入沢康夫『アルボラーダ』

 Amazon から、入沢康夫さんの詩集『アルボラーダ』が届きました。

 刊行されたのは昨年の9月だったのですが、先日この詩集は、「その年に刊行された詩集・歌集・句集の中からそれぞれ最も優れたもの」として「第21回 詩歌文学館賞」を受賞したのです。同賞は、北上市にある「日本現代詩歌文学館」が制定しているもので、私も以前、花巻を訪ねたついでに、この文学館には行ってみたことがありました。

 入沢康夫さんが、フランス文学研究、賢治研究、賢治全集の校訂・編集において達成してこられた業績については、ここであらためて触れるまでもありませんが、同時に(というよりも、これこそが天職でいらっしゃるのでしょうが)、現代日本を代表する詩人として、時代の最先端で新たな境地を切り開きつづけておられる様には、つねづね凄みさえ感じています。

 『アルボラーダ』に収められた作品はじつに多彩なもので、それらについて正面からコメントできるような力を、私は持ち合わせていません。ただ一方で、私は以前から入沢さんの詩集を開くたびに、各々の詩そのものの鑑賞に加えて、そこかしこに「賢治の影」をさがすという、もう一つのひそかな楽しみも持っていました。
 それは、一方的な邪道の読み方ではあるでしょう。創造物としての「詩」と、現実の賢治研究者としての入沢さんとを、勝手に結びつけるべきではないですね。しかし、全篇に「校本全集」編集作業の余燼が燻るような『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』(1978)ではもちろんのこと、最近では『唄 ―遠い冬の』(1997)に収められた「準平原の雨」や「かつて座亜謙什と名乗つた人への最後のエスキス」、また『遐い宴楽 とほいうたげ』(2002)に収められた「燃焼」などを読む時、私は一介の賢治愛好家として、また別の感動も味わっていたのです。

 こんどの『アルボラーダ』では、「哀唱自傷歌」という作品に、萩原朔太郎、草野心平とともに賢治の「像」が登場するのに加え、さらに何と、「擬川柳・笹長根(三十七句)」「続・笹長根(擬川柳十句)」という連作は、すべて賢治の童話や詩の作品世界を、まるで掌に乗るような形で鮮やかに切り取った「擬川柳」が、全部で47句も並べられているという代物です。
 私は、これらを口誦しては声を上げて笑い、また胸に熱いものを感じながら黙読しました。

 で、そのような私は、その中の一部だけでもこの場所に引用させていただくという誘惑に、どうしても打ち勝つことができません。作者様、どうかお許しください。
 下記は、「擬川柳・笹長根」の最後の二句です。これ以外の句をご覧になりたい方は、下にある本の画像をクリックすれば、Amazon の該当ページに飛んで、直接注文ができます。

     晩年
たびたび病んで 夢はポラ野をかけめぐる        九捨


     照明
電球はなくとも 光 世に満つる               複霊



入沢康夫『アルボラーダ』 アルボラーダ
入沢 康夫 (著)
書肆山田 2005-09
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