賢治は羅須地人協会時代に、独居生活をしながら北上川畔の畑で、白菜、キャベツ、当時としては珍しいトマト、アスパラガスや、ヒヤシンス、チューリップなどを作っていました。あの有名な、「下ノ畑ニ居リマス」という黒板の書き置きにちなんで、この畑はしばしば「下ノ畑」と呼ばれます。住んでいた家は河岸段丘の上にあって、畑へ行くには500mほど坂道を下りていくことになるので、「下ノ畑」なんですね。
賢治の時代には、この畑から北上川の流れや、対岸の景色、さらにその向こうの旧天王山などが直接見渡せたことが、いくつかの作品から読みとれます。
たとえば、「はるかな作業」(「春と修羅 第三集」)という作品では、
そらをうつして空虚(うつろ)な川と
黒いけむりをわづかにあげる
瓦工場のうしろの台に
冴え冴えとしてまたひゞき
ここの畑できいてゐれば・・・
という箇所があり、賢治は「ここの畑」から川を見ています。
また「〔何かをおれに云ってゐる〕」(「口語詩稿」)では、北上川を工兵船に乗ってやってきた中隊長(陸軍工兵第八連隊)が、畑で作業をしている賢治(きみはいま何をやっとるのかね/白菜を播くところところです)に向かって、附近の地名などを尋ねています。作品中で「キーデンノー」と呼ばれているのは旧天王山で、「下ノ畑」からこの山も見えたことがわかります。
その後、時代が下るにつれて北上川両岸の水辺には藪が生い茂り、賢治の「下ノ畑」から直接川の流れは見えなくなりました。
当時と今とでは北上川の流れが変わっているため、現在「賢治自耕の地(下ノ畑)」という標柱が立っている場所が、その昔に賢治が耕していた場所そのものではないという指摘もありますが(「ロゴス古書」)、とりあえず下の写真は、2001年の秋に写した「賢治自耕の地」です。
畑の向こうの藪のすぐ後ろには北上川が流れているのですが、藪が目隠しになって、見えません。
これに対して、ちょうど先週8月15日に、私はこの場所に行ってみたのですが、その時の様子が下の写真です。
標柱が移動したのではありません。畑の向こうの藪がきれいに取り払われて、北上川が直接見えるようになっています。この日は、前日から大雨が降っていただけに川も増水して、よけいに迫力がありますね。
さらに川に近づくと、こんな感じ。
岸からはえている木が川の流れに浸されて、かなり水位が上がっていることを示しています。
賢治の作品に「増水」(「春と修羅 第三集」)というのがありますが、その中の
悪どく光る雲の下に
幅では二倍量では恐らく十倍になった北上は
黄いろな波をたててゐる
という描写のようです。
などと、私がこのあたりをウロウロしていると、この藪の刈り取りや畑の整備にあたっておられるというおじさんがやってこられました。
その方は、この「下ノ畑」をできるだけ整備して、賢治を慕って訪れる人々に親しんでもらいたいということで、地元の6人ほどの仲間と一緒に、今年の4月から藪を切り開いたとのことでした。
上の写真にはヒマワリが見えますが、これは今年初めて植えてみたとのこと。今後も毎年、いろいろな作物を植えていってみたいということでした。
さらに下の写真は、畑の中に現在作りかけているという「涙ぐむ目」花壇。雨水が溜まって、あたかもちょうど「涙ぐんで」いるかのようです。
このあたりは、昔から下根子の「桜」と呼ばれ(現在は「桜町」)、かつては桜の木がたくさんあったとのことですが、今も残っているのは下の一本だけだということです。
一本だけというのは寂しいですが、天気がよい日には、この左側に遠く岩手山も見えるのだそうです。
それでおじさんは、数年前にNHK朝ドラ「どんど晴れ」で有名になった「小岩井の一本桜」の向こうを張って、この「一本桜」も売り込もうか、と冗談ぽく笑っておられました。
これらの作業は、市から補助が出るわけでもなく、地元の方の自発的なボランティア的取り組みなわけですが、こういう方々のおかげで、賢治のゆかりの地が守られていることを、実感しました。
帰り際に、「車で来られてたらカボチャの一つも分けてあげたのに」と言っていただいた言葉に、また心が温まりました。
◇ ◇
最後に、賢治の畑と北上川の一体感を感じさせてくれる作品、「水汲み」(「春と修羅 第三集」)。
七一一
水汲み
一九二六、五、一五、ぎっしり生えたち萓の芽だ
紅くひかって
仲間同志に影をおとし
上をあるけば距離のしれない敷物のやうに
うるうるひろがるち萓の芽だ
……水を汲んで砂へかけて……
つめたい風の海蛇が
もう幾脈も幾脈も
野ばらの藪をすり抜けて
川をななめに溯って行く
……水を汲んで砂へかけて……
向ふ岸には
蒼い衣のヨハネが下りて
すぎなの胞子(たね)をあつめてゐる
……水を汲んで砂へかけて……
岸までくれば
またあたらしいサーペント
……水を汲んで水を汲んで……
遠くの雲が幾ローフかの
麺麭にかはって売られるころだ
そして、この詩に、高田三郎が曲を付けた混声四部合唱曲。
♪「水汲み」(高田三郎作曲, VOCALOID演奏)MP3: 3.29MB
signaless
私も2度ほど「下の畑」に行きましたが、その頃は藪が生い茂り、川が流れているようにはとても見えませんでした。賢治の詩には、「下の畑」は川に近い様子なのに変だな~と思っていたのです。やっぱり本当に、川はあったのですね。驚きとともにちょっと感動しました。
ボランティアで作業して下さった方々には感謝です。本当に有り難いです。
次には下根子の一本桜の咲く頃に行けるといいな…。
高田三郎の「水汲み」。いままでこの詩をあまり気にとめたことはなかったのですが…。「水を汲んで、砂へかけて」という繰り返しが、こんなに聖なるものを感じさせるとは。これをこのような曲にした高田三郎という方も凄いと思います。
宮沢賢治は、私にとって、これでもう十分ということがない。いくらでも美しいものが埋まっている地層のような、本当に不思議な人だと、最近また特に感じています。
hamagaki
signaless 様、こんばんは。
高田三郎の「水汲み」は、私も大好きなんです。VOCALOID の人工の声ではとても表現しきれないですが、単純な労働を聖化したような曲は、素晴らしいですよね。
さて、この曲の感想は、「楽しい」か、「悲しい」か・・・w。
kyoちゃん
「静か」でした。
signaless
私は「嬉しい」かな。
hamagaki
kyo 様、signaless 様、わざわざお付き合い下さりありがとうございます。(^_^;)
私は、「ほわーっと じーんと した感じ」でしょうか・・・。
ぱれっと
私はなんだか中学生のころを思い出しました。(はるか昔のことです・・)
今年は5月にイギリス海岸の桜並木を訪ねましたが、
やはり増水で地層をみることができませんでした。
下ノ畑には昨年夏行きましたが、そのときも雨の後。
同行してくれた測量士の友人が、「何年か前に雨に供えて測量しなおしたけど、どうかなあ」といってたのですが、お写真を拝見すると、本当にどうかなあ、という感じですね~
hamagaki
ぱれっと様、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
イギリス海岸の泥岩層は、なかなか通常時には見ることができませんよね。
2年ほど前から毎年賢治忌(9月21日)に合わせて、上流のダムの放流調節をすることによって、北上川の水位を下げて、なんとか泥岩層を露出させようとという試みが行われているということです。
雨が降ったりしたら計画どおりの効果は得られませんが、賢治の時代の景色を見るためには、狙い目は毎年「9月21日」です。
なお下の写真は、去年の9月21日の「イギリス海岸」です。かなり泥岩層が顔を出してくれています。