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『大智度論』の閻浮檀金

 「亜細亜学者の散策」の下書稿(一)は「単体の歴史」と題され、下記のような内容です。

一五四
   単体の歴史
               一九二四、七、五、
紺青の湿った山と雲とのこっち
夕陽に熟する古金のいろの小麦のはたけ
    いいえ、わたくしの云ひますのは
    いまのあんな暗い黄金ではなく
    所謂 竜樹菩薩の大論の
    あるひはそれよりもっと前の
    むしろ quick gold といふふうの
    そんなりっぱな黄金のことです
いま紺青の夏の湿った雲のこっちに
かながらのへいそくの十箇が敬虔に置かれ
いろいろの風にさまざまになびくのは
たしかに鳥を追ふための装置ではあるが
またある種拝天の余習でもある
  ……粟がざらざら鳴ってゐる……

      ※ 物質の特性は定量されないほどの
        僅かづつながら時間に従って移動する
        といふ風の感じです 誰でももってゐる
        ありふれた考ですが今日は誰でもそれを
        わざと考へないやうにしてゐるやうな
        気もするのです

 ここでは、色づいた小麦が夕陽に照らされ輝く様子が、「古金のいろ」と形容されています。
 賢治の言う「古金のいろ」とは、「いまのあんな暗い黄金ではなく」、「所謂 竜樹菩薩の大論の/あるひはそれよりもっと前の/むしろ quick gold といふふうの/そんなりっぱな黄金のこと」だとのことですが、これはいったいどういうことなのでしょうか。

 テキストの最後にある註釈的な部分を参考に推測してみると、賢治が言いたかったのは、「金」という「物質の特性」は、「僅かづつながら時間に従って移動」していて、昔は今よりももっと美しく立派な色だったのではないか、ということのようです。
 このような、物質の(仮想的な)時間的変化のことを、賢治はタイトルで「単体の歴史」と呼んでいるのでしょう。「単体」とは、固体なら金(Au)とか銀(Ag)とか、気体なら酸素(O2)や水素(H2)のように、一つの元素だけでできている純物質のことです。

 本文5行目の「所謂 竜樹菩薩の大論の……」の箇所で賢治が言おうとしているのは、その昔の立派だった黄金については、龍樹が「大論」で言及している、ということなのでしょう。龍樹ナーガールジュナは、紀元2世紀のインドの高僧で、その著作としては「空」の理論を大成した『中論』が有名ですが、ここに出てくる「大論」とは、(真偽に諸説あるものの)龍樹の作とされ鳩摩羅什による漢訳のみが残っている『大智度論』のことです。

20220429a.jpg そこで、『大智度論』を調べてみると、(全100巻ある)その第35巻に、「閻浮檀金えんぶだんごん」という黄金が出てきます。(右画像は、国会図書館デジタルコレクションより、『国訳大蔵経:昭和新纂. 論律部 第5巻』p.25)

閻浮提えんぶだいの如しとは、閻浮は樹の名にして、其林そのはやし茂盛もじやうし、此樹このじゆは林中に於て最も大なり。だいなづけてしうと為す。此洲の上に此樹林あり。林中に河底有り、金沙あり、なづけて閻浮檀金えんぶだんごんと為す。

 この「閻浮檀金えんぶだんごん」について、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」では、次のように説明されています。

サンスクリット語 Jambūnada-suvarṇa の音写。閻浮那陀金,えん浮那他金などとも書かれる。仏教の経典中にしばしばみられる想像上の金の名称。その色は紫を帯びた赤黄色で,金のなかで最もすぐれたものとされる。経典にみられる香酔山の南,雪山の北に位置し無熱池のほとりにある閻浮樹林を流れる川から採取されるのでこの名称がある。

 ということで、この閻浮檀金というのは、やはり「想像上の」存在なのです。

 上の説明にもあるように、この「閻浮檀金」は「仏教の経典中にしばしばみられる」ようですが、たとえば『観無量寿経』には次にように出てきます。

【十七】仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「この想成じをはらば、次にまさにさらに無量寿仏の身相と光明とを観ずべし。阿難まさに知るべし、無量寿仏の身は百千万億の夜魔天の閻浮檀金色えんぶだんごんじきのごとし。仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なり。」(本願寺出版社『浄土三部経』p.324)

 このような理想化された「金」のことを、賢治は上のテキスト中で"quick gold"とも呼んでいます。『定本 宮澤賢治語彙辞典』によれば、これは「水銀の英語 quick silver から連想した造語であろう」ということです。ここでの"quick"は「素早い」ではなくて、古い英語の「生きている」という意味だそうで、つまり「生きている金」ということになるのでしょう。
 すなわち、諸々の経典や龍樹の『大智度論』に述べられている昔の立派な「閻浮檀金」は、「いまのあんな暗い黄金」と比べると、「生きている金」とも言えるというわけです。

 結局のところ、豪華なレトリックを散りばめられた昔の神話的な・伝説的な物質と、いま私たちの目の前にある現実の物質とを比較すると、どうしてもギャップを感じてしまうことから、「その差は、物質が歴史的に少しずつ変化してきた結果ではないか」と、賢治がファンタジックな想像をしてみたということでしょうか。

 しかし、冒頭に掲げた初期形のテキストにおいて賢治が本当に言いたかったのは、夕陽に照らされた小麦の輝きは、現実のどんな黄金よりも美しい、ということだったのでしょう。その喩えのために、現実の黄金を超越する美の象徴として、仏典中の伝説の黄金が挙げられたということかと思われます。

 思えば、黄色と青色に塗り分けられたウクライナの国旗も、平原に広がる小麦畑の黄金色と、空の青色から来ているという説があります。

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オデッサ州の小麦畑(ウィキメディアコモンズより)