今日は空も曇り、風も強く吹いています。
午前は、まず盛岡駅から「いわて銀河鉄道」で滝沢駅まで行き、ここからタクシーに乗って、柳沢小中学校に向かいました。
しばらく岩手山の裾野の道を走り、学校に着くと、運転手さんに校門のところで待っていていただいて、この学校の校庭に去年の10月に設置された、「気のいい火山弾」の碑を見に行きました。
この「気のいい火山弾」という童話は、「ある死火山のすそ野の・・・」と始まりますから、賢治のいつもの例から考えると、やはり岩手山の麓が舞台になっているのでしょう。この山が活火山だった頃に飛ばされてきた火山弾のお話と思われます。
まさにその裾野にある柳沢小中学校にこの碑ができたのは、うってつけの場所だったわけですね。
上の写真で、本来なら上半分の空には岩手山の雄姿が見えるはずなのですが、残念ながら完全に雲に覆い隠されています。タクシーの道中ではさっきまで、部分的にもその山容が見えていたのですが、なかなかうまくタイミングが合いません。
碑は、上のようなものです。金属の板に、柳沢小学校児童によるかわいらしい字で、童話の中の「ベゴ石」の歌が刻まれています。
お空。お空。お空のちゝは、
つめたい雨の ザァザザザ、
かしはのしずくトンテントン、
まっしろきりのポッシャントン。
お空。お空。お空のひかり、
おてんとさまは、カンカンカン、
月のあかりは、ツンツンツン、
ほしのひかりの、ピッカリコ。`
碑板の横には、「火山弾」ではないようですが、動物のような「眼」がはめ込まれた、親子のような二つの岩が置かれています。「ベゴ石」というのですから、牛の親子なのでしょうか。
今日は風が強いので、またしばらく待てば雲が切れて岩手山の姿が拝めるかもしれないのですが、タクシーの運転手さんをそんなに待たせるわけにもいきませんので、「碑」を撮影したら、この素晴らしい環境にある学校を後にしました。
またタクシーで滝沢駅に帰ると、そこから盛岡駅へ、盛岡からJRの東北本線に乗り換えて、水沢に向かいます。
午後1時すぎに水沢駅に着いて、駅から歩いて目ざしたのは、先月21日に一般公開が始まった、「奥州宇宙遊学館」です。
この施設の誕生の経緯については、当ブログでもこれまで紹介させていただきましたが(「「水沢緯度観測所」保存へ」、「「奥州宇宙遊学館」オープンへ」)、今日初めて実地に訪ねることができました。
駅から東の方へ歩いていくと、20分ほどの距離でした。国立天文台の敷地の中に、下写真のような建物が建っています。
これは、「旧水沢緯度観測所」の本館だった建物で、「晴天恣意」(「春と修羅 第二集」)においては、賢治もここを訪ねたことが記されている、由緒ある場所です。
この建物がいったんは取り壊されようとしていたのを、市民運動などの力に押されて奥州市が買い上げ、子供を含めた一般向けの「宇宙の体験学習施設」として、ここに甦ったのです。
その館内では、水沢緯度観測所の歴史と研究内容の紹介、とりわけ「風野又三郎」にも出てくる木村栄博士の業績、現在の国立天文台水沢VERA観測所の活動、宮澤賢治とこの施設の関わりなどについて、わかりやすく工夫された展示が見られます。「四次元宇宙シアター」と題されたプレゼンテーションでは、見学者は偏光レンズの入った眼鏡をかけて、月や太陽系や銀河系の様子を立体的に見られるデジタル的な仕掛けがあって、とても印象的でした。このソフトウェアそのものを、国立天文台が事業の一つとして開発しているようです。
2階には、「展示室 風」と銘打った部屋があり、ここでは宮澤賢治と水沢緯度観測所の関わりについて、「風野又三郎」の自筆原稿複製なども展示しながら、紹介していました。ちなみに右の写真は、この部屋から眺めた裏庭のテニスコートです。
その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるやうになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、さうさう、その時は丁度日本では入梅だったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでゐたねえ、やすんで居たって本統は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
「大丈夫です、すっかり乾きましたから。」と云ふ声がするんだらう。見ると木村博士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来てゐたんだ。木村博士は痩せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなはないまるっきり汗だらけになってよろよろしてゐるんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からぢっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外らしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。(「風野又三郎」より)
ちなみに、この館内の展示では、右写真のような「風の又三郎」をモチーフにしたマスコット・キャラクターが、いろいろな事柄を説明する役割を担っていて、あちこちで大活躍していました。私は帰りに、彼をかたどったキーホルダーを、一つ買いましたよ。
いずれにしても、この施設はぜひ一見の価値があるところと思いました。親切に熱心に説明をして下さる女性スタッフの皆さんも、素敵です。
さて「奥州宇宙遊学館」を後にすると、せっかく近くに来たので、ついでに「日高神社」に寄ってみました。この神社の「別当」は、「〔職員室に、こっちが一足はいるやいなや〕」(「口語詩稿」)や、その文語詩化である「来賓」(「文語詩稿 五十篇」)に登場する人物です。
日高神社は上のような構えで、かなり立派な様子です。これくらいの神社なら、その「別当」ほどの人が、賢治の作品にあるように「偉そうに」振る舞うのも、ありえるかなという感じでした。
ここから、藩政時代を偲ばせる立派な屋敷の並んだ「日高小路」を歩き、水沢駅に戻ると、また東北本線の下り列車にに乗りました。今夜は花巻に宿泊です。
今の時期に居酒屋「早池峰」に行くと、ホタテやホッキやツブなどの貝類や、各種の山菜などが美味しい季節です。
雲
岩手山が、観れなくて残念でした。
”雲”のせいみたいなので、”わたしのせい”のように、感じていました。
『気のいい火山弾』という作品は、大人になって、賢治の作品に触れる中、好きな方が多いなと知ったぐらいで、まだ、ちゃんと記憶するほど、わたし自身、読んではいないです。
観測も興味深いのですが、頭がついていけませんでした。ごめんなさい。また、よろしくお願いします。
かぐら川
今日、雨にふられて立ち寄った「金沢ふるさと偉人館」で、偶然、木村栄に会ってきました(常設展示のうちの一人)。簡単な展示ではありましたが、「水沢緯度観測所」の門柱など、こどものようにわくわくして見てきました。木村栄は、金沢市――当時、石川県石川郡野村泉野新八四(現在の金沢市泉野町3丁目)――の生まれなのです。
hamagaki
かぐら川さま、いつもありがとうございます。
木村栄博士が金沢出身とは知りませんでした。ちょっと調べてみると、養父木村民衛の開いた「木村塾」で、西田幾多郎とともに学んだ時代もあったということですね。
ちなみに下写真は、「奥州宇宙遊学館」の向かいにあった、「木村記念館」です。木村博士の胸像も見えます。