作品番号・日付の喪失(2)

 先週の記事では、「春と修羅 第二集」や「春と修羅 第三集」の作品が、作品番号や日付を失って「春と修羅 第二集補遺」や「春と修羅 第三集補遺」になっていった経過とのアナロジーによって、「「口語詩稿」の作品も、最初は全て作品番号と日付を有していたが、推敲の過程でそれらを失ったのではないか」と考えてみました。
 もしもそうであるなら、「口語詩稿」の作品の初期形に付けられていた作品番号は、現存する「春と修羅 第二集」や「春と修羅 第三集」の作品番号においては、「欠番」となっているはずです。

 一方、「口語詩稿」に属する各作品のスケッチが、『春と修羅』(1922年1月~1923年12月)、「春と修羅 第二集」(1924年2月~1926年1月)、「春と修羅 第三集」(1926年4月~1928年7月)のいずれに時期に属するかを検討すると、『春と修羅』の時期と推測されるものは0篇、「春と修羅 第二集」の時期と推測されるものが7篇、「春と修羅 第三集」の時期と推測されるものが45篇、不明が2篇となりました。
 すなわち、「第三集」の時期に着想されたと推測される作品が、大半を占めています。

 そこで今回は、「第二集」と「第三集」における「欠番」の状況と、「口語詩稿」の作品の着想時期を対照し、「「口語詩稿」の作品も、最初は全て作品番号と日付を有していたが、推敲の過程でそれらを失った」という上記仮説の当否について、検討してみたいと思います。

 まず、「春と修羅 第二集」に属する各作品の「日付」を横軸に、「作品番号」を縦軸にしてグラフにすると、下図のようになります。

「春と修羅 第二集」各作品の日付と作品番号

 「春と修羅 第二集」の作品を日付順に配列すると、作品番号「二」の「空明と傷痍」に始まって、作品番号「四〇三」の「岩手軽便鉄道の一月」に終わり、この間の作品番号は概ね増加していくのですが、グラフをご覧いただいたらわかるように、途中で不規則な挙動をする箇所が、いくつかあります。

 一方、「春と修羅 第三集」および「詩ノート」の各作品を、やはり「日付」を横軸に、「作品番号」を縦軸にしてグラフにすると、下図のようになります。

「春と修羅 第三集」「詩ノート」各作品の日付と作品番号

 こちらは、「七四三 〔盗まれた白菜の根へ〕一九二六、一〇、一三、」から「一〇〇一 〔プラットフォームは眩くさむく〕一九二七、二、一二、」の間に作品番号の跳躍がある以外は、漸進的に増加しています。とりわけ初期形の「詩ノート」に基づけば、「一〇〇一」から最後の「一〇九二 藤根禁酒会へ贈る 一九二七、九、一六、」までの間は、唯一の欠番である「一〇九一」を除いて、全て連続した番号になっています。
 ただし、上のグラフで線が途切れている「〔いろいろな反感とふゞきの中で〕三、一六、」と「〔いくつの 天末の白びかりする環を〕三、三一、」の2作品と、最後の3作品「台地 一九二八、四、一二、」「停留所にてスヰトンを喫す 一九二八、七、二〇、」「穂孕期 一九二八、七、二四、」は、作品番号を欠いています。

 次に、「春と修羅 第二集」と、「春と修羅 第三集」「詩ノート」における、作品番号の「欠番」を列挙すると、次のようになっています。(算用数字で表記しています)

「春と修羅 第二集」の作品番号欠番

1, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9,
10, 11, 12, 13 15,
20, 22, 23, 24, 26, 28,
30, 31, 32, 33, 34, 36, 37, 38, 39,
41, 42, 43, 44, 47, 48, 49, 50, 51, 54, 55, 56, 57, 58, 59,
60, 61, 62, 63, 64, 65, 66, 67, 68,
70, 71, 72, 76, 77, 79,
80, 81, 82, 83, 84, 85, 87, 88, 89,
94, 95, 96, 97, 98,
100, 101, 102, 103, 104, 105, 107, 108, 109,
110, 111, 112, 113, 114, 115, 117, 119,
120, 121, 122, 124, 125, 127, 128, 129,
130, 131, 132, 134, 135, 136, 137, 138,
140, 141, 142, 143, 144, 146, 147, 148, 149,
150, 151, 153, 159,
160, 161, 162, 163, 164, 165, 167, 168, 169,
170, 172, 173, 174, 175, 176, 177, 178,
180, 182, 183, 185, 186, 187, 188, 189,
190, 192, 193, 194, 197, 198, 199,
200,
302, 303, 306, 308,
310, 312, 315, 316, 318, 319,
321, 322, 323, 325, 328,
332, 334, 339,
341, 342, 344, , 346, 347, 349,
352, 353, 354, 355, 357,
367,
371, 373, 376, 379,
380, 381, 382,
402, 403, 404, 405, 406,
412, 413, 414, 416, 417, 418,
505, 507, 509,
510, 512, 513, 514, 516, 517, 518

 「春と修羅 第二集」の期間における、作品番号の欠番は、全部で212個あります。
 これだけの余地があれば、「口語詩稿」のうちで「春と修羅 第二集」の時期に属すると推測される7篇が、その現存しない初期形態においては、上記のいずれかの欠番を付与されていたと想定することは、十分に可能です。

 一方、「春と修羅 第三集」および「詩ノート」における作品番号の「欠番」を列挙すると、次のようになっています。(算用数字で表記しています)

「春と修羅 第三集」「詩ノート」の作品番号欠番

701, 702, 703, 704, 705, 707, 708,
710, 712, 713, 716, 717, 719,
720, 721, 722, 723, 724, 725, 729,
732, 737,
1091

 「春と修羅 第三集」の期間における欠番は、全部で23個あります。
 上のグラフの方で見たように、「詩ノート」において作品番号七四五の「〔霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ〕一九二六、一一、一五、」から、作品番号一〇〇一の「汽車 一九二七、二、一二、」の間には、番号の跳躍がありますが、保存されている「詩ノート」のページは連続しており、この間の番号に、作品は割り当てられていなかったものと推測されます。

 となると、「春と修羅 第三集」の時期における作品番号欠番は、上に挙げた「23個」のみということになります。この数は、「口語詩稿」のうちで「第三集」の時期の作品と推測される「45篇」という数には遠く及ばす、その約半分にしかすぎません。
 すなわち、「口語詩稿」のうち「第三集」の時期の作品に、作品番号の欠番を全て割り振っても、約半分しか埋まらないのです。

 つまり、「口語詩稿」の中で、「第三集」の時期にスケッチされた作品のうちの相当数は、最初から作品番号は持っていなかったと、考えざるを得ません。今回の記事で当初想定していた、「「口語詩稿」の作品も、最初は全て作品番号と日付を有していたが、推敲の過程でそれらを失った」という仮説は、ここに否定されたわけです。

 言い換えれば、「口語詩稿」に属する「第三集」相当時期の作品のうち、少なくとも半分程度は、最初から作品番号を持たない形で創作されたということになります。

 このような事実を受けとめた上で、賢治の口語詩の創作経過を見てみると、たしかに1928年においては、4月の「台地」および7月の「停留所にてスヰトンを喫す」「穂孕期」という3作品に、作品番号は付けられていませんし、同年6月の「三原三部」と「東京」にも、また「装景手記」の中で同年6月の花巻帰郷直後と推測される「〔澱った光の澱の底〕」にも、やはり作品番号は付けられていません。
 すなわち、賢治は1928年以降は、1924年以来の創作方針を大きく変更して、「作品番号は付けない」という形にしたのだろうと、考えることができます。

 そして、今回確認したことからすると、このように1928年になって顕在化する「作品番号を付けない」という創作態度の変化は、1927年以前に書かれた「口語詩稿」のうちから、徐々に現れてきていのだろうと、考えてみることができます。

 なぜ賢治が、一部において「作品番号を付けない」という方針に転換したのか、その意味や理由はわかりません。しかし、さらにその後の「疾中」や文語詩を見ると、「作品番号」はもとより「日付」も記されなくなっていくわけですから、これは賢治におけるこのような「創作方針の大きな変化」の、その一部分を成しているのかもしれません。

 そのような「創作方針の変化」が、趨勢として存在するのならば、「春と修羅 第二集」や「春と修羅 第三集」の作品の一部が、推敲されるうちに作品番号も日付も喪失して、「春と修羅 第二集補遺」や「春と修羅 第三集補遺」へと推移していくという現象も、その変化の一部を成しているのだと、考えることも可能です。
 ただしかし、その一方で、晩年における「第二集」「第三集」の推敲においても、作品番号と日付を変わらず維持しつづけた作品も多数あるわけですから、「作品番号・日付の喪失」という一つの「流れ」だけが存在するわけでもありません。

 すなわち、賢治の口語詩においては、「作品番号・日付の維持」と、「作品番号・日付の喪失」という、二つの流れが並行して存在しているということが、言えるのかと思います。
 そのような現象が持つ「意味」については、まだ現時点でよくわかりません。