黎明行進歌
1.歌曲について
1924年5月、賢治は花巻農学校の修学旅行の引率教諭として、生徒たちとともに北海道を旅しました。この旅行に際しては、賢治がガリ版を切って作成した『校歌集』というものを全員が携行していたらしいのですが、賢治の書いた「修学旅行復命書」には、これに関連して次のような記載があります。
銭函付近・・・車中に軍人数人あり、何処の生徒かなど問ふ。生徒等校歌集を贈り順次に各歌を合唱す。客切に悦ぶ。・・・
札幌・中島公園・・・端艇を下りてより公園音楽堂にて歌唱す。・・・
北海道帝国大学・・・四時三分案内の大学生二人に行進歌を以て謝意を表し札幌を発し、・・・
記事からは、旅行中にみんなが歌集を手に、賢治の歌を愛唱していた様子が、よく伝わってきますね。大活躍したこの『校歌集』には、賢治が赴任後に次々と作詞して生徒とともに歌った曲の数々、「精神歌」、「応援歌」、「角礫行進歌」、そしてこの「黎明行進歌」などが収録されていたと思われます。
上の北海道帝国大学における記事で、「大学生二人に行進歌を以て謝意を表し…」というのは、場の雰囲気からして、「角礫行進歌」ではなくこの「黎明行進歌」なのではないかと私は思っているのですが、どうだったでしょうか。
歌詞には、例によって賢治らしい語句(「蛇紋山地」、「朝日の酒」、「気圏の戦士」など)がちりばめられ、旧制高校の寮歌っぽい印象の、漢語の七五調になっています。
これらの語彙を検討してみると、その特徴的な部分は、「原体剣舞連」(『春と修羅』)という作品において使われている言葉と、かなり共通していることがわかります。
その具体例は、たとえば下記の通りです。
[蛇紋山地]: 「原体剣舞連」には、14行目「蛇紋山地に篝をかかげ」として登場。北上山地のことであるが、蛇紋岩を多く含むことから賢治が付けた愛称。花巻から見ると、東方すなわち夜明けに空が明らむ方角にある。
[気圏の戦士]: 「原体剣舞連」では、11行目「気圏の戦士わが朋たちよ」として登場。「気圏」とは、地球の周囲にその重力によって空気が繋ぎとめられている「大気圏」のことであるが、賢治的には、宇宙的な視野から見た地上生命の存在領域を指している。「戦士」とは、そこで苛酷な条件と戦いつつ、農に生きる若者たちのこと。
[辛酸]: 「原体剣舞連」では、7行目「アルペン農の辛酸に投げ」として登場。一般には、つらく苦しいこと。特に賢治は、北上山地のような酸性土壌の高地における農業の困難さを、「アルペン農の辛酸」と表現した。その苦労は歌曲「種山ヶ原」では、「アルペン農の汗に燃し…」と歌われる。
「黎明行進歌」が作詞されたのが正確にいつのことだったのかはわかりませんが、「精神歌」が作られた1922年2月から、斎藤宗次郎の『二荊自叙伝』に「先生自作の“黎明行進歌”というを示され且つ所感を求められた」との記載がある1923年6月5日までの間であることは確かでしょう。この期間には、「原体剣舞連」の日付である「一九二二、八、三一、」も含まれます。
賢治が原体地区で剣舞を見たのは、上の日付から5年も前の、1917年の地質調査の時だったのに、「なぜ1922年にもなってから思い出したように「原体剣舞連」という作品が書かれたのか」という問題と、「黎明行進歌」との間の語彙の共通性、時期の近接は、何か関係があるのかもしれません。
私が思うには、賢治は花巻農学校に就職して、生徒の少年たちと交流し、彼らの未来に託す夢を構想しようとした時、5年前に原体村で見た「稚児剣舞」を真摯に踊る少年たちの姿が、同年代の農学生にオーバーラップして見えたのではないでしょうか。
「原体剣舞連」に謳われているのは、「祭り」という「非日常」における少年たちの「夜」の踊り、「黎明行進歌」に謳われているのは、農学生としての「日常」の「夜明け」の場面ですが、どちらにおいても賢治は、郷土の若者たちに、岩手の苦しい現実を切り拓く可能性を託しています。
いずれにせよ、「黎明行進歌」において賢治が歌おうとしたのは、岩手の農業の「夜明け」と、それを担う青年たちへのエールです。
歌詞の二番で「金の鎌」というのは、鎌の形をした月(五日月)のことでしょう。ここでは、「銹びし鎌」に象徴される古い農業が沈んだ後に、朝日に輝きつつ、若者たちとともに新しい「犂」が現れる、という形になっています。
田畑を耕す農具である「すき」は、漢字で書くと、人間が引く「鋤」と、家畜が引く「犂」とがあります。「鋤」は「鍬」などとともに、江戸時代から使われる伝統的な農具であったのに対して、畜力を利用した「短床犂」は明治末期に完成して普及が始まり、大正時代から昭和30年頃までは、これが全国で広く使用されていたということです(参考サイト「農耕用具等」)。
ですから、歌詞に登場する「燦転」たる「犂」は、大正時代の片田舎では、新たな農業の象徴でもあったはずです。
この歌曲の旋律は、第一高等学校の寮歌「紫淡くたそがるゝ」のものを借用したものでした。単純なメロディーですが、歌詞の雰囲気とはほどよくマッチしています。
校本全集までの楽譜は、賢治の死後も関係者によって歌い継がれていたものを採譜したものでしたが(下図)、『【新】校本全集』になると、原曲である上記の寮歌の楽譜が採用されました。
しかし私としては、賢治や生徒たちが歌っていた曲にできるだけ近いものをと思い、今回は 『【新】校本全集』ではなく「校本全集」の楽譜にもとづいて、編曲および演奏を行ってみました。(このあたりの考え方については、2005年8月5日のブログもご参照ください。)
2.演奏
これは「行進歌」ということで、楽器の編成は吹奏楽としています。
さらに、この歌が「黎明=夜明け」を歌ったものであることにちなんで、冒頭の前奏では「起床ラッパ」をイメージしてみました。
3.歌詞
かの
われらが
いま
リンデの
とりいれの
ふるふ
げに
になひてともに
4.楽譜
(楽譜はちくま文庫版『宮沢賢治全集』第3巻p.591より)