「冗語」詩碑

1.碑文
冗語
また降ってくる、
コキヤや羽衣甘藍、
植えるのはあとだ
堆肥を埋めてしまってくれ
啼いてる啼いてる
水禽園で、
頭の上に雲の来るのが嬉しいらしい
孔雀もまじって鳴いてゐる
北緯三十九度
六月十日の孔雀だな
ははは 羆熊の堆肥
かういふものをこさえたのは
恐らく日本できみ一人
どういふカンナが咲くかなあ
何だあ 雨が来るでもないぞ
羽山で降って
滝から奥へ外れたのか
電車が着いて
イムバネスだの
ぞろぞろあるく
さあこんどこそいよいよくるぞ
南がまるでまっ白だ
胆沢の方の地平線が
西はんぶんを消されてゐる
おゝい堆肥をはやく、
ぬれてしまふととても始末が悪いから
栗の林がざあざあ鳴る
風だけでない
東をまはって降ってきた
宮 沢 賢 治
2.出典
「冗語(下書稿(二))」(『〔口語詩稿〕』)
3.建立/除幕日
1996年(平成8年)10月29日 建立/除幕
4.所在地
花巻市湯本 花巻温泉バラ園
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5.碑について
透明のアクリル板でできている、めずらしい碑(?)です。バラ園の中に建てるにあたって、碑の向こう側の美しいバラも見えるようにと、透明にしたのだそうです。
詩の原文では、上記の「インバネスだの/ぞろぞろあるく」の次に、「光の加減で/みんなずゐぶん人相がわるい」という二行があるのですが、この碑文では断りなく削除されてしまっています。花巻温泉にやって来てくれるお客様に配慮しての処置なのでしょうか。
さて、この碑のある「花巻温泉」は、2kmほど北西の「台温泉」から湯を引いて、1923年に造成された人工温泉です。2年後に開通した花巻電鉄とあわせて、関西の「宝塚」のような、当時における一大レジャーランドが計画されたわけです。
この温泉に勤めていた教え子の依頼を受けて、賢治はここに二つの花壇を設計し、植樹品種の選定や土地改良のアドバイスもしました。
上の作品は、そのような作業をしていた、ある一日をスケッチしたもののようです。これを読むと、賢治は大いに楽しみながらこの仕事をしたようですが、いっぽうで「花巻温泉」というレジャーランド計画そのものに対しては、かなり厳しく批判的な見方をしていた面もありました。
たとえば、『春と修羅 第三集』所収の「一〇三三 悪意」という作品のなかでは、この温泉の計画に対して、「食ふものもないこの県で/百万からの金も入れ/結局魔窟を拵えあげる」とまで、こきおろしています。
当時なお農民たちは飢饉に苦しむ生活を余儀なくされていたことを思うと、資本家たちが金儲けのためにこんな遊興施設をつくるということを、許しがたく感じていたのでしょう。
しかし実際には、賢治自身は誰から見ても金持ちの息子であり、現に父親もこの温泉会社の出資者の一人だったのですから、このへんの心理は複雑だったと思います。
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1999年の夏、私はこの「魔窟」に宿泊してきました。
現在の花巻温泉は、国際興業グループの会社が6つのホテルと旅館を、独占的に経営するという形態になっています。
そして温泉へのアクセスとしては、国際興業が経営権を買収(1970)して以降に、東北自動車道(1977)、東北新幹線(1982)、花巻空港ジェット化(1983)という、いわゆる「高速交通三大ネットワーク」が相次いで開通しました。
「歓 花巻温泉 迎」と書かれたゲートをくぐると、それまでの 鄙びた景色が一転して、ホテルの巨大なビル群が林立する様子には、圧倒されます。
もはや、そのむかしに地元の資本家が小型電車をアクセスにして儲けようとした計画がほほえましく感じられるほど、それをはるかに越えたところまで、花巻温泉は「発展」したのです。
宿の各部屋には、『花巻温泉物語』というりっぱな本が備えつけてありました。
この本のなかでは、宮澤賢治が花壇の設計をするなどこの温泉に深く関わったことは強調されていましたが、上記のように批判的な考えを持っていたことには、当然ながら触れられていません。
というか、この本の主人公は、じつは賢治は賢治でも、国際興業の前社主で、今の花巻温泉の発展の立役者であった 小佐野 賢治 氏なのでした。
もちろん、並の経営者では、前述のような国政レベルの大規模な交通整備に、影響力を発揮できるはずもありません。
現在の花巻温泉があり、私たちが美しく豪華な温泉を楽しめるのは、ロッキード汚職事件にも名を連ねた、稀代の「政商」の隠然たる力があってこそなのでしょう。
温泉につかりながら、そんなことを考えていました。
やっぱり宮澤賢治の予言は……。

花巻温泉バラ園
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