「あすこの田はねえ」詩碑
1.テキスト
〔あすこの田はねえ〕 一九二七、七、一〇、
あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね
三番除草はしないんだ
……一しんに畔を走って来て
青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
……せわしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云へ
まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け
幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
……汗だけでない
泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
……雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ……
2.出典
「〔あすこの田はねぇ〕(下書稿(二)」(『春と修羅 第三集』)
3.建立/除幕日
2013年(平成25年)3月 建立
4.所在地
花巻市桜4丁目 賢治文学散歩道
5.碑について
『春と修羅 第三集』に収められている詩「〔あすこの田はねえ〕」は、賢治自身によって「稲作挿話(未定稿)」という表題を冠されて、1928年に花巻の同人誌『聖燈』に、また翌年には『新興芸術』にも発表された作品です。賢治本人も、それなりの手応えを感じていたのでしょうし、これは後の世の現代においても、多くの人々に愛されている作品です。『春と修羅 第三集』を代表する作品の一つと言えるでしょう。
作品では、まだ少年と呼ぶべき若い農民に、賢治が農業の指導をしている様子が描かれていますが、賢治が少年に注ぐ眼差しは優しく暖かく、またその子の未来に対して賢治が託している希望は、清々しく行間から吹き渡ってくるようです。「……汗だけでない/泪も拭いてゐるんだな……」という一節は、読む者をもほろりとさせますし、最後の「……雲からも風からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ……」という最後の祈りは、いかにも賢治らしい表現で、しばしば引用もされる箇所です。
教育者として、農業者として、後の人々が宮澤賢治という人に対して抱く典型的なイメージの一側面を、象徴する作品とも言えます。
「花南地区コミュニティ会議」は、現在の「花南地区」――賢治がここで暮らし、この作品を書いた頃の呼び方では「下根子桜」――の地域おこしの一環として、あたり一帯を「賢治文学散歩道」として整備する事業を進めていますが、その中で2013年3月に、この詩を刻んだ詩碑を建立しました。前年に作られた「春」詩碑に続いて、この「散歩道」として二つめの文学碑ですが、この時期の賢治の代表的な作品として、いずれもその選定は納得のいくものです。
ところでこの詩碑には、下写真のような「挿絵」も刻まれています。
これは、作中に描かれている少年なのでしょうが、「今月末にあの稲が/君の胸より延びたらねえ/ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ/葉尖を刈ってしまふんだ」というあたりの箇所に対応しているのでしょうし、同時に、「……汗だけでない/泪も拭いてゐるんだな……」という少年の仕草も表しているのかもしれません。
碑石は、美しい桃色花崗岩でできています。ただこの「桃色」に対し、刻まれている文字は「薄青色」に着色されていて、何とも独特の対照になっています。この配色も、碑の右下に勾玉のような形をした暗灰色の部分が嵌め込まれているデザインも、前年の「春」詩碑と同じものですが、かなり変わった趣向だと言わざるをえません。
碑の裏面には、下のように刻まれていて、文字の揮毫は平成24年度の南城中学校卒業生だということです。