました。

 一方、「雲」というものも、空気や水蒸気という気体の中に、微細な水滴が浮遊している「二相系」です。
 「晴天恣意(下書稿(一)」には、

畢竟あれは
葡萄状した界面をもつ、
空気と水の二相系、
つめたい冬の積雲です

という雲の描写もあります。
 そして、神代さんが今回の研究発表会で動画によって示して下さったように、過冷却状態から固化しつつある酢酸も、固体と液体が共存する「二相系」を成しているのです。
 雲も酢酸も、どちらも「二相系」を形成する点においても、共通点があるわけですね。

 さらに帰宅してから調べてみると、賢治の作品で雲とカルボン酸が出てくるものとしては、「冬のスケッチ」第一七葉に、次のような箇所がありました。

     ※
きりの木ひかり
赤のひのきはのびたれど
雪ぐもにつむ
カルボン酸をいかにせん。

 この第一七葉には、「からす、正視にたえず」という、「恋と病熱」の元となった表現もあり、『春と修羅』ではその7つ後の作品である「風景」における雲とカルボン酸を結ぶイメージが、この箇所に由来している可能性は高いと思われます。
 そしてこの「冬のスケッチ」では、カルボン酸が「雪ぐもにつむ」と記されているのです。「つむ」と表現されるからには、このカルボン酸は液体ではなく固体であり、それが「つむ」という動的な変化を示しているということは、何らかの形でその固体カルボン酸が析出しつつある状況を、作者はイメージしていのではないかと感じられます。
 すなわち、今回の発表で神代さんが動画で示されたように、「酢酸が固化しやすく二相系を呈しやすい」という点が、賢治が「雲はたよりないカルボン酸」という隠喩を用いた具体的根拠として一つ考えられることです。

 あと、もう一つ考えられるのは、この「カルボン酸」は酢酸ではなく、より長鎖の(=炭化水素が長く連なった=高級)脂肪酸を指しているという可能性です。脂肪酸も、カルボン酸の一種なのです。
 高級脂肪酸は外見的に石鹸や蝋のような質感をしていますから、「雲」に喩えるのも十分ありえることで、『新宮澤賢治語彙辞典』の「カルボン酸」の項にも、「賢治作品でカルボン酸や脂肪酸が雲の形容に用いられるのは、(中略)高級脂肪酸特有の白蝋色から雲を連想した、と考える方が自然だろう」とあります。
 この場合は、上の「冬のスケッチ」第一七葉にある「雪ぐもにつむ/カルボン酸」という描写、すなわち「固体カルボン酸が析出しつつある状況」とは、油脂を鹸化してできた「石鹸膠」を塩析すると、石鹸成分(カルボン酸塩)が析出して浮かび上がってくる様子がイメージされているのかもしれない、などと考えたりもします。
 ちなみに、「石鹸膠」というものも、グリセリンなどの液体に固体のカルボン酸塩が懸濁した状態で、これも「二相系」なんですね。

 などと、神代さんが発表で提示して下さった動画は、いろいろと私の勝手な連想を刺激してくれました。

 最後に下の写真は、今回花巻に向かう飛行機から見た雲海、果てしなく眼下に広がる「二相系」です。正面の空の小さな白い点は、小さいけど仲秋の名月です。
 これはまるで氷山の浮かぶ南氷洋のようにも見えますが、海に氷山が浮かんでいる状態も、液体と固体の「二相系」・・・。
 『新宮沢賢治語彙辞典』によれば、「二相系は、(中略)たえず変化し運動してやまない現象としての賢治世界を、あるいは生成変化してゆく作品の様相を象徴しているキイワードだと言えるだろう」とのことでした。

南氷洋のような雲海と仲秋の名月