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横浜開港資料館

 賢治が、「横浜植木株式会社」の注文販売を利用していたという話は、「賢治の愛したバラ(4)」に引用させていただいた佐藤昭三氏(花巻ばら会名誉会長)の文章「◇宮沢賢治とばら◇」によって、私は知りました。それによると、

花巻病院の院長の佐藤隆房先生が昭和4年頃、花巻の桜町に新居を移したときに、そのお祝にと横浜の輸入商「植木」から取り寄せて賢治自らの手で庭に植えたという由緒あるばらがあります。

 ということです。
 そして、この時に賢治が取り寄せたバラの中に、後に「賢治のバラ」として有名になる「グルス・アン・テプリッツ(和名「日光」)」が含まれていたというところまでは、いろいろな方にご教示いただいて、私にもわかってきました(「賢治が愛したバラ(5)」「賢治が愛したバラ(6)」参照)。

 ところで生前の賢治は、全国のいろいろな会社に注文して、花や野菜の種子、球根、苗などを購入していたようですが、「横浜植木」の名前は、これまで私自身あまり目にしていなかったので、ちょっと全集をひもといて調べてみました。すると、『【新】校本全集』の第十三巻(下)の「本文篇」17ページ、「「MEMO FLORA」ノート」のA17頁にある、「横浜ガーデン」および「横ガーデン」という賢治自身による書きつけが、目に止まりました。
 このページは、他にも花の購入先と思われる会社名が並んでおり、注文数や価格と思われる数字も書き込まれているところから、「横浜ガーデン」というのも、花の購入先なのではないかと推測されます。そして、前述の「横浜植木株式会社」の英名は、「ヨコハマ・ガーデニング・アソシエーション」であったことから、賢治は「横浜植木」のことを「横浜ガーデン」と略記したのではないか、とも思われました。

 まあそれはさておき、「横浜植木」という会社は、賢治の時代からずっと現在も営業しつづけておられるので、賢治がバラを注文したかもしれないのなら、ひょっとしてその当時の記録などが残っていないとも言えません。そこで先日私は、「横浜植木」の「花卉貿易部」というところに、ぶしつけながらメールをお送りして、「もしかして、宮沢賢治の注文書など残っていませんか?」とお訊きしてみたのです。
 すぐさま、ご親切に返信されてきたメールは、以下のとおりでした。

お尋ねの件、当社から野菜の種子をお買い求めになった納品書は残っているようですがバラについては調べて見ませんと解りかねます。
古いカタログ、資料等全て横浜開港資料館に寄贈しまして当社では管理をしておりませんが一度関係者に聞いて再度ご返事をさせて頂きます。
上、取り急ぎご返事迄。

 「えっ! 野菜の種子の(賢治への)納品書は残っているの?!」と一瞬驚きましたが、現在は資料は会社にはなく、「横浜開港資料館」という所に寄贈したということでしたので、実は私は本日、横浜港の桟橋にもほど近いその「横浜開港資料館」に行ってみたのです。

横浜開港資料館

 「横浜開港資料館」は、1931年(昭和6年)に建てられた、もと英国総領事館の建物を使用しており、とてもお洒落で落ち着いた雰囲気です(上写真)。この建物の裏にある「新館」の地下に、資料室や閲覧室があって、そこで私はスタッフの方々にたいへん便宜をはかっていただいて、「横浜植木株式会社」から寄贈された資料を見せていただくことができました。(本当にお世話になり、ありがとうございました。)

 で、結論から言うと、ここには宮沢賢治のものも含め、「注文書」や「納品書」といった類のものは所蔵されておらず、主な資料は、横浜植木株式会社の決算書とか重役会議議事録とか社内報とかいったものでした。まあ、100年以上の歴史がある会社で、すべての顧客の一々の注文書類など保存していたらきりがないでしょうから、これは当然かもしれません。
 ただ、当時の「注文用カタログ」はちゃんと残されていて、これに関しては、わざわざ行ってみた甲斐があったというものでした。

 「横浜植木」では、国内用と海外用に「園藝要覧(GARDEN GUIDE)」というカタログを毎年発行していて、お客はこれをもとに注文するようになっていました。賢治が「(ばらを十五本植えた/そのばらが芽を出さない)」(「〔こんやは暖かなので〕」 )、あるいは「ばらの苗が来て居ります。」(書簡[227])と1927年3月に書いた前年、すなわち1926年のカタログの表紙およびその中で「薔薇」を載せたページは、以下のようなものでした。

『園藝要覧1926』表紙

『園藝要覧1926』バラ1

『園藝要覧1926』バラ2

 ちょっと見にくいですが、上のページに赤線を引いたところに、「グラス、アン、テリツツ」(Gruss an Teplitz)が載っていて、説明には「鮮紅大輪」とあります。値段は、どのバラも、「一本四十銭、十本三円五十銭」ということです。

 というわけで、何も断定することはできないのですが、賢治が「横浜植木株式会社」に「グルス・アン・テプリッツ」の苗を注文して、佐藤隆房氏に贈呈した可能性がありうるということは、言えるわけです。