『春と修羅』所収の「風の偏倚」には、風で移りゆく妖しげな雲と、澄んだ空に懸かる半月が繰り広げる、夜空のドラマが描かれています。
風の偏倚
風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜 や
(虚空は古めかしい月汞 にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去になる
五日の月はさらに小さく副生し
意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲
月の尖端をかすめて過ぎれば
そのまん中の厚いところは黒いのです
(風と嘆息 との中 にあらゆる世界の因子 がある)
きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ断雲と
星雲のやうにうごかない天盤附属の氷片の雲
(それはつめたい虹をあげ)
〔中略〕
どんどん雲は月のおもてを研いで飛んでゆく
ひるまのはげしくすさまじい雨が
微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ
月の彎曲の内側から
白いあやしい気体が噴かれ
そのために却つて一きれの雲がとかされて
(杉の列はみんな黒真珠の保護色)
そらそら、B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと
苹果の未熟なハロウとが
あやしく天を覆ひだす
〔後略〕
ここで、引用部の最後から3行目に出てくる「B氏」というのは、いったい誰のことなのだろうかと気になりました。
※
このB氏は、「虹の交錯や顫ひ」を「やつた」ということですが、作品の上の方にも「それはつめたい虹をあげ」として、「虹」が出てきます。
ただしこの「虹」は、天空に弧を描いて懸かっているのではなさそうで、雲の一部が月で光っている箇所に、作者が虹のような複雑な色彩を思い描いているのではないでしょうか。「虹の交錯や顫ひ」という表現からは、そういう断片的で細かな虹を想像します。
いずれにせよ、「B氏のやつたあの虹の交錯や顫ひ」という記述からすると、B氏は「虹」に関して、何かを「やつた」人なのでしょう。
そこで、Wikipediaの「虹」の項で、虹の研究史に挙げられている人物をまとめてみると、下表のようになります。
人名 | 生没年 | 業績 |
---|---|---|
アリストテレス Aristotelēs |
前384-前322 | 虹は、人の視線が太陽に向かって反射するものだと考えた。 |
アルベルトゥス・マグヌス Albertus Magnus |
1200頃-1280 | 太陽の光線は、雲から落ちる雨粒によって何度も屈折させられ強められ、水の入ったフラスコと同じようにそれぞれの光を屈折させはね返すので、色が付くのではないかと考えた。 |
ロジャー・ベーコン Roger Bacon |
1214-1294 | 虹は大気中の水滴に太陽光が反射して現れるものだと考え、また太陽の高度が42度以上だと虹が現れないことを西洋で初めて確認した。 |
フライブルクのディートリヒ Dietrich von Freiburg |
1250頃-1311 | 水を入れた球形のフラスコに太陽の光を当てると、反射でできた光点の色が、角度によって虹の色の順に変化することを発見した。 |
ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei |
1564-1642 | 虹はつねに太陽の動く方向と同じ方向に連動して動くと述べた。 |
ルネ・デカルト René Descartes |
1596-1650 | 虹が大気中の細かな水滴で太陽光が屈折・反射して生じるものであることを明らかにし、ディートリヒと同じく水で満たした丸いガラス瓶を用いて実験を行い、虹角を42度と計算した。 |
ヤン・マレク・マルキ Jan Marek Marci |
1595–1667 | プリズムによる分光実験によって、光は屈折角の相違で分かれることを示し、また一度分光した光をさらに屈折させても分光しないことを発見した。 |
アイザック・ニュートン Isaac Newton |
1642-1727 | プリズム一対に凸レンズとスリットを組み合わせた実験を行い、一度プリズムで分けた光をまた一つにまとめるともとの白色光になることを実験で示し、白色の太陽光線は、虹のような色の光が混じり合ったものであることを証明した。 |
ご覧いただけばわかるように、「虹」の研究において何かを「やつた」と言える上記の人物のうち、「B氏」というイニシャルを持つのは、ロジャー・ベーコン氏一人だけです。
そこで、ロジャー・ベーコンという人とその虹に関する研究について、少し見てみます。
※
ロジャー・ベーコン像
(Wikimedia Commonsより)
ロジャー・ベーコン(Roger Bacon, 1214-1294)は、中世イギリスで活躍した修道士・神学者・哲学者で、その博識のために「驚嘆の博士(Doctor Mirabilis)」とも呼ばれたということです。しかし、ベーコンの学問の最大の特徴は、当時の学者がえてして思弁的・演繹的な議論に終始する傾向があった中で、経験知や実験観察を重視するという、革新的な態度をとったことにありました。
ベーコンの主著は、『大著作(Opus Majus)』という878ページにわたる論文で、この第六部が「経験学」と名づけられ、虹に関する彼の学説もこの部分に収められています。
その第二章でベーコンは、虹のスペクトル色が観察される様々な現象について、次のように書いています。(『科学の名著〈3〉ロジャー・ベイコン』朝日出版社, pp.366-367, 高橋憲一訳)
それゆえまず経験家なら、前述の秩序だった色や形を発見するために、諸事物すなわち可視物を考察するであろう。たとえば、彼はソリヌスの『世界奇蹟譚』では虹と呼ばれている、アイルランド産あるいはインド産の六角石を手にとり、それを窓を通ってくる太陽光線の中にかざし、虹と同じ配列をしたそのすべての色を光線のそばの不透明物体のうちに発見しようとする。そしてさらに経験家自身が薄暗い場所へ移り、やや細めた眼のそばに石を置くと、虹におけるのと同じ配列をした色をはっきりと見るであろう。
〔中略〕
またさらに彼は漕ぎ手たちについて考察する。そしてあげたオールによってまき散らされた水飛沫を太陽光線が通過するとき、その水飛沫のうちに〔虹と〕同じ色を体験する。粉ひき屋の水車からおちる水についても同様である。また夏の朝、牧場や原っぱで水露をつけた草をみるとき、人はそこに色をみるであろう。同様に、雨が降っているとき、もし彼が薄暗い場所に立っていて、彼の先を光線が雨だれをこえてゆくならば、そのとき付近の不透明物体中に色が現れるであろう。まと夜しばしば蝋燭のまわりに色が現われる。夏、夢から覚めてまだ両眼が十分に開いていないとき、すぐさま太陽光線のさし込む穴をみると、そこにもやはり色をみるであろう。また日向ぼっこしている人が、その頭被を両眼の先に広げたとき、その人は色をみるであろう。また同様に、片眼を閉じると眉毛の影の下で同じことが起こる。さらに太陽光線の中に水を満たしたガラス容器を置いても同じことが起こる。あるいは或る人が、口に水をふくんで光線の中にその水を強くふきかけ、光線の側面に立ってみても同様のことが起きる。またもし空中にかかっている油のランプを、光が油の面に落ちるようなしかるべき位置で光線が通過するならば、色が生ずるであろう。そして勤勉な経験家ならば見いだすことを知っているように、自然的であれ人為的であれ、無数の仕方でこうした色が生じている。
ここでベーコンが列挙している、六角形の水晶を通った光や、ボートのオールや水車で散る水しぶきや、牧場の草の夏の朝露や、薄暗い場所から雨だれを通して見る光や、夜の蝋燭の周囲や、夏の夢から覚めた時に光がさし込む穴……等々、これら身辺の現象に現れる小さな虹色の光の数々は、まさに「あの虹の交錯や顫ひ」と表現するにふさわしいものではないでしょうか。
ベーコンの『大著作』の第六部ではこの後、虹の円弧が取りうる高度は最高で42度であることや、虹は観察者の眼球を頂点とする円錐の底面の円に沿って現れることなどが考察され、「二人が一つの同一の虹を見ることは不可能である」、あるいは「虹はただ太陽の反射光線によってのみ見られる」という独自の命題が述べられ、これらがベーコンによる虹研究の業績と言えます。
ただ、「風の偏倚」における描写との関連が想定されるのは、上の引用部分で様々に現れる、虹色の断片です。
※
ということで、「風の偏倚」に出てくる「B氏」がロジャー・ベーコンであると、完全に断定することまではできないかもしれませんが、虹の主要な研究者でBがつくのは彼しかいないことからしても、その有力な候補だろうと思います。
ロジャー・ベーコンは、「近代科学の先駆者」として科学史的にはかなり重視されている人で、また上記の六角石(六角形の水晶)を通した光のスペクトルについて述べている箇所は、それなりに引用されることもあるようですので、賢治も鉱物学を学んだ際などに触れた可能性もあると思います。
全くの余談ですが、ウンベルト・エーコの素晴らしいミステリー小説『薔薇の名前』において、主人公のフランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムが師と仰いでいたのが、このロジャー・ベーコンだったという設定になっていました。ウィリアムは、この偉大な師について、次のように述べます。
「ただしロジャー・ベーコン、この方を私は師と仰いでいるのだが、この巨匠の説かれた言葉によれば、神の意図はやがて聖なる自然の魔術すなわち機械の科学となって実現されてゆくであろうという。また、人はやがて自然の力を用いて航海のための装置を造りあげ、船舶は〈人ノ力ノ支配ニヨッテノミ〉進むことができるようになるであろう、帆や櫂で進むよりもはるかに迅速に航行できるようになり、さらには地上を走る車も別種のものになるであろうという。(東京創元社『薔薇の名前』上巻p.32)
映画「薔薇の名前」で、僧衣を着たショーン・コネリーが演じていたウィリアム修道士の知性の輝きを見ると、同じくフランチェスコ会に属していたロジャー・ベーコンも、きっとこんないでたちだったのではないかと想像してしまいます。
最後に下の絵は、ダドリー・テナントというイギリスの画家が描いた、「虹を研究するロジャー・ベーコン(Roger Bacon studying a rainbow)」というリトグラフです。書斎に閉じこもるのではなく、このように野外で真摯に自然と向き合うのが、ロジャー・ベーコンのやり方だったのでしょう。
上の引用部分に見られるような生き生きとした観察に、その一端が現れているように思います。
Dudley Tennant: Roger Bacon studying a rainbow
(Bridgeman Imagesよりウェブ公開用に購入済)
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