応援歌
1.歌曲について
1921年12月に花巻農学校に着任してまもなく、おそらく1922年のうちに、賢治は農学校の生徒らのためにいくつもの歌を作りました。「精神歌」「角礫行進歌」などとともに、この「応援歌」も、この頃の産物の一つです。これらの新鮮な歌は、小さな学校を生き生きと変えていきました。
当時まだ賢治と出会う前だった森佐一は、盛岡中学校の生徒として県下の陸上競技大会を見に行った時のことを、「ひときわ目だって変わった歌を歌う応援団があり」、これが「生徒が少ないくせに意気天をつく花巻農学校の一団でした」と回想しています。
これこそまさに、この応援歌に声を張り上げる賢治や生徒たちだったのでしょう。
しかしそれにしても、ほんとうにこれは「変わった歌」です。森佐一にかぎらず、他校の生徒はみんなびっくりしたことでしょう。
歌詞の前半部の「Balcoc Bararage …」などというのはいったいどこの国の言葉かと思いますが、これは実在の外国語ではなくて、「ペンネンネンネンネン・ネネム」とか「ケンケンケンケンケンケン・クエク」なんかと同じように、賢治が勝手に拵えたジャルゴンです。
彼らしい茶目っ気とユーモアが感じられる一方、歌っているうちに妙にもっともらしい感じになってくるのが、また不思議です。冒頭の「バルコク バララゲ ブランド ブランド ブランド!」では、これでもかと連続する'B'の破裂音が、旋律に付けられたアクセントをぴたりと強調しますし、二行目と三行目が脚韻を踏みつつ対偶のようになっているのも、なかなかに意味ありげです。
最後の二行でやっと日本語が出てきて、これはまあ「応援歌」らしい詞でもありますが、「正しいねがひは、まことのちから」というところには、やっぱり賢治らしい宗教色がにじみ出ています。ほんらいスポーツ競技というものは「正邪」の戦いではないので、自分の学校のチームに勝ってほしいと願うことを「正しいねがひ」と言うのも変な話ですが、これではまるで、賢治が生徒たちに贈る、「人生における苦難との闘いへの応援歌」のようですね。(きっと賢治にはそういう思いもあったのでしょう。)
また同時にこれらの語句は、彼が特に法華経をはじめ仏の教えのことを「まことのことば」と呼んでいたことを、思い起こさせずにはおきません。そう思って次の「やぶれ かてよ」という言葉を見ると、「破邪顕正」とか「破折」とかいう仏教用語(とりわけ日蓮系教団の)を連想してしまうのは、私だけでしょうか。
賢治はひところ「寒修行」と称して、冬の夜に大声で題目を唱え太鼓を叩きながら花巻の町を歩いていたと言われていますが、そのような宗教的熱情をどこか感じさせる歌でもあります。
2.演奏
‘VOCALOID’で作成した下の演奏では、歌詞を2回繰り返しています。1コーラス目の伴奏は、素朴でややバンカラな「応援団」のイメージですが、2コーラス目にちょっと楽器を追加してみたら、何かリオのカーニバルのようになってしまいました。(間奏部の掛け声は、「フレー、フレー、花農!」です(笑))
3.歌詞
Balcoc Bararage Brando Brando Brando
Lahmetingri calrakkanno sanno sannno sanno
Lahmetingri Lamessanno kanno kanno kannno
Dal-dal pietro dal-dal piero
正しいねがひはまことのちから
すすめ すすめ すすめ やぶれ かてよ
4.楽譜
(楽譜は『新校本宮澤賢治全集』第6巻本文篇p.387より)