『タネリとオホーツクの風』

 『タネリとオホーツクの風 宮沢賢治『サガレンと八月』の続編』という本を読みました。

タネリとオホーツクの風 宮沢賢治『サガレンと八月』の続編

タネリとオホーツクの風 宮沢賢治『サガレンと八月』の続編
永井 明彦 (著)
銀の鈴社 (2026/4/30)
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 表紙はオホーツクの海のような深い青色で、美しい装幀です。

 賢治の童話「サガレンと八月」は、トシの死の翌夏の樺太旅行を契機に書かれましたが、未完のまま残された断片です。
 その冒頭には、賢治の孤独と自然との交感が、印象的に記されています。

「何の用でこゝへ来たの、何かしらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 西の山地から吹いて来たまだ少しつめたい風が私の見すぼらしい黄いろの上着をぱたぱたかすめながら何べんも何べんも通って行きました。
「おれは内地の農林学校の助手だよ、だから標本を集めに来たんだい。」私はだんだん雲の消えて青ぞらの出て来る空を見ながら、威張ってさう云ひましたらもうその風は海の青い暗い波の上に行ってゐていまの返事も聞かないやうあとからあとから別の風が来て勝手に叫んで行きました。
「何の用でこゝへ来たの、何かしらべに来たの、しらべに来たの、何かしらべに来たの。」
 もう相手にならないと思ひながら私はだまって海の方を見てゐましたら風は親切に又叫ぶのでした。
「何してるの、何を考へてるの、何か見てゐるの、何かしらべに来たの。」
 私はそこでたうとうまた言ってしまひました。
「そんなにどんどん行っちまはないでせっかくひとへ物を訊いたらしばらく返事を待ってゐたらいゝぢゃないか。」
 けれどもそれもまた風がみんな一語づつ切れ切れに持って行ってしまひました。もうほんたうにだめなやつだ、はなしにもなんにもなったもんぢゃない、と私がぷいっと歩き出さうとしたときでした。向ふの海が孔雀石いろと暗い藍いろと縞になってゐるその堺あたりでどうもすきとほった風どもが波のために少しゆれながらぐるっと集って私からとって行ったきれぎれの語を丁度ぼろぼろになった地図を組み合せる時のやうに息をこらしてじっと見つめながらいろいろにはぎ合せてゐるのをちらっと私は見ました。
 また私はそこから風どもが送ってよこした安心のやうな気持ちも感じて受け取りました。

 ここは、賢治の作品のなかでも大好きな箇所の一つなのですが、これに続く童話の部分では、海辺で暮らすタネリという少年が、母親の言いつけを破ってしまったために、犬神に連れ去られ、蟹の姿に変えられてチョウザメの下男にされたところで、お話は中断しています。

 この後、物語はどんな風に展開していったのだろうかというのは、賢治ファンなら誰しも気になるところだと思いますが、その「続編」として創作されたのが、この『タネリとオホーツクの風』だというわけです。

 実は私も今から9年ほど前に、「「サガレンと八月」の続き」という記事において、この物語の続きについて想像をめぐらせてみたことがありました。
 その際に拠り所としたポイントは、①賢治が「サガレンと八月」を着想した樺太は、亡き妹トシとのコンタクトを求める傷心旅行の目的地だったこと、②チョウザメ=樺太であること、③タネリには兄がいたが、やはりタネリと同じ過ちを犯したらしいこと、という三点でした。

 まず①の点は、上にも引用した「サガレンと八月」冒頭で「農林学校の助手」が海辺に佇む場面が、「オホーツク挽歌」に描かれた情景と同じ、樺太の栄浜らしいことにも表れています。サハリンとチョウザメ「サガレンと八月」には妹のことは全く出てきませんが、作者の心中の景色は、トシを思う「オホーツク挽歌」と同じなのです。
 また、②の樺太=チョウザメという比喩は、チェーホフの『サハリン島』にも出てくるもので、その形の類似性から当時のロシアではよく言われていたようです。右図のように、その形は本当によく似ているのです。
 となると、タネリが「チョウザメの下男として海に囚われる」というのは、「樺太の海底に囚われる」という事態の比喩ではないかと考えられます。
 ここで、①とともに連想されるのが、やはりこの樺太旅行において書かれた「宗谷挽歌」の次の一節です。

こんな誰も居ない夜の甲板で
(雨さへ少し降ってゐるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、
(漆黒の闇のうつくしさ。)
私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。
それはないやうな因果連鎖になってゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
〔中略〕
われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
〔後略〕

 この樺太旅行において賢治は、もしもトシに呼ばれたならば、海の中へでも「もちろん落ちて行く」と心に決めており、「みんなのほんたうの幸福」のためならば、「私たちはこのまゝこのまっくらな/海に封ぜられても悔いてはいけない」、すなわち樺太の海に囚われてもかまわないのだと、覚悟していたのです。
 つまり、チョウザメの下男のタネリ=樺太の海に落ちた賢治、という図式です。

 最後に、③の「タネリの兄」の存在は、「サガレンと八月」において、次の母親の言葉の一か所だけに登場します。

「ひとりで浜へ行ってもいゝけれど、あすこにはくらげがたくさん落ちてゐる。寒天みたいなすきとほしてそらも見えるやうなものがたくさん落ちてゐるからそれをひろってはいけないよ。それからそれで物をすかして見てはいけないよ。おまへの眼は悪いものを見ないやうにすっかりはらってあるんだから。くらげはそれを消すから。おまへの兄さんもいつかひどい眼にあったから。」

 「おまへの兄さんもいつかひどい眼にあった」ということは、タネリと同じように、くらげを透かして物を見てしまったのだと思われ、そうすると「ひどい眼」というのは、やはりタネリと同じく、犬神によって海底に拉致されてしまったのだと考えざるをえません。
 ということは、実はタネリの兄も、タネリより先に囚われて、今なお海底にいるはずなのです。

 以上をまとめると、タネリは図らずも兄と二人して、樺太の海底という「異界」に入り込んでしまったのだということになり、するとここには、「ひかりの素足」や「銀河鉄道の夜」と同型の、「絆で結ばれた二人が異界に行き、一人はこの世に戻るが、もう一人は戻れない」というパターンが現われます。
 このパターンの背景には、「どこまでも妹について行ってやりたかったが、結局は妹一人を逝かせてしまった」という、賢治の悲痛な体験があります。

 ……というような、私の勝手な想像から、「サガレンと八月」の続きでは、タネリが海底で生き別れの兄と再会し、それから二人で何とかして地上に帰還する方法を探して奮闘するが、最後はタネリ一人だけが戻る結末になる……などという筋書きを考えてみたりしたのが、以前の拙記事「「サガレンと八月」の続き」でした。

 今回刊行された『タネリとオホーツクの風』では、もちろん上のようなトシをめぐる賢治の思いとか、「きょうだいの絆」などというテーマが出てくるわけではありません。
 この「続編」において作者が紡ぎ出しておられるのは、小さな蟹になったタネリが、海中でさまざまな不思議な生き物たちと出会い、考えを深めていく旅の物語です。そこには、「他の生き物の命を取らないと生きていけない者の葛藤」や、「何かについて考えるのが人間の本質だ」という「学者アラムハラドの見た着物」的モチーフなど、賢治らしいテーマがいろいろ出てきます。

 この本は、私が想像した続編とはかなり異なるものではありましたが、上記のようなタネリの兄の存在が、かすかに暗示されるようなところはありました。
 それから、拙記事「「サガレンと八月」の続き」では、タネリの海底脱出においては、意外とチョウザメが果たしてくれる役割があるのではないか、などと夢想したのですが、それはこちらの本でも、少しだけ仄めかされていました。


『タネリとオホーツクの風』p.115より