小岩井農場

   

      パート一

   

   わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた

   そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ

   けれどももつとはやいひともある

   化学の古川さんによく肖(に)たひとだ

   あのオリーブのせびろなどは

   そつくりをとなしい農学士だ

   さつき盛岡のていしやばでも

   たしかにわたくしはさうおもつてゐた

   このひとが砂糖水のなかの

   つめたくあかるい待合室から

   ひとあしでるとき……わたくしもでる

   馬車がいちだいたつてゐる

   馭者(ぎよしや)がひとことなにかいふ

   黒塗りのすてきな馬車だ

   光沢(つや)(け)しだ

   馬も上等のハツクニー

   ひとはかすかにうなづいて

   じぶんといふ小さな荷物を

   載つけるといふ気軽(きがる)なふうに

   馬車にのぼつてこしかける

    (わづかの光の交錯(かうさく)だ)

   その陽(ひ)のあたつた青いせなかが

   すこし屈んでしんとする

   おれはあるいて馬と並ぶ

   これはあるひは客馬車だ

   農場のではないらしい

   そんなら早くこっちにも

   いかゞですかといふといゝ

   馭者がよこから呼べばいい

   乗らなくたつていゝのだが

   これから五里もあるくのだし

   くらかけ山の下あたりで

   ゆつくり時間もほしいのだ

   あすこは空気も明瞭で

   樹でも艸でも幻燈だ

   おきなぐさも咲いてゐやうし

   きみかげさうもぎっしりだ

   そこでゆつくりとどまるために

   本部まででも乗る方がいい

   今日ならたしかわたくしだつて

   馬車に乗れないわけではない

   ところがどうだ

   もうこの馬車はうごいてゐる

   ひらつと横を行き過ぎる

   みちはまつ黒の腐植土で

   雨(あま)あがりだし弾力もある

   馬はピンと耳を立て

   その端(はじ)は向ふの青い光に尖り

   いかにもきさくに馳けて行く

 

   いまわたくしは歩測のときのやうに

   しんかい地ふうのたてものは

   みんなうしろに片附(づ)けた

   こここそ畑になつてゐる

   二ひきの馬が汗でぬれ

   犁(プラウ)をひいてもそもそ往つたりきたりする

   それがひわいろのやはらかな山のこつちがはだ

   山ではふしぎに風がふいてゐる

   嫩葉(わかば)がさまざまひるがへる

   ずうつと遠くのくらいとこでは

   鶯もごろごろごろごろ啼いてゐる

   その透明な群青のうぐひすが

    (ほんたうの鶯の方はドイツ読本の

     ハンスがうぐひすでないよと云つた)

   馬車はずんずん遠くなる

   大きくゆれるしはねあがる

   紳士もかろくはねあがる

   あのひとはもうよほど世間もわたり

   いまは青ぐろいふちのやうなとこへ

   すましてこしかけてゐるひとだ

   そしてずんずん遠くなる

   はたけの馬はたしかに二ひき

   ひともふたりでむやみに赤い

   雲に濾(こ)された光のために

   いよいよあかく灼(や)けてゐる

   

      パート二

   

   へたなたむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし

   雨はけふはだいじやうぶふらない

   しかし馬車もはやいと云つたところで

   そんなにすてきなわけではない

   いままでたつてやつとあすこまで

   ここからあすこまでのこのまつすぐな

   火山灰のみちの分だけ行つたのだ

   あすこはちやうどまがり目で

   すがれの草穂(ぼ)もゆれてゐる

    (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし

     かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)

   ひばり ひばり

   銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ

   たつたいまのぼつたひばりなのだ

   くろくてすばやくきんいろだ

   そらでやるブラウン運動

   おまけにあいつの翅(はね)ときたら

   甲虫のやうに四まいある

   飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と

   たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる

   よほど上手に鳴いてゐる

   そらのひかりを呑みこんでゐる

   もちろんずつと遠くでは

   もつとたくさんないてゐる

   そいつのはうははいけいだ

   そこで向ふの方からは

   こつちのやつがごく勇敢に見えるのだらう

   うしろから五月のいまごろ

   黒いながいオーヴアを着た

   医者らしいものがやつてくる

   たびたびこつちをみてゐるやうだ

   たつたひとりで一本みちを行くときに

   ごくありふれたことなのだ

   冬にもやつぱりこんなあんばいに

   くろいイムバネスがやつてきて

   本部へはこれでいいんですかと

   遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた

   でこぼこのゆきみちを

   辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら

   本部へはこれでいゝんですかと

   心細(こころぼそ)さうにきいたのだ

   おれはぶつきら棒にああと言つただけなので

   ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな気もした

   けふのはもつと遠くからくる

   

      パート三

   

   もう入口だ小岩井農場

    (いつものとほりだ)

   混(こ)んだ野ばらやあけびのやぶ

   もの売りきのことりお断り申し候

    (いつものとほりだ ぢき医院もある)

   禁猟区 ふん いつものとほりだ。

   小さな沢と青い木(こ)だち

   沢では水が暗くそして鈍(にぶ)つてゐる

   また鉄ゼルの青い蛍光

   向ふの畑(はたけ)には白樺もある

   白樺は好摩(こうま)からむかふですなと

   いつかおれは羽田県視学に言つてゐた

   ここらはよつぽど高いから

   やつぱり好摩にあたるのだ

   いったいどうだこの鳥の声

   なんといふたくさんの鳥だ

   鳥の学校にきたやうだ

   雨のやうだし湧いてるやうだ

   居る居る鳥がいつぱいにゐる

   なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く

   Rondo Capriccioso

   ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく

   あの木のしんにも一ぴきゐる

   禁猟区のためだ 飛びあがる

     (禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)

   一ぴきでない ひとむれだ

   十疋以上だ 弧をつくる

     (ぎゆつく ぎゆつく)

   三またの槍の穂 弧をつくる

   青びかり青びかり赤楊(はん)の木立

   のぼせるくらゐだこの鳥の声

     (その音がぼつとひくくなる

      うしろになつてしまつたのだ

      あるひはちゆういのりずむのため

      両方ともだ とりのこゑ)

   

      パート四

   

   本部の気取(きど)つた建物が

   桜やポプラのこつちに立ち

   そのさびしい観測台のうへに

   ロビンソン風力計の小さな椀や

   ぐらぐらゆれる風信器を

   わたくしはもう見出さない

    さつきの光沢(つや)(け)しの立派の馬車は

    いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。

    五月の黒いオーヴアコートも

    どの建物かにまがつて行つた

   冬にはこゝの凍つた池で

   こどもらがひどくわらつた

    (から松はとびいろのすてきな脚です

     向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか

     それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか

     氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです

     おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)

   けふは葱いろの春の水に

   楊の花芽(ベムベロ)ももうぼやける

   向ふははたけ

   はたけが茶いろに堀りおこされて

   廐肥も四角につみあげてある

   並樹ざくらの天狗巣には

   小さな緑の旗を出すのもあり

   遠くの縮れた雲にかかるのには

   みづみづした鶯いろの弱いのもある

   ところがどうもあんまりひばりが啼きすぎる

      育馬部と本部とのあひだでさへ

      ひばりがとても一ダースでもきかないぞ

   その逞ましい耕地の線が

   ぐらぐらの雲にうかぶこちら

   みぢかい素朴な電話ばしらが

   右にまがり左へ傾きひどく乱れて

   まがりかどには一本の青木

   雲はけふも白金(はくきん)と白金黒(はくきんこく)

   そのまばゆい明暗(めいあん)のなかで

   鳥はしきりに啼いてゐる

     (雲の讃歌(さんか)と日の軋(きし)り)

   それから眼をまたあげるなら

   灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ

   亜鉛鍍金(あえんめつき)の雉子なのだ

   あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば

   もう一疋が飛びおりる

   山鳥ではない

    (山鳥ですか? 山で? 夏に?)

   あるくのははやい 流れてゐる

   オレンヂいろの日光のなかを

   雉子はするするながれてゐる

   啼いてゐる

   それが雉子の声だ

   いま見はらかす耕地のはづれ

   向ふの青草の高みに四五本乱れて

   なんといふ気まぐれなさくらだらう

   みんなさくらの幽霊だ

   内面はしだれやなぎで

   鴇(とき)いろの花をつけてゐる

     (空でひとむらの海綿白金(プラチナムシポンヂ)がちぎれる)

   それらかゞやく氷片の懸吊(けんちよう)をふみ

   青らむ天のうつろのなかへ

   かたなのやうにつきすすめ

   いまこそおれはさびしくない

   たつたひとりで生きて行く

   もう大びらにまつすぐに進んで

   それでいけないといふのなら

   田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ

   それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……

   そんなさきまでかんがへるな

   ちからいつぱい口笛を吹け

   

      パート五  パート六

 

      パート七

   

   とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して

   すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる

   そのふもとに白い笠の農夫が立ち

   つくづくとそらのくもを見あげ

   こんどはゆつくりあるきだす

    (まるで行きつかれたたび人だ)

   汽車の時間をたづねてみやう

   こゝはぐちやぐちやした青い湿地で

   もうせんごけも生えてゐる

    (そのうすあかい毛もちゞれてゐるし

     どこかのがまの生えた沼地を

     ネー将軍麾(き)下の騎兵の馬が

     泥に一尺踏みこんで

     すぱすぱ渉つて進軍もした)

   雲は白いしひとはわたしをまつてゐる

   もう待ちかねてあるきだす

   トツパースの雨の高みから

   けらを着た女の子がふたりくる

   シベリヤ風に赤いきれをかぶり

   まつすぐにいそいでやつてくる

   (Miss Robin)だな働きにきてゐるのだな

   農夫は富士見の飛脚のやうに

   笠をかしげて立つて待ち

   白い手甲もはめてゐる、もう二十米だから

   しばらくあるきださないでくれ

   じぶんだけせつかく待つてゐても

   用がなくてはこまるとおもつて

   あんなにぐらぐらゆれるのだ

    (青い草穂は去年のだ)

   あんなにぐらぐらゆれるのだ

   空気もいゝし顔もすっかり見えるから

   ここからはなしかけていゝ

   シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)

   このひとはもう五十ぐらゐだ

    (ちよつとお訊(ぎ)ぎ申しあんす

     盛岡行ぎ汽車なん時だべす)

    (三時だたべが)

   ずゐぶん悲しい顔のひとだ

   博物館の能面にも出てゐるし

   どこかに鷹のきもちもある

   うしろのつめたく白い空では

   ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る

   雨をおとすその雲母摺(きらず)りの雲の下

   はたけに置かれた二台のくるま

   このひとはもう行かうとする

   白い種子は燕麦(オート)なのだ

     (燕麦(オート)(ま)ぎすか)

     (あんいま向(もご)でやつてら)

   この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏れてゐる

   ひじやうに恐ろしくひどいことが

   そつちにあるとおもつてゐる

   そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)

   けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり

   こはがつてゐるのは

   やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の労働なのか

     (こやし入れだのすか

      堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)

     (あんさうす)

     (ずゐぶん気持のいゝ処(どご)だもな)

     (ふう)

   この人はわたくしとはなすのを

   なにか大へんはばかつてゐる

   それはふたつのくるまのよこ

   はたけのおはりの天末線(スカイライン)

   ぐらぐらの空のこつち側を

   すこし猫背(ねこぜ)でせいの高い

   くろい外套の男が

   雨雲に銃を構へて立つてゐる

   あの男がどこか気がへんで

   急に鉄砲をこつちへ向けるのか

   あるひは Miss Robin たちのことか

   それとも両方いつしよだらうか

   心配しないでくれたまへ

   わたしはどつちもこわくない

   やつてるやつてるそらでは鳥が

    (あの鳥何て云ふす 此処らで)

    (ぶどしぎ)

    (ぶどしぎて云ふのか)

    (あん 曇るづどよぐ出はら)

   から松の芽の緑玉髄(クリソプレース)

   かけて行く雲のこつちの射手(しやしゅ)

   またもつたいらしく銃を構へる

    (三時の次あ何時だべす)

    (五時だべが ゆぐ知らない)

   過燐酸石灰のヅツク袋

   水溶(すゐやう)十九と書いてある

   学校のは十五%だ

   雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる

   遠くのそらではそのぼとしぎどもが

   大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り

   灰いろの咽喉の粘膜に風をあて

   めざましく雨を飛んでゐる

   少しばかり青いつめくさの交つた

   かれくさと雨の雫の上に

   菩提樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて

   さつきの娘たちがねむつてゐる

   爺(ぢい)さんはもう向ふへ行き

   射手は肩を怒らして銃を構へる

     (ぼとしぎのつめたい発動機は……)

   ぼとしぎはぶうぶう鳴り

   いつたいなにを射たうといふのだ

   爺さんの行つた方から

   わかい農夫がやつてくる

   かほが赤くて新鮮にふとり

   セシルローズ型の円い肩をかゞめ

   燐酸のあき袋をあつめてくる

   二つはちやんと肩に着てゐる

     (降つてげだごとなさ)

     (なあにすぐ霽れらんす)

   火をたいてゐる

   赤い焔もちらちらみえる

   農夫も戻るしわたしもそっちへついて行かう

   ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる

   みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる

     《うな いいおなごだもな》

   にはかにそんなに大声にどなり

   まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは

   このひとは案外にわかいのだ

   すきとほつて火が燃えてゐる

   青い炭素のけむりも立つ

   わたくしもすこしあたりたい

     《おらも中(あだ)つでもいがべが》

     《いてす さあおあだりやんせ》

     《汽車三時すか》

     (三時四十分

      まだ一時にもならないも)

   火は雨でかへつて燃える

   自由射手(フライシユツツ)は銀のそら

   ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす

   すつかりぬれた 寒い がたがたする

   

      パート九

   

   すきとほつてゆれてゐるのは

   さつきの剽悍(ひやうかん)な四本のさくら

   わたくしはそれを知つてゐるけれども

   眼にははつきり見てゐない

   たしかにわたくしの感官の外(そと)

   つめたい雨がそそいでゐる

    (天の微光にさだめなく

     うかべる石をわがふめば

     おゝユリア しづくはいとど降りまさり

     カシオペーアはめぐり行く)

   ユリアがわたくしの左を行く

   大きな紺いろの瞳をりんと張つて

   ユリアがわたくしの左を行く

   ペムペルがわたくしの右にゐる

   ……………はさつき横へ外(そ)れた

   あのから松の列のとこから横へ外れた

     《幻想が向ふから迫つてくるときは

      もうにんげんの壊れるときだ》

   わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ

   ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ

   わたくしはずゐぶんしばらくぶりで

   きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た

   どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを

   白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう

     《あんまりひどい幻想だ》

   わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ

   どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは

   ひとはみんなきつと斯ういふことになる

   きみたちとけふあふことができたので

   わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから

   血みどろになつて遁げなくてもいいのです

    (ひばりが居るやうな居ないやうな

     腐植質から麦が生え

     雨はしきりに降つてゐる)

   さうです、農場のこのへんは

   まつたく不思議におもはれます

   どうしてかわたくしはここらを

   der heilige Punktと

   呼びたいやうな気がします

   この冬だつて耕耘部まで用事で来て

   こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで

   なにとはなしに聖いこころもちがして

   凍えさうになりながらいつまでもいつまでも

   いつたり来たりしてゐました

   さつきもさうです

   どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は

     《そんなことでだまされてはいけない

      ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる

      それにだいいちさつきからの考へやうが

      まるで銅版のやうなのに気がつかないか》

   雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです

   あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも

   その貝殻のやうに白くひかり

   底の平らな巨きなすあしにふむのでせう

      もう決定した そつちへ行くな

      これらはみんなただしくない

      いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から

      発散して酸えたひかりの澱だ

     ちいさな自分を劃ることのできない

    この不可思議な大きな心象宙宇のなかで

   もしも正しいねがひに燃えて

   じぶんとひとと万象といつしよに

   まことの福しにいたらうとする

   それを一つの宗教風の情操であるとするならば

   そのねがひから砕けまたは疲れ

   じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと

   完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする

   この変態を恋愛といふ

   そしてどこまでもその方向では

   決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を

   むりにもごまかし求め得やうとする

   この傾向を性慾といふ

   すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて

   さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある

   この命題は可逆的にもまた正しく

   わたくしにはあんまり恐ろしいことだ

   けれどもいくら恐ろしいといつても

   それがほんたうならしかたない

   さあはつきり眼をあいてたれにも見え

   明確に物理学の法則にしたがふ

   これら実在の現象のなかから

   あたらしくまつすぐに起て

   明るい雨がこんなにはげしくそそぐのに

   馬車が行く 馬はぬれて黒い

   ひとはくるまに立つて行く

   もうけつしてさびしくはない

   なんべんさびしくないと云つたとこで

   またさびしくなるのはきまつてゐる

   けれどもここはこれでいいのだ

   すべてさびしさとかなしさとを焚いて

   ひとは透明な軌道をすすむ

   ラリツクス ラリツクス いよいよ青く

   雲はますます縮れてひかり

   かつきりみちは東へまがる

   

 


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