ハチミツとクローバー

 この夏に劇場公開されていた映画「ハチミツとクローバー」のオープニング・タイトルには、次のような詩句が映し出されていました。

草原をつくるにはクローバーとミツバチがいる。
                           ――エミリ・ディキンスン

 美術大学生たちの青春を描いたこの作品は、羽海野チカによる同名コミックの映画化でしたが、原作「ハチミツとクローバー」(略称:「ハチクロ」)の題名の由来は、実は上記の詩ではなくて、作者がタイトルを決めようとした時に、スピッツの「ハチミツ」とスガシカオの「クローバー」という2枚のアルバムが並んで置かれていたから、というのが真相だそうです。

 それはともかく、「ハチクロ」のスクリーンに映し出された魅力的な言葉は、19世紀アメリカの詩人、エミリ・ディキンスンの詩の一節で、全文は下記のとおりです。

To make a prairie it takes a clover and one bee,―
One clover, and a bee,
And revery.
The revery alone will do
If bees are few.


草原をつくるには クローバーと蜜蜂がいる
クローバーが一つ 蜜蜂が一匹
そして夢もいる―
もし蜜蜂がいないなら
夢だけでもいい
                        (中島完 訳)


クローバー(しろつめくさ) で、これを読むと私は、どうしても「ポラーノの広場」や、賢治が夢みていた「草原」 ―北上の原野を開拓したいちめんの野原― を連想してしまうんですね。
 クローバーは、もちろん「つめくさのあかり」の灯る草ですし、ポラーノの広場に集う人々を連想させる「産業組合青年会(下書稿(二))」の書き込みには、次のように「蜜蜂」が出てきます。

ここらのやがてのあかるいけしき
落葉松や銀ドロや、果樹と蜜蜂、小鳥の巣箱
部落部落の小組合が
ハムを酵母を紡ぎをつくり
その聯合のあるものが、
山地の稜をひととこ砕き
石灰抹の幾千車を
酸えた野原に撒いたりする

 そしてこれは、北海道を旅した「修学旅行復命書」の中の、次の一節とも呼応しています。

北海道石灰会社石灰岩抹を販るあり。これ酸性土壌地改良唯一の物なり。米国之を用うる既に年あり。内地未だ之を製せず。早く北上山地の一角を砕き来りて我が荒涼たる洪積不良土に施与し草地に自らなるクローバーとチモシイとの波を作り耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん。

 さらに、羅須地人協会時代の作品と思われる「〔しばらくだった〕」(「口語詩稿」)には、次のような一節もあります。

あゝはやく雨がふって
あたりまへになって
またいろいろ、
果樹だの蜜蜂だの、
計画をたてられるやうになればいゝなあ


 つまり、賢治はずっと心の中で、北上の原野をクローバーの草原に変え、蜜蜂を飼うことを思い描いていたのではないかと思うのです。「米国之を用うる既に年あり」との言葉のように、これらが実際に新大陸の開拓において、広大なアメリカの原野に拡がっていったことを、賢治は知っていました。

 賢治の場合、まさに「夢だけで」、それを実現したのが、「ポラーノの広場」という場所だったわけですね。
             ・・・The revery alone will do !


 ところで、そのアメリカの片田舎で生涯独身をつらぬいたエミリ・ディキンスンは、生前には雑誌に数篇の詩を発表しただけでした。55歳で亡くなる際に、妹に遺言を残して、「自分の残した手紙と詩は、暖炉で燃やすように」と頼んだのだそうです。しかし妹のラヴィニアは、彼女の遺品の中から1800篇もの詩稿を整理して、世に出していきました。
 賢治の方は、父親には「この原稿はわたくしの迷いの跡ですから適当に処分してください」と言い、弟には「おれの原稿はみんなおまえにやるからもしどこかの本屋で出したいといってきたら、どんな小さな本屋でもいいから出版させてくれ、こなければかまわないでくれ」と言い遺していたところが、少しだけ違っています。

 現在ではアメリカ最高の詩人とも云われるエミリ・ディキンスンの全作品は、「バートルビー文庫」で公開されています。