花巻第五日

 長いように思った今回の花巻も、今日が最終日です。

 昼前の飛行機に乗るので、もうあちこち出かけるわけにはいきませんが、宿をチェックアウトして、荷物を花巻駅のコインロッカーに預けると、レンタサイクルを借りて少し南西の方へ向かいました。

 途中、若葉町にある「宮澤賢治ゆかりの梨の木」は、もう立派な実を付けています。

宮澤賢治ゆかりの梨の木

 「地蔵堂」で有名な中根子の延命寺では、何年か前に残っていた巨杉も伐り倒され、切り株だけが往時を偲ばせます。

延命寺の巨杉の切り株

 賢治の詩碑は、昔よりもずいぶん周囲が明るくなってしまって、しかし健在。

「巨杉」詩碑

 延命寺から、東北自動車道のガードをくぐってさらにしばらく西に進むと、左側に「熊野神社」があります。

熊野神社

 この神社の境内には、土饅頭のようなたくさんの古墳があって、「熊堂古墳群」と言います。昔から「蝦夷塚」と呼ばれていたということで、坂上田村麻呂による征服前の、この地方土着の人々の文化と関連した遺跡です。
 下写真で、盛り土のようになっている箇所がすべて古墳で、それぞれ「A-11墳」などと白いプレートが立てられています。

熊堂古墳群

 今日この場所に来てみたのは、「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」(「春と修羅 第二集」)という賢治の作品の舞台がこのあたりではないかと、木村東吉氏が『宮澤賢治≪春と修羅 第二集≫研究』に書いておられたからです。
 同書で、木村氏は次のように記しています。

(前略)作品の舞台は花巻の西の郊外、才ノ神・熊堂付近が想定される。下書稿(一)にも「花巻一方里のあひだに云々」とあり、手入形に「沼はむかしのアイヌのもので/岸では鏃も石斧もとれる」とある。熊堂付近のアイヌ塚の存在は早くから知られており、出土品の一部は今も魔王塚に近い熊野神社の展示室に飾られている。下書稿(一)にある赤い石の塚についても、才ノ神部落の平賀静男氏宅裏の祠に赤煉瓦色の石塚がまつられているものが確認される。したがって作者は、北海道白老のアイヌ・コタンを訪ねる旅に出ることを考えながらアイヌ塚付近を歩いていて、豊沢川に沿って多数あったという沼の水面に、アイヌの幻を捉えたわけである。(後略)

 上記文中で、「作者は、北海道白老のアイヌ・コタンを訪ねる旅に出る」とあるのは、この「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」がスケッチされた1924年5月18日の夜に、賢治は農学校生徒を引率して北海道修学旅行に出発するからです。
 上記のように木村東吉氏によれば、この熊堂あたりには、沼が「豊沢川に沿って多数あった」ということですが、しばらく前に Googleマップを見ていると、熊野神社の南側にひょうたん型の「沼」のようなものが目についたものですから、一度現地へ確認しに行ってみたくなったのです。

 で、本日、熊野神社の南に廻ってみると、やはり下写真のような沼がありました。左手に見えている白い壁の建物は、「古墳群出土品展示室」です。

熊野神社の南の沼

 ということで、賢治が「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」で描いたのがこの沼そのものとはかぎりませんし、作品からはもう少し大きな沼かもという印象も受けますが、この沼もその候補の一つとは言えるだろうと、イメージをふくらませました。

 などとうろうろしているうちに、もう10時近くなってしまいましたので、引き返して空港に向かうことにしました。
 10時半頃に空港に着くと、なんとなく懐かしい「緑の町に舞い降りて」が流れています。「・・・あてもなく歩くこの町も/去る日は涙が出るわ・・・。」

 搭乗手続きをすませてメールをチェックすると、花巻市のFさんからのメッセージが入っていました。急いで返事を送って、京都を発った時から読み始めていた『鴨川ホルモー』を読んでいると、なんとMさんがお土産を持って、空港までやってきて下さいました。
 今回の花巻滞在中はずっとお世話になりつづけたMさん、Fさん、本当にありがとうございました。

 帰りの空もきれいに晴れて、また窓からは富士山が見えます。眼下にある湖水は、諏訪湖のようですね。

富士山と諏訪湖

 で、伊丹空港に着陸する寸前に、無事『鴨川ホルモー』も読み終えました。

鴨川ホルモー (角川文庫) 鴨川ホルモー (角川文庫)
万城目 学 (著)
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 これは賢治とは何の関係もない小説ですが、しいて関連づけると、文庫版p.103には、次のような一節があります。

 それにしても――何という厳粛極まる儀式なのか。“女人禁制”などという時代錯誤な規制まで設けて、一体これから何をおっ始めるつもりなのか。ひょっとして、このまま我々は、耳やアゴにバターやら塩やらを塗りこみ、『注文の多い料理店』のように、神殿の奥へと進んで、あの高村から見せられた、小さな式神のおっさんたちに取って喰われるなんてことはありはしまいか。ああ、そんなことを考えていると、今にも拝殿の塀の向こうから、「へい、お客さんがた、いらっしゃい、いらっしゃい、サラダはお嫌いですか。そんならこれから火を起こしてフライにしてあげませうか」なんて声が聞こえてきそうだ。いやだ。ものすごく怖い。(「その三 吉田代替わりの儀」より)