硅化花園の島(2)&室蘭やきとり

 花巻には2泊しましたが、今回はこれで発つことにして、9:04に新花巻駅から盛岡行きの「やまびこ」に乗りました。盛岡で八戸行き「はやて」に乗り換え、さらに八戸からは「スーパー白鳥」に乗りました。

 先日の「硅化花園の島(1)」では、「〔つめたい海の水銀が〕」に出てくる島について、津軽海峡の島をあれこれ詮索していましたが、これは結論から言えば、「賢治の事務所」の「緑いろの通信8月7日号」において加倉井さんがそっと示唆していただいたとおり、青森からの上り列車の中から見た、浅虫温泉の「湯の島」のことですね。

 詩の描写では海の景色ばかりなので、船の上からみた情景かと勘違いしていましたが、(1)「〔或る農学生の日誌〕」における「三角な島」の描写が、「海はたくさん針を並べたやう」など「〔つめたい海の水銀が〕」の描写と酷似していること、(2)詩の下書稿では「三角島」または「三稜島」と記されているが、この形は津軽海峡の「弁天島」や「武井ノ島」にはあてはまらず、「湯の島」にぴったりであること、さらに、(3)賢治たちが乗った船は青森港に午前4時30分に着いており、船に乗っている時間帯では、「うす日の底の三稜島」(下書稿(二))という描写と合わないことなどから、これは「湯の島」で間違いないでしょう。

 「野辺地」の駅を発った列車が、夏泊半島を横切って浅虫温泉にさしかかる頃、「青森挽歌」にあるように列車は一時的に「みなみへかけてゐる」状態になります。そしてその時に右側の車窓には、下のような三角形の「湯の島」が大きく見えてきます。

湯の島

 黄色い矢印のところには、ちょっと見えにくいですが赤い鳥居があります。「下書稿(二)」の題名が「島祠」となっていたこととも、ちゃんと対応しているんですね。
 賢治はこの島を、一種の竜宮城のように「硅化花園の島」と描写したわけですが、このあたりは温泉町ということで、そういった「別天地」的な雰囲気が漂っていたのでしょうか。無事に修学旅行生たちを本州まで引率してきた賢治には、この辺でほっと緊張を緩める感覚もあったのでしょうか。

 駅前食堂などと考えているうちに まもなく「スーパー白鳥」は青森に到着しました。
 青森という街は、海辺に巨大な吊り橋の「ベイブリッジ」があったり、とんがった三角形の高いビルがあったり、ぱっと見ると近代的な建築物が目立つのですが、駅前の一角には、昔ながらの駅前食堂やりんご店の並ぶ区画が残っています。昼食には、そのような一つの「一二三食堂」(右写真)に入り、「金々(キンキ)の煮付け定食」を食べました。

 お腹が満足すると、駅からタクシーに乗って、フェリー乗り場へ向かいました。
 これから、室蘭行きの船に乗るのです。

 「びなす」号賢治が1924年に修学旅行引率として乗船したのは、室蘭→青森の便ですので、今日の私はその逆向きです。しかし、前年の「噴火湾(ノクターン)」には、「室蘭通ひの汽船」が登場していました。
 私が乗ったのは左のような立派な船で、帰省Uターンの満員のお客を乗せて、13時30分に陸奥湾へ出航しました。

 天気はとてもよく、とくに陸奥湾の中ではほとんど波もありません。右手には、さっきの「湯の島」も反対側から見えて、夏泊半島より沖へ出ると、しばらくは陸地が遠ざかります。
 しかしまたしばらくすると、下北半島を「斧」に例えた場合その「刃」にあたる部分が、船の右手にずっと続くようになります。

 そして、その下北半島と別れを告げる最後に、その突端に「弁天島」が見えてきます。ちょっと見にくいですが、下写真で左端が弁天島、右側が下北半島の大間崎です。弁天島には、黒と白の縞模様になった灯台が見えます。

弁天島と大間崎

 ちなにみに前回も書いたように、賢治たちの修学旅行の往路の作品である「津軽海峡(下書稿(二)」に、

東には黒い層積雲の棚ができて
古びた緑青いろの半島が
ひるの疲れを湛えてゐる
その突端と青い島とのさけめから
ひとつの漁船がまばゆく尖って現はれる

と出てくる「青い島」は、半島との位置関係から言って、この「弁天島」のことと思われます。灯台ができたのは大正10年ということですから、賢治が見た時にもあったはずです。

 さて、何とか弁天島を見られたまではよかったのですが、船が津軽海峡に出た途端にあたりを濃い霧が包み、そのうちに細かい雨も降ってきました。その後は残念ながらデッキに出ても何も景色は見えず、航海の後半は、船室でひたすら本を読むことになりました。
 室蘭港に着いたのは午後8時でしたので、青森から6時間半かかったことになります。しかし揺れはほとんどなく、快適な船旅でした。


 というわけで、今晩は思わず室蘭に泊まることになってしまったのですが、皆さんは最近の室蘭の「名物」というと、何だかご存じでしょうか。
 それは、「やきとり」なのです。しかし、「やきとり」と言っても「鶏肉」ではなくて原則とし「鳥辰」ては「豚肉」を串焼きにするというところが、他の地域とは変わっています。また、肉とともに串に刺すのは、「長ネギ」ではなくて「玉ネギ」であるところも特徴のようです。

 街を歩いていると、「やきとり」という看板を掲げた店がほんとにたくさん並んでいて、今晩はそんなお店の一つ(右写真)に入ってきました。
 お店では、ふつうの豚肉の串焼きは、「豚の精肉」ということで「豚精(ぶたせい)」と言って注文します。塩と胡椒ををふって、強い炭火でガーッと焼いてあり、添えられた洋がらしを付けて食べると、玉ネギの甘みと豚肉の香ばしさが一体となって、それは絶品でした。