角礫行進歌

1.歌曲について

 1922年の早春、農学校の生徒のために「精神歌」を作った賢治は、つづけて「角礫行進歌」なるマーチを作詞して、生徒に教えました。
 当時の生徒の一人は、次のように書き残しています。

 「精神歌」に引き続いて発表された「角礫行進歌」(曲、グーノー作曲、兵士の合唱)もすぐ教えていただき、私たちは農場に鍬をかついで実習に出かけるときなど、自然に誰が先唄するともなく高々と声をはりあげて元気いっぱいうたいながら行進したものであって、「精神歌」ともども生徒に愛誦された魂の叫び、青春の歌である。(佐藤成 著『証言 宮澤賢治先生』より)

 ほんとうに、賢治先生と生徒たちが鍬をかついで隊列をなし、この歌を高歌放吟しながら行進している様子を想像すると、うれしくなってしまいます。
 農作業の実習などというと、生徒にとっては辛かったり嫌だったりもするのでしょうが、若くて熱心な先生といっしょに、こうやって威勢のいい歌を唄いながらだったら、寒さや苦しさも吹きとんだのではないかと思います。

 歌詞は、「精神歌」と同様、格調高く勇ましいものです。「精神歌」の方は「日ハ君臨シ…」というフレーズが繰り返されて、歌いっぱいに明るい太陽の光が充満しているのに対して、こちらの方は、まだあたりに冬の厳しさが残り、「天のひかりは降りも来ず…」という言葉に象徴されるような寒景です。二つの歌は、まるで表と裏のような対照をなしています。
 しかし厳しく冷たい気候のなかでも、「われら」は荒土を破って若芽を出し、振りおろす鍬から飛び散る火花のような熱さを秘めています。
 歌詞には、「角礫」「稜礫」「腐植質(humus)」など、土壌学・地質学の用語が いろいろ出てきます。生徒たちは農作業の実習へ行く道すがら、歌によってこれらの科目の復習もできる、という趣向だったのかもしれません。
 思えば、賢治の盛岡高等農林学校卒業論文のテーマは「腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値」というもので、実はこの分野は、マルチ科学者だった賢治の、本来の専門領域だったのです。(『新校本全集』第十四巻口絵に掲載されている上の図は、賢治が羅須地人協会時代に使っていた、自筆の教材用絵図です。)
 賢治がこの歌詞を作った時期は、詩作においてはちょうど『春と修羅 〔第一集〕』の作品を書きはじめた頃で、この歌詞も同じような気魄にあふれています。教師としての賢治も、情熱でいっぱいだったのでしょう。

 賢治がこの歌詞を付けた曲は、グノーの歌劇「ファウスト」第四幕から、「兵士の合唱」の旋律でした。ゲーテの原作にはありませんが、出征していたヴァレンティンが凱旋して故郷に帰ってきた場面の歌です。彼はまもなく、愛する妹グレートヒェンが、留守のあいだにファウスト博士に誘惑され、身ごもってしまったことを知ります。

2.演奏

 下の演奏のオーケストレーションは、グノーによる原曲にほぼ忠実に作ってあります。帰還した兵士たちを迎えて、トランペットなどの金管楽器が舞台の上で勇壮に奏される場面です。
 歌は、‘VOCALOID3’の KAITO V3 と、初代‘VOCALOID’の KAITO の協演で、両端の合唱の間に、「天のひかりは…」の部分が独唱ではさまれます。

3.歌詞

氷霧ひょうむはそらにとざし、
落葉松ラーチくろくすがれ、
稜礫りょうれきの あれつちを、
やぶりてわれらはきたりぬ

    (てんのひかりはりもず、
     てんのひかりはそゝず、
     てんのひかりはしもず。
     タララララ タララララ タラララ

かけすのうた途絶とだえ、
腐植質フームスはかたくこごゆ、
角礫かくれきのかどごとに、
はがねは火花ひばなをあげし。

4.楽譜

(楽譜は『新校本宮澤賢治全集』第6巻本文篇p.385より)