「饗宴」詩碑
1.テキスト
饗宴
酸っぱい胡瓜をぽくぽく噛んで
みんなは酒を飲んでゐる
……土橋は曇りの午前にできて
いまうら青い榾のけむりは
稲いちめんに這ひかゝり
そのせきぶちの杉や楢には
雨がどしゃどしゃ注いでゐる……
みんなは地主や賦役に出ない人たちから
集めた酒を飲んでゐる
……われにもあらず
ぼんやり稲の種類を云ふ
こゝは天山北路であるか……
さっき十ぺん
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子が
みんなのうしろの板の間で
座って素麺(むぎ)をたべてゐる
(紫雲英(ハナコ)植れば米とれるてが
藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食ふのをやめて
ちらっとこっちをぬすみみる
2.出典
「饗宴(下書稿手入れ)」(『春と修羅 第三集』)
3.建立/除幕日
2014年(平成26年)3月 建立
4.所在地
花巻市桜4丁目 賢治文学散歩道
5.碑について
詩碑は、「花南地区コミュニティ会議」による「宮沢賢治詩碑周辺整備事業」の一環として、同心屋敷から賢治詩碑に続く「賢治文学散歩道」の道ばたに建てられました。
この碑のすぐ脇には、以前から「弥助橋跡」と書かれた標柱が立てられていて、そこには下記のような説明が記されています。
賢治の作品「春と修羅・第三集」所収の「饗宴」の題材になった弥助橋は、かつてこの沢にかかっていた五メートル余の農道の土橋であった。
弥助橋のかけ替え工事(大正十五年九月)には、賢治は地元の農民と共に汗を流し、さらに生家の山林から木を伐り出し橋材として提供するなど、進んで地元の人々に協力した。
すなわち、この「饗宴」詩碑は、作品の題材となった「賦役」が行われた現場に建てられているというわけです。
しかし、上の説明文の「賢治は地元の農民と共に汗を流し…」とか、「進んで地元の人々に協力した」とかいう表現は、少し考えるとちょっと違和感がありますよね。
たとえば、私が転居して引っ越し先の町内会に加入したとすると、私がその町内会の行事に参加したことを称して、「町内会の人々と共に汗を流した」、あるいは「進んで町内会の人々に協力した」などとは言わないでしょう。「共に」とか「協力」というのは、町内会に所属していない人が行った場合に使うべき言葉だからです。
したがって、上の説明文に従えば、下根子桜で農耕を始めた賢治は、「地元の農民」の一員ではなく、「地元の人々」には含まれていなかった、ということになってしまいます。
そして、これはこの説明文の書き方が不適切なのではなくて、それが当時の賢治の現実だったということなのだろうと思います。
この「饗宴」という作品にも、そのように「他所者」として賦役の後の宴会に参加賢治が味わっている「疎外感」が、切実に表れています。
「酸っぱい胡瓜」をかじりながら粗末な酒を飲むだけの集まりを、「饗宴」と呼ぶところには賢治独特の皮肉を感じますし、この宴会における賢治はまるで異世界に迷い込んだような気持ちにとらわれ、「こゝは天山北路であるか…」などと呆然と考えています。
終わりの方には、「(紫雲英植れば米とれるてが/藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)」という言葉が出てきますが、これはおそらく賢治が、稲刈り後の田んぼにレンゲを蒔いておくと稲の収量が増加すると言って、人々に勧めたことに対する反応だったのだと思われます。
賢治が盛岡高等農林学校卒業後に肥料学の講師となり、後に教授となった小野寺伊勢之助博士のことを、東北砕石工場時代の賢治は「紫雲英栽培の権威」として鈴木東蔵に紹介していますが、レンゲを田に植えておくと、その根にある根瘤バクテリアの作用によって空中窒素を固定して窒素化合物として土壌の養分にできるため、作物の収量が上がるのです。
このようなことを農芸化学的にも理解していた賢治は、近隣の農民のためを思ってレンゲ栽培を勧めてみたのでしょうが、彼のその善意は、侮蔑的な冷笑を誘っただけでした。
無力感にとらわれた賢治は、作品の最後ではその会合にやはりもう一人「場違いな参加者」として居合わせた、「顔のむくんだ弱さうな子」に感情移入をしているようです。賢治とともにその子供も、酒を飲んでいなかったのでした。
そして、下書稿初期形においては、次のようにその子に希望を託しています。
あゝわたくしもきみとひとしく
はげしい疲れや屈辱のなかで
なにかあてなく向ふを望むだけなのに
作品がスケッチされたのは、1926年(大正15年)9月3日、賢治がこの場所で農耕生活を始めてから5か月がたった頃でした。理想に燃えて開始した新生活にも、いろいろ現実との葛藤が生まれてきていた時期だったのだろうと思います。
さて、この詩碑が建てられたのは2014年3月のことで、「花南地区コミュニティ会議」による「賢治文学散歩道」の碑としては、「春」詩碑、「あすこの田はねえ」詩碑に続いて、3つめとなります。前の2つとは違って、配色もデザインもオーソドックスで落ち着いたもので、私もちょっとほっとしました。
文字の揮毫は、平成25年の南城中学校卒業生ということで、真摯な雰囲気が漂っています。