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「対山楼」のあった場所

 一昨日ご紹介した旅館「対山楼」があった場所の、地図を掲載して補足しておきます。下の地図のマーカーの位置が、それです(現在はレストラン「天平倶楽部」になっています)。

 賢治の同級生菅原俊男による1916年3月24日の記録によれば、一行はこの日京都で、桃山御陵と京都府立農事試験場桃山分場を見学しました(「1916年修学旅行の京都(2)」参照)。そして、桃山駅から国鉄に乗って奈良駅で降り、奈良県農事試験場を見学した後、夕方6時に宿舎「対山楼」に入ったということです。

 奈良県農事試験場は、1895年から1923年までは、「大字油坂町小字宮ノ前」にあったということですから、賢治たちは左下の奈良駅から今の油阪町あたりを経由して、そして右上の対山楼へ歩いたことになります。