『春と修羅』所収「小岩井農場」の終わり近くに現れる次の箇所は、賢治がトシの死や同僚堀籠文之進との葛藤を乗り越えようとする中で、深い人間関係のあり方の三種類(ある宗教情操/恋愛/性慾)を、独特の観点で論じたものです。下記は、初版本における形態です。
ちいさな自分を劃ることのできない
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福しにいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得やうとする
この傾向を性慾といふ
5行目に出てくる「至上福し」という言葉は、「至上福祉」のことと思われ、現に「詩集印刷用原稿」においては、「至上福祉」となっています。なぜ原稿では「福祉」としていたのを、印刷時に「福し」に変更したのかはよくわかりませんが、詩的表現として何かの意図があるとは考えにくいので、たとえば印刷所の「祉」という活字に何かの不都合があったから、というような可能性も想定されます。(『春と修羅』の中に、他に「祉」という文字が登場する箇所はありません。)
さて、今日はこの「至上福祉」という言葉の意味を考えてみたいのですが、これは現在一般的に用いられる「福祉」という言葉の意味とは、少し異なっているように感じられます。
現在は、「福祉」と言えば「社会福祉」の意味で、すなわち国や自治体などの行政が、人々の生活の安寧のために行う支援的措置のことを指すのが一般的ですが、上の「小岩井農場」の用例は、こういう社会的な施策のことではないでしょう。
そこで、辞書で「福祉」という言葉の意味を調べてみると、次のようにあります。
ふく-し【福祉】
《名》(「し」は「祉」の慣用音)幸福。さいわい。現代では、特に、公的配慮による、社会の成員の物的・経済的な充足をいう。
(『精選 日本国語大辞典』)
後半の、「現代では」に続いて書かれている部分が、上で述べた社会的・行政的な意味であるのに対し、まず最初に書かれている意味は、「幸福・さいわい」です。
すなわち、「福祉」とは、もともとは「幸福・さいわい」という意味だったのです。
そこで次に、「至上福祉」という言葉の用例を「国会図書館デジタルコレクション」で調べてみると、次のようなものがありました。該当部分に、黄色マーカーを付けています。
法は(行ふものに)福を授くるもの。
故に、法を有する民は、福を授かる民、至上福祉を授かるメシア国である。(石橋智信『イスラエル宗教文化史上のメシア思想の変遷』1923)
これは、ユダヤ教における律法が、民に「至上福祉」を授けるという話です。
次は、日本の国家神道の立場からの話です。
神道の本義は、帝業大成に服務する、その実践行為に存する。しかして、天皇の御事範に敬従し奉り以て実行すべきである。何故に、天皇に敬従し、天皇の特殊地位を確認せねばならぬかというが如き外来思想は、即ち日本に於ては、容し難き不逞な考察であるが、今日これに依つて著しく帝業観念を禍されて居る。これは神道の本義を解せざることが最大原因を成すものである。斯くの如き疑惑は、帝業大成のための国家経綸たるや、神人共同の目的に基き、人生至上福祉の根蒂を成すもので、天地自然の大則に法れる、神定に由る皇謨であつたことを悟らぬから起るものである。
(高橋鶏明彦『治教原理純正神道』1935)
いずれも、それぞれの宗教における「最高の幸福」というような意味で用いられています。
これを、「至上の福祉」としても、同様の用例が多くあります。
〇憎い人の無い人、幸福なる人とは此人である。全世界に我が敵と思ふ人の一人も無い人、此は最も羨むべき人である。斯かる人に人生の困しみとては無い。万事が幸福で万事が愉快である。貧も富も寒も暑も、敵も味方も、生も死も、凡てが幸福である、感謝である。神は愛である、故に至上の
福祉 に在 し給ふ。我等も神に倣ひて愛に在りて此福祉の分与にあづかる事が出来る。「我れ平安を汝等に遣す」とイエスが言ひ給ひしは此平安である、此平安は世の与ふる所とは全く異る。而かも確実にして最も鞏固なる平安である。(内村鑑三『内村鑑三全集 第11巻』1933)
これは、内村鑑三の1926年の講演の一部ですが、「福祉」に「さいはひ」とルビが付けられて、より意味が明確になっています。
次は、仏教の話です。
四。我が永劫の
大御親 が、私共のために御本願を発 して、その救ひの大御業 を御はじめ下さつたのは、このためのみでありました。さればこそ如来は其の無辺広大の真実 を絞つて私共の受けやすいように其の御名を仕あげ、母が其胸一杯の乳を、小やかな乳房に盛つて其の嬰児に授けるやうに、其の真実 の教を以て之を私共に御さづけ下されます。私共は之を受けねばなりませぬ。又之を受けずにをられませぬ。かくて之によつて至上の覚 を開いて、さうして我が愛する者をも、同じい至上の福祉 に招かねばなりませぬ。(多田鼎『扉を開いて(伝灯叢書)』1933)
これは、浄土真宗の立場から、阿弥陀如来による救済について述べ、さらにそれによって救われて悟りを開いた者たちは、またそれぞれの愛する者を「至上の
そしてここでも、「福祉」には「しあはせ」とルビが振られていて、「福祉=幸せ」という意味が明確にされています。
多田鼎の上の文章は、「三歳の幼な子を病気で亡くしてしまった悲しみと苦しみを、どうすればよいのか」という質問に対する答えの一部なのですが、上記に続けて、次のように書かれています。
五。先だてる私共の児は、
愚 な儘 で終りました。仏縁、彼等の上に厚くあれば、今は益 御浄土に近よつてをる事と思はれますが、確に今既に覚 に入つたとは思はれませぬ。されば私共は彼等のためにも、自ら如来の大御法を受けて、之を彼等に伝へねばなりませぬ。「何とぞ此の大御法の御徳をば、我に縁のある者の総てに施して、彼等と共に永 への光に生まれたい。」之が私共の朝夕に唱ふる「回向文」の「願以此功徳 」の思召 であります。(多田鼎『扉を開いて(伝灯叢書)』1933)
ここに引用されている「願以此功徳」を含めて、上記の思想は、賢治が「小岩井農場」で書いている「じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする」という考えと、非常に近いものです。ただし、多田鼎の文章では「我が愛する者」「我に縁のある者」を、「至上の
以上見てきたように、「至上福祉」における「福祉」とは、宗教的な目標としての「幸福、しあわせ、さいわい」のことであり、「至上」とは「この上ない」という意味で、また「小岩井農場」の「宮澤家本」においてこの箇所は「まことの福し」と推敲されていることを思い合わせると、賢治がここで「至上福祉」という言葉で表現しようとしたのは、「銀河鉄道の夜」においては、「ほんたうのさいはひ」「ほんたうの幸福」「ほんたうのほんたうの幸福」「あらゆるひとのいちばんの幸福」などと呼ばれているものと、同一のものであるということが、あらためてわかります。
入沢康夫監修『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』p.78より
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