河原坊-早池峯 詩群

1.対象作品

『春と修羅 第二集』

370 〔朝のうちから〕1925.8.10(定稿手入れ)

372 渓にて 1925.8.10(下書稿(四)手入れ)

374 河原坊(山脚の黎明) 1925.8.11(下書稿(二)手入れ)

375 山の晨明に関する童話風の構想 1925.8.11(下書稿(二)手入れ)

「春と修羅 第二集補遺」

〔滝は黄に変って〕(下書稿手入れ)

〔水よりも濃いなだれの風や〕(下書稿)

2.賢治の状況

 賢治は、このちょうど1年前の1924年8月にも、早池峯山に登っています。その時の作品は、「一八一 早池峯山巓」です。ふたたび同時期を選んで早池峯山に登ろうというのは、前年の思い出がよほどよかったのかもしれません。
 今回は8月10日の朝、雨の降る花巻を出発して、渓谷で烈しい雷に遭遇し、また例によって野宿をしたあと、11日にはうってかわって晴天の早池峯山に登りました。

 「三七〇 〔朝のうちから〕」という作品は、この年に開通する花巻軽便鉄道の工事のようすを描いているようです。早池峯方面に行くために、花巻駅を通りかかったときの情景なのでしょう。
 手入れ前の稿に、「くらい山根に湯宿ができたよと……」とあるように、この鉄道は、その2年前にできたレジャーランド「花巻温泉」へのアクセスとして敷設されるものでした。(1972年に廃線になって、現在その跡はサイクリングロードになっています。)
 「温泉宿」というものの雰囲気を反映させてか、線路工夫の描写や歌謡の挿入など、作品はやや卑俗な調子を帯びてユーモラスです。

 「三七二 渓にて」では、すでに北上山地の奥深くにいるようです。渓谷には濁流がほとばしり、猛烈な雷光にさすがの賢治も肝を冷やしています。
 これが改稿途中で作品番号と日付を失ったものが、「〔滝は黄に変って〕」です。

 河原坊(かわらのぼう、または からのぼう)とは、早池峯山の南にあたる登山口のひとつです。この場所については、賢治自身が語った言葉というのを、すこし長くなりますが引用しておきます。

 「僕はもう何べんか早池峯山に登りました。あの山には、ご承知かもしれませんが早池峯の七不思議といふのがありまして、その一つに河原の坊といふ処があります。・・・いひ伝へでは何でも何百年か以前に天台宗の大きなお寺のあつた跡で、修行僧も大勢集つてゐて、随分盛んなものだつたといふことです。そこでは今も朝の小暗い黎明時にひよつとするとしんしんと読経の声が聞えて来ると噂されてをります。
 先年登山の折でした。僕はそこの大きな石に腰を掛けて休んでゐたのですが、ふと山の方から錫丈を突き鳴らし、眉毛の長く白い見るからに清々した高僧が下りて来ました。その早池峯に登つたのは確か三年ばかり前なのですが、その御坊さんに逢つたのは何でも七百年ばかり前のやうでしたよ。」(小沢俊郎著『薄明穹を行く』より)

 「三七四 河原坊(山脚の黎明)」では、まさにこのような不思議な体験が描かれています。これはあきらかに、典型的な入眠時幻覚です。
 賢治はこのような体験を人一倍するほうだったようで、『第二集』のなかでは、たとえば「〔一七一〕〔いま来た角に〕」にも入眠時幻覚が出てきます。

 さて、夜が明けて、すがすがしい夏の早池峯山に登りながら、「お菓子の塔」を連想しているのが、「三七五 山の晨明に関する童話風の構想」です。ここでは、なによりもその喩えの感覚のみずみずしさをこそ、味わうべきでしょう。上記の 小沢 氏の著作にならって、この作品中に登場する譬喩とその色彩を、下記のような表にしてみました。
 この作品は、その後「〔水よりも濃いなだれの風や〕」になったあと、文語詩に改作されて、「〔水と濃きなだれの風や〕」(『文語詩稿 五十篇』)となりました。


「山の晨明に関する童話風の構想」における譬喩

たとえ たとえられたもの
1 ゼラチン
2 桃いろに燃える電気菓子 (朝日に染った雲)
3 緑茶をつけたカステラ はひまつに覆われた山
5 むかし風の金米糖 (きんぽうげの実)
6 バター wavellite(銀星石)
7 青いザラメ こめつがの針葉
9 乾葡萄 (こめつがの毬果)
10 香料 みやまうゐきゃうの香り
11 (花々の蜜)
11 エッセンス (花々の香)
20 天上の飾られた食卓 (すばらしい山景)
24 ジェリー 濃い霧
29 ぎらぎら熔けた黄金の輪宝 (晴れた日の出の太陽)
31 巨きな銀のラムプ (霧で曇った中の太陽)
39 巨きな菓子の塔 (早池峯山)