『月光2』宮沢賢治特集

 先日刊行された文藝誌『月光2』には、宮沢賢治の特集が組まれていました。

発見!宮沢賢治 「海岸は実に悲惨です」 (月光 2 ) 発見!宮沢賢治 「海岸は実に悲惨です」 (月光 2 )
福島泰樹・立松和平・黒古一夫・太田代志朗・竹下洋一
勉誠出版 2010-06-30
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 福島泰樹・立松和平のお2人が「責任編集」というこの『月光』は、去年の9月に中原中也特集の創刊号が出て、今回が第2号なわけですが、この間に立松和平氏の死去という大きな出来事を経ています。そのためもあってか、今号の発刊は予定より少し遅れて、このたびやっと賢治ファンの目の前に現れました。

 内容は、詩人・大木実あての最近発見された葉書(この中に「海岸は実に悲惨です」との言葉が出てくる)の写真あり、保阪庸夫氏と福島泰樹氏の対談あり、作品論あり、宗教論あり、こじつけめいたエッセイ風の文章あり、賢治作品を下敷きにした作品(詩、俳句、短歌、能)あり、本当に多彩でユニークなものです。
 私にとって特に興味深くためになったのは、保阪氏と福島氏の対談、大木実あて葉書のほぼ実物大写真、大平宏龍氏の「「法華経と宮沢賢治」私論」、牛崎俊哉氏の「新発見口語詩草稿「〔停車場の向ふに河原があって〕」について」などでした。

 保阪庸夫氏と福島泰樹氏の対談では、庸夫氏から見た父・嘉内や、ご自身の戦後闇市での苦労談、研究者生活、それから故郷へ戻っての『宮沢賢治 友への手紙』の出版をめぐる逸話など、これまで講演等でお聴きしたよりも、さらに詳細が語られている印象です。
 それにしても、賢治から嘉内にあてた手紙は、現在残っているよりも後の時代のものが本当はもっと存在したが失われたという話は、かえすがえす残念なことです。

 大平宏龍氏の文章は、法華経について仏教の門外漢にもわかりやすく解説してくれていて、勉強になりました。
 私は「願教寺「島地大等」歌碑」という記事において、法華経と出会った後の賢治が、「諸宗の混淆状態から、純粋な法華経専修主義に変わったのはいつ頃か」ということを考えようとしましたが、この問題は、もっと適切な言葉に言い換えれば、「賢治が天台的法華経観から日蓮的法華経観に変わったのはいつ頃か」ということになるようです。
 また、賢治が「ぼさつ」を目ざそうとした、と言われることの宗教的背景も、少しはわかったような気になりました。

 牛崎俊哉氏の論文は、「〔停車場の向ふに河原があって〕」に関する現在の諸説を簡潔に整理したものです。文中で、拙ブログの「あったがせたりする」という記事にも少しだけ触れて下さいました。
 作品の場所は陸中松川駅ということで問題はなさそうなものの、創作時期についてはまだ議論があるということです。この作品の創作時期については、私も「停車場・河原・自働車」という記事において、陸中松川駅前で乗合自動車の営業が始まったのは1927年(昭和2年)5月であることから、それ以降ではないかということを書きました。

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 ところで今日私は、用事で京都駅を通ったついでに、7月24日の夜に京都を発って岩手県へ行き、25日の深夜に京都に帰る切符を買ってきました。
 「石と賢治のミュージアム」が毎年開催している「グスコーブドリの大学校」というセミナーの初日に行われる、「〔停車場の向ふに河原があって〕のゆかりの地を訪ねる」という企画に参加してみる予定です。案内して下さるのは、上記の牛崎さんの論文にもお名前の出てきた藤野正孝氏(「石と賢治のミュージアム」館長)ということで、今から楽しみにしています。

一関往復切符