部屋の窓の下を、豊沢川が左から右へ流れています。けっこう深そうなところもある一方、流れはたくさんの岩のところで白い波と音を発しつづけていて、常に流量感が伝わってきます。「ザー」、あるいは「ドー」という持続的な音に、小さく「ザブン、ザブン」というような、水が脈打っているような音が混ざっているようです。
「せせらぎ」と呼ぶにはもっとはるかに大きい感じで、「瀬」という言葉が当てはまるのかと思ったりしますが、しかし「早瀬」というほど急流でもないし、「深瀬」というのもピンとこないし・・・、と考えていると、「沢」がやはりぴったりだと腑に落ちました。これはまさに、「豊沢」であり「大沢」であり、そのように水が流れつづけている感じです。
つねに動きつづけているものを、身のすぐそばに感じながら本を読むというのは、ちょっと不思議な感じです。
さて今日は、朝食の後、大沢温泉から豊沢川に沿って、南の方へ歩いてみることにしました。
宿を出てまず1kmほど行くと、すぐに到着するのが「渡り温泉」です。その名前は、この場所で道路が(そしてその昔は電車も)豊沢川を「渡って」、川の西側から東側に移ることに、由来します。川を「渡る」という一見ありふれたことが、地名にもなるほどの意味があったのは、この幅広く流れの強い川に橋を架けることが、昔はたいへんだったことによるのでしょう。
そして、賢治の「風景とオルゴール」(『春と修羅』)も、ちょうどこの「渡り」のあたりを作品舞台としているんですね。この日賢治は、豊沢川西方の五間森という山から下りてきて、この「渡り橋」のあたりで、馬に乗った農夫とすれ違います。まっすぐ正面には松倉山がそびえ、当時ここを走っていた電車の関係で、見事な電燈が山の手前に灯っていたようです。ちょうど月が出て、雲はせわしく空を走っていきます。
賢治の心の中には、同日付作品「宗教風の恋」のテーマになり、この「風景とオルゴール」においても「(何べんの恋の償ひだ)」という言葉に表れているような、何らかの恋愛感情的苦悩があるようです。またもう一方で、なぜか彼はこの日に五間森で「木をきった」ようで、その淡い罪悪感も漂っています。作品においては、まさに幻想的な、じっくりと研ぎ澄ましたような描写が、緊張をはらんで展開していきます。ロジャー・パルヴァースさんなどは、この作品を、「20世紀日本の不朽の名詩」とまで呼んでおられます(「宮沢賢治は日本人に生まれて損をしたのか」)。
渡り橋と正面の松倉山
「渡り橋」を渡って、断崖のようになっている松倉山の西麓を過ぎると、しばらく右手には五間森が台形の形を表します。それにしても、賢治がこの日、なぜ五間森の「木をきった」のかは謎ですね。何かの目的があっての行動なのか、偶発的なことだったのか・・・。
渡り温泉からまた1kmあまり行くと、こんどは志戸平温泉です。「「文語詩篇」ノート」には、「漆ヲヤム、志戸平」との記載があり、賢治が中学生時代に漆にかぶれて療養に来たのは、この志戸平温泉だったようです。現在、ここには「イーハトーブ病院」というけっこう大きな病院もあったりしますが、いわゆる老人病院のような外観です。
下流から望む志戸平温泉・後ろは五間森
志戸平温泉から、さらに南に2kmほど歩くと、松倉温泉があって、もう少し行くと道の西側に、「花巻の電気発祥地」という説明版が立っています(下写真)。賢治の時代はここに発電所があって、この日の賢治の次の作品「風の偏倚」の「ダムを越える水の音」という言葉を文字どおり解釈すると、賢治はこの発電所の堰堤あたりまで歩いてきて、「松原」電停から電車に乗ったのかと推定されます。
この日の賢治の次の作品「昴」は、もう電車の中の情景です。
私たちは、このあたりの喫茶店で昼食をとってから、バスに乗って大沢温泉まで帰りました。帰ってきても、まだ午後1時頃でした。
ところで、そもそも大沢温泉と言えば、賢治の少年時代に父政次郎氏などが中心となって、「夏期仏教講習会」が毎年開催されていた場所でした。その中でも下の写真などは、風情もあって印象的なものです。
1911年(明治44年)第13回花巻仏教講習会
上の写真の場所が現在のどこなのかということは興味を引かれますが、これが大沢温泉の「曲り橋」という橋の上だったということが温泉側の記録にあることから、現在もある「曲り橋」に対して、下のような角度で眺めたところなのかと思ったりします。あちこち撮影場所も試してみたのですが、これは現在の大沢温泉・自炊部の1階廊下の窓から写したものです。
現在は、当時になかった木の枝が張り出していますし、奥の萱葺きの建物も、変わってしまっています。素敵だった当時のガス燈も、今はありません。
でもまあ、ちょっと似た感じはすると思うのですが、どうでしょうか。
耕生
新緑の季節の花巻旅行、いいですね。うらやましい限りです。
大沢温泉からのリポート、興味深く拝読しました。
特に「風景とオルゴール」の連作詩についてのご説明は有益でした。これまで、これらの詩がどこで作られたのか、深く考えずに読んでいました。大沢温泉付近の山からの帰り道に読んだ詩ということで、より理解が深まりました。感謝です。
上杉隼人さんの翻訳によるロジャー・パルバースさんの文章もご紹介いただき、ありがとうございました。 「宮沢賢治は日本人に生まれて損をしたのか」、あまりに面白いので、早速、全文を印刷しておきました。後でまた読み返してみます。「雨ニモマケズ傘」の話、初めは何のことかわからなかったのですが、少ししてそのユーモアに思わず大笑いしてしまいました。
ロジャー・パルバースさんの話の中で「No Sex Please」の項が興味深かったです。賢治の禁欲的傾向が、その宗教心から来ていることをはっきりと述べた文章はめずらしいと思います。私も全く同感です。「宗教風の恋」を読むと、そのことがよくわかるような気がします。「信仰でしか得られないものを なぜ人間の中でしっかり捕らえようとするか」は、有名な小岩井農場パート九の中のいくつかの重要なフレーズ(長くなるので引用しませんが)に通じるものがありますね。
ところで、この詩によると、この日、賢治は五間森かどこかでなぜか木を切って来たようで、これまで謎とされてきました。実は私には少し思い当たる節があります。私も思春期の初めの頃、近くの山に入って杉の木をナタで切ったことがあるのです。なにやら衝動のようなものに突き動かされて「この木を切れば自分は一人前になれる」といった高揚した思いで、ナタで木に刻みを入れました。半分くらいまで進行した所で大人に見つかり、逃げ出したのですが、見つからなければおそらくその杉の木を切り倒していたでしょう。木を切り倒して特にどうしようという目的もなかったのです。
フロイト流に解釈すると、性的衝動に突き動かされてそのような行動に走ったのでしょうか。あるいは子どもの単なる冒険心だったのかもしれません。大の大人の賢治が木を切ったのには全く別の理由があったのかもしれません。賢治は刃物を持参して山に入ったのでしょうか。疑問は深まるばかりです。
改めて詩の解釈は難しいし、また面白いと思いました。今、石川・宮沢賢治を読む会では、全童話読破の後、春と修羅第一集から始めて、詩の輪読と解釈をやっていますが、これが様々な意見や解釈が飛び出し、実に面白いのです。宮沢賢治ファンは日本にたくさんいますが、その多くは童話を通じて賢治ワールドに引き込まれた人で、詩の世界にはなかなか入りづらいものを持っているかもしれません。今、隔月(奇数月の第4日曜日午後)ですが、毎回、未知の世界の扉をあける興奮を楽しんでいます。
「宮沢賢治の詩の世界」はそのための貴重な指導標です。今後ともご教示をよろしくお願いします。
hamagaki
耕生さま、意味深いコメントをありがとうございます。
まさにそうですね。仰せのとおり、フロイト的に解釈すると、屹立してそびえる「木を伐る」という行為は、「ペニスを切断する」という行為の象徴と、とらえることもできますね。
この「風景とオルゴール」と同日の、直前の作品「宗教風の恋」において、賢治は恋愛感情的な苦悩に、どうしようもなくとらわれていたわけです。そのような状態から自分自身を解放する一つの方法・・・、それは、自らを「去勢」してしまうこと、です。
私自身は、あまり文字どおりのフロイト的解釈を当てはめるのは好みではないのですが、二つの作品の意味的なつながりを考えると、少なくともこの場合に限って言えば、これは賢治の無意識的な衝動を考える上で、無視できない一つの重要な見方ですね。
貴重なご示唆をありがとうございました。