上は、去る9月21日に花巻農業高校にできた賢治の銅像ですが、ご存じのようにこの像は、農学校の実習田で大正14年に写したという、有名な下の写真をもとにしています。
この写真が、賢治がその敬愛するベートーヴェンの姿を模して撮らせた写真だったという話も、有名ですね。
その「ベートーヴェンの姿」ですが、多数のベートーヴェン肖像画や後世の挿絵などがある中で、「BEETHOVEN HAUS BONN」のデジタルアーカイブなどで探してみたところでは、ユリウス・シュミット(1854-1935)による下の絵画「孤独な巨匠-自然を散策するベートーヴェン」が、最も一般に知られていて、賢治の写真の題材となった可能性が高いのではないかと思います。
ちょっと角度は違いますし、帽子はかぶらず手に持っているところ、右足を踏み出しているところなどは賢治の写真とは異なっていますが、ちょっとうつむき加減の姿勢や、全体の雰囲気は似ています。
ベートーヴェンが、曲想を練りながらしきりにウィーンの森や郊外の野を歩きまわる習慣を持っていたことは同時代の人々にも知られていて、特に「田園交響曲」が人気を集めるようになってからは、「自然の中のベートーヴェン」というテーマは、何人かの画家によって取り上げられました。
19世紀後半になって、ロマン派的なベートーヴェン崇拝が広がると、メランコリーに沈み、孤独に野を散策する彼の姿は、さらに時代に好まれる題材となっていったということです。
ヨハン・ライター(1813-1890)という画家による「荒野のベートーヴェン」という下のようなちょっとこわい絵や・・・、
モーリツ・ファン・エイケン(1865-1915)という画家による下記の「アウスバッハのベートーヴェン」などは、まさにそういったロマン派的なベートーヴェン像というものを表しているようです。
一方、ベートーヴェンの歩き姿に関しては、下記のようなカリカチュアも印象的です。
この姿は、帽子を手に持たずかぶっているところが他と違います。これは、ヨハン・ペーター・リューザー(1804-1870)という人が書いたもので、その後も引用されることの多いものですが、生前のリューザーは、ベートーヴェンの実物を見たことはなかったのだそうです。
また下の絵は、1812年にベートーヴェンがゲーテと会って一緒に散策をした際に、たまたまオーストリア皇后の一行と遭遇して、ゲーテ(左端)は脱帽・敬礼して一行を見送ったのに対し、ベートーヴェン(手前)は昂然と帽子も取らずに行列を横切ったというエピソードを描いたものです。このベートーヴェンの姿も、明らかにリューザーの影響を受けていますね。
最後に下の写真は、ハイリゲンシュタットの「遺書の家」近くにある公園に、1910年に建てられたというベートーヴェンの石像です。
帽子とステッキを後ろ手に持ち、コートの前を開けているところから、この石像は、上でベートーヴェンの肖像画の最初に挙げた、ユリウス・シュミットの絵をもとにしていると思われます。
ここで、話は冒頭写真の「賢治銅像」に戻りますが、そうするとこのハイリゲンシュタットのベートーヴェン像は、このたび花巻農業高校に誕生した賢治の銅像と、元をたどれば同じ絵に由来していることになるわけですね。
つまりこれら二つの像は、時と場所を隔ててはいますが、いわば「兄弟」のような関係にあるのです。
しかし、二つの像の印象はだいぶ異なっています。
ベートーヴェンの方は大理石でできていますし、うつ向かずに「昂然と」頭を上げているのに対して、賢治が花巻でとったポーズは、19世紀後半のロマン主義の影響を受けた、「孤独で内省的な」ベートーヴェンのイメージを反映しているかのように思われます。
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