演題発表およびバラ園

 昨日は、なんとか発表を終えた気のゆるみもあり、温泉につかってテレビで阪神戦や映画を見て、ブログの更新もせずに寝てしまいました。

 ということで、まず昨日の報告から参りますと、午前中にイーハトーブ館であった「研究発表」では、泥縄式の前夜の準備も間に合って、無事20分で発表をすませることができました。会場からもいろいろ有意義なご指摘をいただきましたが、なかでも原子朗さんからは、フロアからの質問とともに休憩時間にも励ましの言葉をいただいて、感激しました。
 「『黒と白との細胞』による千億の明滅」というタイトルで私がお話したのは、ほんの小さな一つの論点と推測にしかすぎませんが、これをきっかけにして会の終了後も、いろいろな方々に暖かいお声をかけていただいたことは、望外の幸せでした。

 お昼には、会場に聴きに来てくださっていた旧知の賢治つながりの仲間とも一緒に「山猫軒」で食事をした後、私と妻はイギリス海岸に寄ってみましたが、昨日まで姿を現していたという泥岩層は、上流のダムの放流のために残念ながら水没していました。水深の浅い部分にさざ波が立っていて、泥岩の広がりをかろうじて感じさせてくれています。

イギリス海岸


 そして今日の午前中は、花巻温泉バラ園園長の高橋宏さんにお願いして、「賢治が愛したバラ」=グルス・アン・テプリッツのある、バラ園の温室に案内していただきました。今はもう本来のバラのシーズンからはるかに遅れていますので、この花そのものの姿を見られるとは期待していなかったのですが、この時期にも花を付けている株があって、幸運にも私は初めてこのバラに対面することができました。

グルス・アン・テプリッツ

 グルス・アン・テプリッツの花は、かなり大輪でグラマーな感じです。上の写真は温室の中なので陽射しはあまり当たっていないのですが、これが太陽の光を直接浴びると、「日光」という和名のごとく、もっと深い赤色に染まるのだそうです。
 また、このバラの特徴はその芳香の強さにもあって、変な喩えですが、「ローズ石鹸」の香りをもっと上品に奥深くしたような香りが、あたりに漂っていました。

 いずれにしても、これはかなり「官能的」な印象の強いバラでした。賢治がこの品種を特に愛していたというのは、そのどういうところに魅かれたんだろうか、と興味深い感じです。

 で、私が今日バラ園を訪ねて高橋園長さんにお聞きしたかった最大のポイントは、このバラを「賢治が愛していた」という話が、いかにして東京の「バラの神様」=鈴木省三氏に伝えられたのだろうか、ということでした。
 高橋さんからのお話は、かなりのところまで先月に私が国会図書館で調べて感じた印象を支持するものでした。まだわからない部分は多いのですが、以前に私が勝手に推測した「冨手一氏の関与」という仮説は、間違っていたように思われます。

 高橋さんからは、花巻のバラ界においてこの問題についてご存じかもしれない3人の方をお教えいただいたので、現在まだ不明の部分についてはいずれ調べてみたいと思います。その経過と結果については、いつか必ず当ブログにてご報告させていただきます。


 バラ園の奥の斜面を登っていくと、堂ヶ沢山の山腹に連なっていきます。そして、その昔には賢治設計の南斜花壇の最上部でもあった場所に現在は、賢治は賢治でも、「小佐野賢治氏」の胸像が建っています。
 この場所から花巻の市街の方を望むと、一部はホテルのビルに隠れてしまってはいますが、賢治が「冗語」という作品の中で「胆沢の方の地平線」と描いたような景色を、今も垣間見ることができます。

バラ園の最上部から花巻市街を望む