文語詩「敗れし少年の歌へる」に曲を付けるにあたって迷ったことの一つは、三連めに出てくる「夜はあやしき積雲の/なかより生れてかの星ぞ」という部分で、「生れて」は「うまれて」と読むのか、「あれて」と読むのか、ということでした。
当初私は、とりたてて考えることもなく「うまれて」と読んでいたのですが、小沢俊郎著『薄明穹を行く 賢治詩私読』(學藝書林,1976)のなかで、小沢氏が意識的に「あれて」とルビを振っておられるのを見て(右写真)、はたとその可能性に目を開かれました。
現代の送り仮名の基準では、「うまれ」は「生まれ」と表記することになっていますが、賢治は「うまれ」と読ませる場合にも常に「生れ」と書いていますので(ex.「億の巨匠が並んで生れ」、「そしてその二月あの子はあすこで生れました」・・・)、送り仮名からこの二つのどちらの読ませ方を意図したのか、区別することはできません。
そこで、意味としてはどちらの読み方が適切なのかということを考えるために、大野晋他編『岩波古語辞典』を参照すると、それぞれ次のように書かれていました。
あ・れ【生れ】《下二》 神や人が形をなして(忽然と)出現して、存在する。
うま・れ【生れ】《下二》 (1)誕生する。(2)鳥が卵からかえる。
この語義を見ると、「星が雲の中から現れて・・・」という状況の描写としては、やはり小沢さんの読みのとおり、「あれて」の方がぴったりときます。
また、音数的にも、「ナカヨリアレテ・カノホシゾ」で「七・五」となりますから、こちらの方が語調もよいですね。
ということで、けっきょく歌の歌詞としては、「♪なかより、あれて~」として曲を付けることにしました、というご報告です。
つめくさ
こんばんは。
いよいよ「その時」が近づいてきました。本当に楽しみですね。
上件も、常の如く楽しい課題ありがとうございます。ご説支持します。なお、結論は同じですが、私の印象は助詞に向かい、それはざっと次のようです。
七五調が基底の文語、その上で「うまれて」を採用するなら、直上の助詞は「に」とするのが自然。よって、あえて「より」を採るからには、下は「あれて」とするのが自然。
「てにをは」「をにと遭ったら帰れ」の如し、と言えるでしょうか。
hamagaki
つめくさ様、コメントありがとうございます。
「ヲニと遭ったら帰れ」!
そういう言葉がありましたね。私はもう何十年も忘れていましたが、中学の頃にはじめて漢文を習った初老の先生の顔とともに、いま懐かしく思い出しました。
七五調については確かにご指摘のとおり、助詞で調整できる場合には作者は当然そうしただろうから、「うまれて」と読ませるつもりならば「より」ではなく「に」としたであろう、という論拠は、まさに説得的ですね。
私としてもこれで納得することができました。ご教示ありがとうございました。
ところで、いよいよ「その時」が近づいてきました。昨夜は阪神が勝って中日が負けたために、マジックナンバーはついに 1 となり、今夜にも・・・
という話ではなかったですか(笑)。