一七一

     水源手記

                  一九二四、四、一九、

   

   帽子をそらに抛げあげろ

   ゆるやかな準平原の春の谷

   月夜の黒い帽子を抛げろ

     ―ところがそらは

      荒れてかすんだ果樹園だ…

   魔法の消えた鳥のやうに

   帽子が落ちれば

   またその影も横から落ちて

   こんどはおれが

   月夜の黒いコサックになる

     ―かれくさや潅木のなだらを截る

      このうつくしい小流れの岸…

   一梃の白い手斧が

   水のなかだかまぶたのなかだか

   ひどくひかってゆれてゐる

   ミーロがそらのアカシヤばやしではたらいてゐて

   ねむたくなっておとしたのだらう

     ―beside the bubbling brook―

   いま来た角に

   やまならしの木がねむってゐる

   雄花も紐をふっさり垂れてねむってゐる

   そんならここへおれもすはらう

   銀の鉛筆、青じろい風

   熟した巻雲のなかの月だ

     ―アカシヤばやしのうしろの方で

      苹果がぼんやり腐ってゐる…

   風…とそんなにまがりくねった桂の木

   …睡たい薄荷はすなはち風だ…

   低原(のはら)の雲はもう青ざめて

   ふしぎな縞になってゐる

     …コサック…

     …コサック…兵…

     …コサック…兵…が

          …兵…が…駐屯…

            …が…駐屯…する…

              …駐屯…する…

                  する…

   またねむったな、風…骨、青さ、

   どれぐらゐいまねむったらう

   雲がまるで臘で鋳たやうになってゐるし

   落葉はみんな落した鳥の羽に見える

     …もう鉛筆をもてない

      おれははんぶん溶けてしまはう

      このうゐきゃうのかほりがつまりそれなのだ

      どこかで 鈴が鳴ってゐる

       峠で鈴が鳴ってゐる

        峠の黒い林のなかで

         二人の童子が鈴を鳴らしてわらってゐる

          赤衣と青衣…それを見るのかかんがへるのか…

   睡ってゐた ちがったことだ 誰かゞ来てゐた

   青い星が一つきれいにすきとほってゐる

   おれはまさしくどろの木の葉のやうにふるえる

   風がもうほんたうにつめたく吹くのだ

 

 


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