第28回日本SF大賞(日本SF作家クラブ主催)に、最相葉月さんの『星新一 1001話をつくった人』(新潮社)が選ばれたそうです。私も発刊後すぐに読んだ本ですが、星新一という稀有な人物に肉迫しつつ、同時に日本のSFの歴史を描き出すようで、圧巻でした。最相さんには、心からお祝い申し上げます。
それから「経埋ムベキ山。」のコーナーに、「胡四王山」をアップしました。宮澤賢治を愛好する者としては、花巻に行くたびに登ることになる、最も親しみ深い山です。
「経埋ムベキ山。」のページにも書いたように、賢治がこれらの山々を選定するにあたっては、それぞれの山の持つ宗教的な霊威も重視していたのだろうと私は思っているのですが、今回は胡四王神社について、『花巻市史』などにも書かれていたことを参考にさせていただきました。
胡四王神社拝殿
rinrin
はじめまして。
イーハトーブガーデンのmememuさんの所から来ました。
大変な資料で、圧倒されております。
これだけの事をお調べになるのは大変なご苦労でしょうね。
パソコンの大した知識もないものですから、こういうふうにまとめてくださっている方がいると大変宮沢賢治を身近に思います。
さて、胡四王山のことですが、歴史とかはもうお調べでしょうし、私は何の知識もありませんが、母が小学校のとき(もう80を過ぎました)遠足で登ったそうです、4年生ごろと言ってました。もっと小さい時は高松の方と言ってました。母は賢治と同じ小学校出身です。
当時宮沢家には沢山の使用人がいた事でしょう。飯豊森などの方面、早池峰山の麓、つい最近までその辺の方が勤めておりました。賢治の記録にはないかもしれませんが、聞いたり登ったりしたと思いますあくまで楽しい推測です。真剣に文献として考えないでくださいね
hamagaki
rinrin 様、はじめまして。コメントをありがとうございます。お返事が遅れて、申しわけありませんでした。
現在80歳を過ぎておられるお母様の、小学4年生の頃と言いますと、今からじつに70年も前のことですね。1930年代ということになるのでしょうか。賢治が亡くなって間もなくの頃かとも思われ、とても感慨深いお話をありがとうございます。
「花巻町」に住む人々にとっても、隣村の胡四王山は、きっと子供の頃から親しみの深い山だったということが、あらためて実感できました。
それから、お母様のもっとお小さい頃には「高松の方」に遠足に行かれたというのは、「経埋ムベキ山」で言えば「観音山」の方向だったのでしょうか。しかし、観音山の方が胡四王山よりも遠くて高さも少し高いので、山登りまではしなかったということでしょうね。
ご指摘のように賢治の小さい頃から、その周囲にはいろいろな地域出身の人がいたことでしょうから、「浄土真宗」や「法華経信仰」のような、ある種の普遍性を持った信仰形態だけでなくて、花巻町以外の山々や、神社や、庚申講など、それぞれの地元に密着した信仰について、様々な話を耳にする機会は多かったのでしょうね。それらが、「経埋ムベキ山」にも何らかの影響はしているのだろうと、私も思います。
このたびは、貴重なお話をありがとうございました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
かぐら川
「胡四王山」(「胡四王神社)」のコーナー興味深くよませていただきました。
文中「阿倍氏の祖神」とさらりと言及されている人物「大彦命」が、越の国の古代学を楽しんでいる私にとってはかなり重要な人物なのです。またコシオウ神社と重なりながら北陸から東北日本海側にかけて広く分布しているのが石動(イスルギ)神社ですが、この神社の祭神イスルギ彦も謎を秘めた半神です。
参照:「海を渡るイスルギ神社」
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070906
(なお、この説明板の、坂上田村麻呂の持仏薬師如来を、医薬の神ということから後世オオナムチ・スクナヒコに代えたという説明はいかがなものかと思います。潜流としてオオナムチ・スクナヒコをオオヒコと併せて祀っていたという事実があるのではないかと思います。ともに海の道と山の道を介して出雲から東北に伝播する神々です。)
hamagaki
かぐら川 様、書き込みをありがとうございます。
北陸地方の古代学についてお詳しい方の目に触れてしまうとは、お恥ずかしいかぎりです。(^^ゞ
ご教示をもとに私もちょっとネット検索をしてみましたが、「大彦命」「石動彦」、ともに奥深そうで魅力的ですね。今後の展開を楽しみに、かぐら川様のページを拝見させていただきます。
さて、「坂上田村麻呂の持仏薬師如来を、医薬の神ということから後世オオナムチ・スクナヒコに代えた」という説明については、ご指摘のとおり私も何か不自然な辻褄合わせのような印象を否めませんでした。「祭神ってそんなに簡単に交代できるの?」という気がしますし、何よりこれでは、「胡四王」という由緒ある名前とのつながりが見えません。
一方、『花巻市史』に収められている「矢沢胡四王神社文書」を見ると、慶応2年の日付がある「胡四王大権現社由来併ニ御免状写由緒書上帳」の中に、次のような箇所がありました。
よくわからないところもありますが、少なくともかなり古くから、表面上はお寺だったにもかかわらず、スクナヒコは祀られていたようです。
それから、今回貴サイトをじっくり拝見していて、じつは私の妻が富山県高岡の出身なもので、思わず懐かしさのようなものを感じてしまいました。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
雲
胡四王山も神社も知らないので、今日、初めてじっくり、見せていただきました。
恋する者の心理は、普遍的で、それぞれに、個性があり、面白さとともに、トラブルも出るのかな?と思いました。
わたしのコメントは、他の方より、どうして、ちゃんとしてないのかなとも、思って、恥ずかしいのですが、お許しください。
わたしは、賢治の逆版で、失恋したので、長く、引きずりましたが、新しい恋や失恋を繰り返しております。
HAMAGAKIさん、奥さまがいらっしゃたんですね。
昔、短大時代の友人を訪ねて、富山県高岡の方や近くへ行きました。
もう、連絡も途絶え、寂しいです。
独身も良い時も、ありますが、女性は特に、離れてがちになっていくように、感じます。
ご近所の絵本や賢治好きの女の子から、おみかん等をもらわない限り、どこからも、お土産のお菓子以外、もらわないんですよ。
自分で選べて、いいかもしれません。