とくに話題になっていないようなので、私以外の人はとっくにわかっておられることなのかもしれませんが、例の賢治の詩「〔停車場の向ふに河原があって〕」の8行目に出てくる「あったがせたりする」という言葉は、どういう意味なのでしょうか。
停車場の向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐると
わたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流でげい美の巨きな岩を
碑のやうにめぐったり
滝にかかって佐藤猊巌先生を
幾たびあったがせたりする水が
停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
運転手たちは日に照らされて
ものぐささうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車が
ここから横沢へかけて
傾配つきの九十度近いカーブも切り
径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ
手元の古い「広辞苑」(第二版…)を見ると、「あつた・ぐ」という古語の動詞が載っていて、次のように書いてあります。
あつた・ぐ《自四》あわてふためく。弁内侍日記「―・ぎ
て声のかはる程」
もしもこれに由来するのなら、「あつたがせたりする」とは、「あわてふためかせたりする」ということになって、それなりに意味が通る感じもします。すなわち、猊鼻渓の幾ヵ所かでは岩壁から滝が流れ落ちているので、ゆったりと川下りを楽しむ猊巌先生を、そのたびに「あわてふためかせたりする」というわけです。
しかしこの語の場合、「つ」は促音の「っ」ではなくて、ふつうの「つ」です。
はたして、これでよいのでしょうか。
かぐら川
おそらく?、私も《あつたぐ》ではなかろうかと思います。
直接関係のない話ですが、私が興味あるのはむしろ、「あつたぐ」→「あつたがせる」に見られる自動詞→他動詞の際の語尾変化です。↓のページのように類型化できるようです。(他動詞化した際に、Sの音が入る〔 12. 使役的他動詞派生型【-IRU(自)>-OSU(-USU)(他)】【-ERU(自)>-ASU(他)】【-U(自)>-ASU(-OSU) 〕のパターンですね。
http://oshiete1.watch.impress.co.jp/qa1445477.html
なお、「あつたぐ」→「あったぐ」の促音化は、かなり自然な現象ではないでしょうか。(「つ」と「っ」の、原文の活字化の際の取り違えという可能性もあるとは思いますが)
古語が、方言に残っているケースも多いですね。いずれにせよ、地元の方のご意見をぜひお聞きしたいところです。
耕生
これまで何の疑問も感ずることなく読んでいましたので、改めて問われてみると「ん?」でした。
一応、南部地方の生まれで、南部弁のネイティブスピーカーある私の解釈は「あったがせる=ありがたがらせる」です。つまり、渓谷の水の流れが猊厳先生を感涙させたといった具合に解釈していました。もっともその場合、正式には「あったがらせる」となるはずですが、省略形にしてしまったのではないのでしょうか。
なお、花巻弁とは少し違うかも知れませんが、岩手県東南部の気仙地方の方言を研究し、ケセン語と名付けた山浦玄嗣(はるつぐ)氏が多くの労作を残されています。特に、氏の「ケセン語訳新約聖書」はあちこちで絶賛されていますが、大変な名著だと思います。わたしはこの本を読んで初めて、マタイ伝の有名な山上の垂訓の最初の言葉、「こころ貧しき者は幸いである」に対する疑問が氷解しました。
山浦氏のプロフィールはウィキペディアでも読むことができますが、下記のイー・ピー出版(大船渡印刷)のHPでも読むことができます。
http://www.epix.co.jp/book-yamaura.html
おすすめのサイトです。
hamagaki
かぐら川様、耕生様、ご親切なコメントに感謝申し上げます。一人で悩んで途方に暮れていたところでしたので、ご意見のありがたさが身にしみます。
> かぐら川 様
私の拙い解釈をご支持いただいて、とても心強く感じました。
ところで、今はどういうことになっているのかわからないのですが、私が何十年前かに習った学校文法では、「あつたぐ」→「あつたがせる」というような変化は、動詞未然形(あつたが)に、使役の助動詞「せる」が付いたものと解釈していたかと思います。
> 耕生 様
「南部弁ネイティブ・スピーカー」の貴重なご教示、ありがとうございます。(^^)
実は私も当初から、語感からして「ありがたがらせる」という意味ではないかという気がしていたので、昨日ちょっと図書館に行った際に、標準語「ありがたい」の東北方言を辞典などで調べてみたりしたのですが、該当するような言葉を見つけることができませんでした。
今回、耕生様にお教えいただいたように、「あったがらせる」=「ありがたがらせる」ということであれば、次のような言葉の対応関係が存在すると考えてよろしいのでしょうか。
標準語 南部弁
ありがたがらせる : あったがらせる
ありがたがる : あったがる
ありがたい : あったい
すなわち、「ありがたい」という意味の、「あったい」(発音としてはおそらく「あってー」あるいは「あってぁ」)という形容詞が、南部弁に存在するのでしょうか。
ご教示いただければ幸いです。
耕生(Kulturisto)
耕生です。
故郷を出てから30年以上使っていない南部弁の記憶を探ってみましたが、学校で標準語教育を受けた私の世代はもとより、南部弁しか話せなかった大正生まれの両親(すでに他界していますが)の世代でも、「あったがい(ありがたい)」という表現は残念ながらないようです。
ただし、「あるがたい」(標準語の50音では本当の発音をうまく表現できませんが・・「あるがでー」に近い)という言い方はします。大正から昭和の初めの花巻地方で、「あったがい」という表現があったかどうかは、よほどの古老に聞いてみないとわからないと思います。
なお、よく東北弁とひとくくりに扱われますが、東北弁という方言は実在しません。実在するのは津軽弁や南部弁、秋田弁、庄内弁であり、それぞれ発音も文法体系も微妙に異なります。例えば、同じ青森県でも津軽弁と南部弁では語彙も発音も全く別の言語のような感じになります。すべての方言を網羅した方言辞典を作ろうとしたらきっと膨大な量になり、刊行は難しいでしょう。
その意味で花巻弁にもっとも近いと思われるケセン語(岩手県気仙地方の言葉)は賢治研究にとって大変貴重で、山浦玄嗣氏の労作「ケセン語大辞典」(無明舎出版、2000年)を調べれば出ているかも知れません。私も欲しいと思うのですが、残念ながら絶版で手に入りません。古本市場ではおそらく高価で取引されているでしょうが、高嶺の花です。
hamagaki
耕生 様、わざわざ昔の記憶まで探っていただいて、丁寧なお答えをありがとうございます。
ただ私としては、「あったがらせる」=「ありがたがらせる」であるとすれば、その末尾の使役の助動詞を除いた語が「あったがる」で、さらにその語尾の「がる」は、(「苦し・い」→「苦し・がる」のように)形容詞の語幹に付いて動詞化する接尾辞ですので、「がる」を除いて「い」を付けた、「あったい(あってー)」という形容詞が存在するかどうかを、知りたかったのです。
今日ちょっと時間があったので、図書館に行って、お奨めの『ケセン語大辞典』を調べてみましたが、やはり残念ながらこれに相当するような言葉は、載っていませんでした。
『ケセン語大辞典』において、多少とも似た言葉としては下の「attodai(≒あっとーでー?)」という語がありましたが、これは山浦氏の品詞分類によれば「情辞」、学校文法では「間投詞」に相当するもののようです。「あったがせる」に結びつけるのは難しいようですね。
ところで、『ケセン語大辞典』の古書の価格は、ネットで調べると35,000円~39,900円程度のようで、定価が上下巻で38,000円でしたから、まあやむをえないところかもしれませんね。
笠原仙一
「あったい」は、福井県の越前市の白山地区でも使われていましたよ。私の母が、もう8年前に90歳で死にましたが、よく使っていました。仏様や自然への感謝の言葉で、ありがたいという意味で使っているようでした。それで、私も感謝するときは、今でも手を合わしてあったいという言葉を使う癖があります。でも、僕だけかもしれませんが。
hamagaki
笠原仙一様、貴重なご教示をありがとうございます。
福井市には、「あったい」=「ありがたい」という言葉があるのですね。
ということは、「あったがせる」は、福井の言葉では「ありがたがらせる」という意味になるのでしょうね。
となると、賢治の詩のこの部分の意味は、「川の水が猊鼻渓において滝の見事な景色を作り、佐藤猊巖先生をありがたがらせる」という風に解釈できることになります。
あとは、この言葉が岩手県地方でも使われていたということがわかれば、結論が出たとも言えると思いますので、とても大きな前進になりました。
このたびは、わざわざ書き込みの労をお取りいただきまして、誠にありがとうございました。
重ねてお礼申し上げます。