ユリとサソリ

 盛岡中学を卒業した後、1914年(大正3年)4月から5月にかけて賢治は鼻の手術のために岩手病院に入院しました。この入院中に看護婦さんに恋をしたことは最近も触れたとおりですが、退院後も賢治はつのる思いに悶々とした日々を送ります。自分の頭がおかしくなってしまったのではないかという思いにもとらわれ、短歌に詠んでいます。(以下、引用は「歌稿〔A〕」に拠る。)

164 わなゝきのあたまのなかに白き空うごかずうごかずさみだれに入る
165 ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし
166 あかまなこふしいと多きいきものが藻とむらがりて脳をはねあるく
167 物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる
168 この世界空気の代りに水よみて人もゆらゆら泡をはくべく

 賢治独特の、シュールレアリスム的な世界ですね。そして上記の歌に続いて、次の三首が出てきます。

169 南天の蠍よもしなれ魔物ならば後に血はとれまづ力欲し
170 いさゝかの奇蹟を起こす力欲しこの大空に魔はあらざるか
171 げに馬鹿のうぐひすならずや蠍座にいのりさへするいまごろなくは

 これは、かなり怖い「いのり」です。悪魔と取り引きをするファウスト博士さえ、連想してしまいます。
 そしてここで気になるのは、「後に血はとれ」とまで約束して賢治が起こしたいと思っている「奇蹟」とは、いったいどんな内容なのか、ということです。賢治と言えば、後には「世界ぜんたい」の幸せを本心から願うようになりますから、そういう他者救済的な奇蹟なのかという考えも浮かびます。しかし、ここで賢治は魔物と契約してその奇蹟を起こす力を得ようとしているわけですから、そんな宗教的な愛他的な事柄ではないのでしょう。どんな宗教であれ、聖人や救済者が「正しい力ではなく魔物の力を借りて尊い事績を成す」というような話は存在しません。
 魔物に自分の血を捧げるという行為から想像されるのは、賢治は「賢治自身のための」何らかの奇蹟を欲しているのではないかということです。

 さて、上の蠍座の短歌群の次には、実験的な旋頭歌二首があり、これに続いて、初恋の人を思う歌が並びます。

174 思はずもたどりて来しかこの線路高地に立てど目はなぐさまず
175 君がかた見んとて立ちぬこの高地雲のたちまひ雨とならしを
176 城趾のあれ草にねて心むなしのこぎりの音風にまじり来
177 われもまた日雇となりて桑つまん稼がばあたま癒えんとも知れず
178 風ふけば岡の草の穂波立ちて遠き汽車の音もなみだぐましき
179 山上の木にかこまれし神楽殿鳥どよみなきわれはいとかなし
180 はだしにて夜の線路をはせ来り汽車に行き逢へりその窓明く

 この頃の賢治の、恋の苦しみが伝わってきますね。

 そしてさらに「歌稿〔A〕」を見ていくと、この少し後には、童話「ガドルフの百合」のモチーフになった連作短歌が現れます。

192 いなびかりそらに漲ぎりむらさきのひかりのうちに家は立ちたり
193 いなびかりまたむらさきにひらめけばわが白百合は思ひきり咲けり
194 空を這ふ赤き稲妻わが百合の花はうごかずましろく怒れり
195 いなづまにしば照らされてありけるにふと寄宿舎が恋しくなれり
196 夜のひまに花粉が溶けてわが百合は黄色に染みてそのしづく光れり

 ここで童話「ガドルフの百合」の内容は、次のようなものでした。ガドルフという名の旅の若者が、激しい雷雨に遭遇して困っている時、一軒の家を見つけます。短歌192に相当するところです。

 その稲光りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨きなまっ黒な家が、道の左側に建ってゐるのを見ました。

 その家の中に入ったガドルフは、「ここは何かの寄宿舎か」といぶかったりしますが、これも短歌195と呼応しています。
 そしてガドルフは家の住人がいないかとしばらく探し歩き、ふと窓の外に百合の花を見つけたのです。

 けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合が、十本ばかり息もつけない嵐の中に、その稲妻の八分の一秒を、まるでかゞやいてじっと立ってゐたのです。
 それからたちまち闇が戻されて眩しい花の姿は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚ぬれずに残ったフランのシャツも、つめたい雨にあらはせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待ってゐました。
 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃いて、庭は幻燈のやうに青く浮び、雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋(いか)って立ちました。
(おれの恋は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。)

 ここまでの話の中では、ガドルフが恋をしているとも何とも語られていませんでしたから、「おれの恋は、いまあの百合の花なのだ」という言葉はここで唐突に響き、印象は鮮烈です。
 しかし、ガドルフの願いにもかかわらず、激しい風雨のために、十本ばかりの百合の花のうちいちばん丈の高い一本が、無残にも折れてしまいます。

(おれはいま何をとりたてて考へる力もない。たゞあの百合は折れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)

 ガドルフはこう思って眠りに入り、夢の中で二人の大男が取っ組み合っている様子を見ます。

 そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるへながら立ちあがりました。
 雷はちゃうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思ひ出したやうに鳴ってゐるだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亙って、雲の濃淡、空の地形図をはっきりと示し、又只一本を除いて、嵐にかちほこった百合の群を、まっ白に照らしました。

 「かちほこった百合」に力を得て、ふたたび出発しようとするガドルフは、こんどは窓の外の木に一つの雫を見ます。それは、不思議にかすかな薔薇色をしていました。

これは暁方の薔薇色ではない。南の蠍の赤い光がうつったのだ。

 ガドルフは、そう解釈しました。

 この「ガドルフの百合」は、『春と修羅』の編纂時期頃に成立した作品だそうです。「おれの恋」と呼んだ百合が、いったんは折れ、砕け、しかしまた最後に「おれの百合は勝ったのだ」と再認識されて若者が旅立っていくという経過は、賢治が恋愛的な煩悶を乗り越え、「ひとと万象と」ともに「至上福し」を目ざす新たな一歩を踏み出そうとする(「小岩井農場」)『春と修羅』のテーマに重なるという杉浦静氏の指摘(学燈社『宮沢賢治の全童話を読む』)に、私は目を開かれる思いをしました。
 一方、童話「ガドルフの百合」ではなくそのモチーフとなった192-196の連作短歌が書かれた時点では、賢治はまだ看護婦さんをめぐる恋の苦しみの只中にあったわけです。もしも当時の彼が「おれの恋は、いまあの百合の花なのだ」と感じたとすれば、この百合は、当時の恋を表わすものだったでしょう。百合の花言葉は「純潔」「無垢」「威厳」であり、白衣の天使たる看護婦さんの象徴として、白百合ほどうってつけのものはありません。(「歩く姿は百合の花...。」)

 そして、「ガドルフの百合」のラストに、「南の蠍の赤い光」が出てくることにも、私は注目せざるをえません。「おれの百合(=恋)が勝った」ことをまるで祝福するかのように、蠍の赤い星は、一滴の雫を薔薇色に光らせていたのです。
 ここに私は、ガドルフ連作の少し前の169-171の短歌群において、賢治が蠍の星に「奇蹟をいのった」こととの関連を感じてしまうのです。あまりにもありていに言ってしまえば、賢治が蠍に祈った奇蹟とは、その「恋の成就」だったのではないかと・・・。

◇          ◇

 あと、この「蠍へのいのり」の追憶は、賢治のその後の短歌にも現われます。
 上に引用した短歌群を詠んだ2年後の1916年(大正5年)3月、盛岡高等農林学校の修学旅行の帰途に、賢治たちは鳥羽から蒲郡行きの汽船に乗ります。

261 そらはれてくらげはうかびわが船の渥美をさしてうれひ行くかな
262 明滅の海のきらめきしろきゆめ知多のみさきを船はめぐりて
263 青うみのひかりはとはに明滅し船はまひるの知多をはなるゝ
264 日沈みてかなしみしばし凪ぎたるをあかあか燃ゆる富士すその野火

 歌に詠まれているように、この時、賢治は何か「うれひ」「かなしみ」を感じていたようです。そして上記に続いて、次の短歌が現れます。

265 あゝつひにふたゝびわれにおとづれしかの水色のそらのはためき
266 いかでわれふたゝびかくはねがふべきたゞ夢の海しら帆はせ行け
267 さそり座よむかしはさこそいのりしがふたゝびこゝにきらめかんとは

 267に最も直接的に表現されていますが、旅行中の賢治はここで、何か2年前に「さそり座」に(奇蹟を)いのった時と同じような心理状態になってしまったのかと思われます。賢治はそのことに当惑しているようにも感じられます。

 さらに、修学旅行から帰って2年生新学期の授業が始まってからの短歌にも、またこのテーマは出てきます。

283 双子座のあはきひかりはまたわれに告げて顫ひぬ水色のうれひ
284 われはこの夜のうつろも恐れざりみどりのほのほ超えも行くべく
285 伊豆の国三島の駅にいのりたる星にむかひてまたなげくかな

 短歌285から、265-267に詠まれていた体験は、伊豆の三島の駅においてであったことがわかります。「三島の駅にいのりたる星」とは、もちろん蠍の星でしょう。265の「水色のそらのはためき」は、283の「水色のうれひ」につながるのかと思われます。
 この頃の賢治はずっと「うれひ」や「なげき」をかかえていたようですが、その感情は、それからしばらくの間のたくさんの短歌に詠み込まれます。そして賢治の「いのり」は続きます。

291 今日もまた岩にのぼりていのるなり河はるばるとうねり流るを
292 笹燃ゆる音はなりくるかなしみをやめよと野火の音はなりくる
297 弦月の露台にきたりかなしみをすべて去らんとねがひたりしも
298 ことさらに鉛を溶しふくみたる月光のなかにまたいのるなり
299 星群の微光に立ちて甲斐なさをなげくはわれとタンクのやぐら
300 黒雲をちぎりて土にたゝきつけこのかなしみのかもめ落せよ
302 赤き雲いのりの中に湧き立ちてみねをはるかにのぼり行きしか
303 われもまた白樺となりねぢれたるうでをさゝげてひたいのらなん
304 でこぼこの溶岩流をのぼり来てかなしきことをうちいのるかな
325 あをあをと悩める室にたゞひとり加里のほのほの白み燃えたる
326 はややめよかゝるかなしみ朝露はきらめきいでぬ朝露の火は

 この頃の賢治の「かなしみ」「いのり」の内容はわかりませんが、「「文語詩篇」ノート」の「農林第二年 第一学期」(上記短歌の時期に相当)の項には、「Zweite Liebe」(二番目の恋)という語が記入されていることを、ここに付記しておきます。

 いずれにせよ、賢治が結局この「かなしみ」から抜け出せたのは、この頃に出会った保阪嘉内との友情の芽生えのおかげだったでしょう。

山百合の花
山百合の花