「【新】校本全集」の歌曲の校訂について

 「【新】校本宮澤賢治全集 第六巻」(1996)には、賢治が作詞して生前に歌っていたと考えられる歌曲27曲が収められています。「〔旧〕校本全集」に収載されていた歌曲は、21曲でしたから、6曲もの追加があったわけです。
 賢治の没後63年も経った時期になって、これほどの追補が行われたことは、「【新】校本全集」歌曲担当編集者の佐藤泰平氏が、残された資料に取り組まれた並々ならぬ意欲のほどを、十分に示していると思います。

 また、すでに以前から全集に収録されていた歌曲に関しても、「【新】校本全集」は、かなり大幅な楽譜の見直しを行っています。
 移調や小さな修正を除き、「本格的」と言えるほどの楽譜の変更が、8曲に加えられていますが、これを表にすると、下のようになります。佐藤氏が、何を根拠にその変更を行ったのかという点も、付記しました。


歌曲名
変更内容
変更の根拠・方法

星めぐりの歌

一部のフェルマータ削除

沢里武治氏の記憶

〔一時半なのにどうしたのだらう〕

全体のリズム変更・一部の音符変更

原曲に合わせ佐藤泰平氏が修整

〔糧食はなし四月の寒さ〕

全体のリズム変更・一部の音符変更

原曲に合わせ佐藤泰平氏が修整

〔つめ草の花の 咲く晩に〕

ほとんど全面的な変更

従来の楽譜を参考に佐藤泰平氏が原曲をつぎはぎ

剣舞の歌

全般的なリズムと音程変更

宮澤清六氏の口唱(ソノシート)を佐藤泰平氏が採譜

〔北ぞらのちぢれ羊から〕

一箇所音程変更

佐藤泰平氏の口唱を宮澤清六氏が聴いた際の指摘

大菩薩峠の歌

最後2小節を1オクターブ下げる

佐藤泰平氏の口唱を宮澤清六氏が聴いた際の指摘

黎明行進歌

一部のリズムと音程変更

原曲(元歌)に合わせ佐藤泰平氏が修整


 上記のうち、「〔北ぞらのちぢれ羊から〕」や「大菩薩峠」に見られるような、「佐藤泰平氏が宮澤清六氏の前で唄ってみせて、その際の清六氏の指摘にもとづいて変更した」というパターンに関して私が思うところは、当サイトの「北ぞらのちぢれ羊から」のページで、若干述べてみました。

 今日ここで考えてみたいのは、上では4曲が該当する、「原曲に合わせ佐藤泰平氏が修整した」、あるいは「従来の楽譜を参考に佐藤泰平氏が原曲をつぎはぎした」、というパターンについてです。
 これら4曲はいずれも、何らかの「原曲」の旋律に賢治が詞を付けて、一種の「替え歌」として歌っていた歌曲です。「〔一時半なのにどうしたのだらう〕」「〔糧食はなし四月の寒さ〕」の原曲は、当時のSPレコードに入っていた「スイミングワルツ」、「〔つめ草の花の 咲く晩に〕」の原曲は George Evans 作曲の‘In the good old summer time’、「黎明行進歌」の原曲は第一高等学校寮歌「紫淡くたそがるゝ」、という具合です。
 「【新】校本全集」において、佐藤泰平氏がこれらの曲の楽譜に変更を加えたのは、校本全集までの「歌曲」の項に収められていた楽譜と、その「原曲」とされる楽譜との間に、多少とも音符が異なる箇所があったからです。

 しかしそもそもこのような音符の「ズレ」は、一般に「替え歌」というものには、よく見られる現象です。原曲の旋律に別の歌詞を当てはめようとした時に、歌いやすくするために少し旋律を変えざるをえない場合もありますし、また原曲とは別個の歌として長年歌い継がれていくうちに、徐々に旋律が変化してしまうこともあります。
 例えば、「蛍の光」は、スコットランド民謡‘Auld Lang Syne’の旋律にもとづいていますが、音符は微妙に異なっています。またもっと卑近な例では、「聖歌687番(‘Shall We Gather At The River’)」のメロディーは、日本ではかなりテンポや雰囲気も変えられて、「たんたん狸の・・・」という歌詞を付けて歌われています。
 これらは、ふだんは「替え歌」であるなどということは意識されずに、確立した一個の「歌」として歌われ定着しています。これを今さら、「原曲の楽譜と異なっている箇所は修正して、原曲のとおりに歌うべきだ」などと言うことは、ナンセンスでしょう。

 さて、賢治の歌曲の場合には、この問題はどう考えるべきでしょうか。

 まず確認しておく必要があるのは、賢治全集に載せるべき「楽譜」というのは、そもそも何を具現化することを目ざしているのか、という問題です。
 この問題の答えは、多くの作品の「テキスト校訂」が、賢治が書きつけた字句をできるだけ忠実に復元しようとしているのと同じような意味において、「賢治が生前に歌っていた旋律を、なるべく忠実に再現すること」である、と言えるでしょう。

 しかしここでもう一つ考えなければならないのは、テキスト校訂においても、作者の明らかな誤字・脱字は、それを訂正して「本文」を決定するのが通例であるように、賢治が「替え歌」を、誤って原曲と違う音符で歌っていた場合、校訂者はやはりそれを原曲に合わせて「訂正」するべきなのか、ということです。
 この問題に対する私の考えは、「歌」というのはそれが替え歌という出自を持つか否かにかかわらず、ある一定の詞と曲で定着して歌われているならば、それはそれで一つの「作品性」を持っており、「原曲」とされるものと独立した存在意義を持つのだ、ということです。「蛍の光」や「たんたん狸」も、それぞれが今のままのメロディーによって、歌としての価値を持っているはずです。
 賢治の歌曲を校訂する場合にも、目標とすべきは、「賢治がどのように歌っていたか」、という一点であり、原曲の検討はそのための手がかりの一つではありますが、「ゴール」ではないでしょう。

 このことを確認した上で、現実の賢治歌曲に戻ります。
 まず、彼の「替え歌系歌曲」の推移を、次のように表してみます。

(1)「原曲」 → (2)賢治による作詞と口唱 → (3) 賢治没後、関係者の記憶による口唱

 ここで、私たちが再現の目標とするのは(2)であるわけですが、彼の歌曲の場合、賢治自身によって書き残された楽譜というのは極少数にすぎず、ほとんどは(3)を楽譜にしたものが、旧来の全集に収められることになりました。しかし、当然ながらこれは、関係者の記憶の変化によって、賢治が自ら生前に歌っていた旋律とは異なってしまっている可能性を排除できません。
 そこで、「【新】校本全集」において佐藤泰平氏は、(1)を積極的に採用するという新たな方法を取られたわけです。

 二つの方法の妥当性の評価は、とにかく「(1)と(3)の、どちらが(2)に近いと期待されるか」ということに尽きると思います。
 そしてこの問題に対する私の考えは、「(3)の方が、(2)に近い可能性が高いだろう」というものです。

 そう考える根拠は、まず(1)→(2)の過程においては、音符の変化が相当に起こりやすいということです。先に述べたように、歌詞に合わせて意図的に原曲の旋律を変形する場合もありますし、また賢治がとった方法のように、音楽の非専門家がレコードなどで聴いた旋律を耳から憶えてそれを口唱すると、意図せずに元の音符からズレてしまうことも、しばしばあります。
 つまり、すでに賢治が「替え歌」を作った段階で、「原曲」のメロディーとは一定の相違があった可能性は大きいと思われます。

 一方、(2)→(3)の過程での変化の程度は、賢治から周囲の人へどのようにして旋律が伝えられたか、また賢治が亡くなってどれだけの時間が経ってから採譜されたか、という要因によって規定されるでしょう。
 賢治から周囲の人への伝達は、基本的には「一緒に歌う」という方法で行われたと思われますが、これは受動的に耳で聴いて憶えるのと比べると、ズレは少なくなると期待されます。また、賢治が死去してから採譜までの時間は、宮澤清六編集の『鏡をつるし』ならばわずか1~2ヵ月、文圃堂版全集でも1年で、時間の経過による風化は少ないのではないでしょうか。
 あとは、採譜が正確になされたかということも問題ですが、音楽教師である藤原嘉藤治が編集に加わっているからには、間違いは起こりにくいと思われます。

 以上のような理由から私は、(2)→(3)の方が(1)→(2)よりも、起こりうる変化が少ないと考え、したがって、(3)の方が(1)よりも、(2)に近い可能性が大きいと考えます。
 よって、「賢治がどのように歌っていたか」ということを再現することが目的であるならば、「【新】校本全集」のように(1)を採るのではなく、従来の全集のように(3)を採るべきであると考えるのです。

 「【新】校本全集」になって、歌曲の楽譜はかなり変わりましたが、なかでも特に「〔つめ草の花の 咲く晩に〕」などは、「校本全集」や「ちくま文庫版全集」に載っていた楽譜とは似ても似つかぬものになっています(下図参照)。昔の旋律で愛唱していた人には、きっと複雑な思いがあるのではないでしょうか。

 いつのことになるかわかりませんが、次の全集が編集される時には、上記のような観点からも、歌曲の校訂の方法論についてぜひとも再検討していただきたいものだと、私は思っています。

校本全集版「ポランの広場」冒頭
校本全集版

新校本全集版「つめ草の花の 咲く晩に」冒頭
新校本全集版