『文語詩稿』にざしき童子か

「文語詩稿 一百篇」表紙【ハーナムキヤ発-4月1日】 宮澤賢治氏の遺稿である「文語詩稿 一百篇」の中には、題名に反して実際には101篇の作品が収められているが、その原因について捜査していたハーナムキヤ警察は4月1日、「ざしき童子の混入によって1篇増えてしまった可能性がある」との見解を発表し、読者に注意を呼びかけた。
 この問題に関しては、これまで研究者から様々な学説が出され、「気前のよい作者がサービスとしてわざと1篇多く入れた」「『百一篇』と書くつもりで『一百篇』と書き損じた」「作者による単純な数え間違いだ」などの議論がかわされてきた。
 今回のハーナムキヤ署の捜査発表は、この論争にさらに一石を投ずるものと見られており、同署の「毒もみのすきな署長さん」は、会見において次のような談話を発表した。
 「ひとつも知らない顔がなく、ひとつもおんなじ顔がないので、具体的にどの作品が「ざしき童子」であるのかは断定できないが、こんなのがざしきぼっこだと思う。今日はもう帰って、早く毒もみをしたい。」

[ ニュースの言葉: ざしき童子 ]
 岩手県北上山地を中心とした伝承で、旧家の座敷に時折出現する童子の姿をした精霊。家の運勢の守護霊と考えられている。佐々木喜善が『奥州のザシキワラシの話』において1920年に紹介し、折口信夫「座敷小僧の話」(1934)や柳田国男「妖怪談義」(1956)などでも論じられている。宮澤賢治氏自身は、「ざしき童子のはなし」(1926)のなかで、「10人しかいなかったはずの子供が11人に増えた」という今回の問題と類似した事件について、次のように報告している。

「大道めぐり、大道めぐり」
 一生けん命、かう叫びながら、ちやうど十人の子供らが、両手をつないで円くなり、ぐるぐるぐるぐる、座敷のなかをまはつてゐました。どの子もみんな、そのうちのお振舞によばれて来たのです。
 ぐるぐるぐるぐる、まはつてあそんで居りました。
 そしたらいつか、十一人になりました。
 ひとりも知らない顔がなく、ひとりもおんなじ顔がなく、それでもやつぱり、どう数へても十一人だけ居りました。その増えた一人がざしきぼつこなのだぞと、大人が出てきて云ひました。
 けれどもたれが増えたのか、とにかくみんな、自分だけは、何だつてざしきぼっこだないと、一生けん命眼を張つて、きちんと座つて居りました。
 こんなのがざしきぼつこです。

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