萩京子作曲「まなこをひらけば四月の風が」

 「疾中」所収の「〔まなこをひらけば四月の風が〕」に、萩京子さんが作曲した二重唱を、VOCALOID で演奏してみました。

まなこをひらけば四月の風が
        宮澤賢治作詩・萩京子作曲

まなこをひらけば四月の風が
瑠璃のそらから崩れて来るし
もみぢは嫩いうすあかい芽を
窓いっぱいにひろげてゐる
ゆふべからの血はまだとまらず
みんなはわたくしをみつめてゐる

またなまぬるく湧くものを
吐くひとの誰ともしらず
あをあをとわたくしはねむる
いままたひたひを過ぎ行くものは
あの死火山のいたゞきの
清麗な一列の風だ

 この曲は、萩京子さんによる「宮澤賢治の詩による重唱曲集 風がおもてで呼んでゐる」の終曲で、曲集全体の構成は、「1.馬」「2.林と思想」「3.電車」「4.かはばた」「5.風がおもてで呼んでゐる」「6.丁丁丁丁丁」「7.まなこをひらけば四月の風が」となっています。
 これらは、谷潤子(ソプラノ)・谷篤(バリトン)のお二人の委嘱によって作曲され、1991年~1992年に初演されました。カワイ出版から出ている楽譜の冒頭に、萩さんは次のように書いておられます。

晩年の『疾中』のなかの詩がみっつも含まれているのは、「死」の床から「生」を見据える視線に心惹かれたからだと思います。熱にうなされているような状態にありながら、心がしんとして、さわやかな風を感じる・・・、そのような境地は、ひとりで歌うのではなく、ふたりで歌うことに意味があるだろうとかんがえました。

 まさにそのような、しみじみとした情感があふれる二重唱曲です。

 賢治がおそらく同じ日の状況を描いた詩「眼にて云ふ」では、治療にあたる医師への感謝と思いやりを綴っているのに対して、その姉妹篇のようなこちらの詩では、心の中のつぶやきを記しています。
 自分では動けない状態でも、眼では周りの春の景色を愛で、また額の感触によって、昔登った岩手山の爽やかな風を思い出しています。

 曲は、特に前半部は毎小節ごとに拍子が変わる複雑な進行ですが、その繊細なリズムに、賢治の切実な思いが込められているようにも感じます。

 また本日、「後世作曲家の賢治歌曲」のコーナーに、「萩京子「まなこをひらけば四月の風が」ほか」のページを追加しました。

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