一五四

     亜細亜学者の散策

                  一九二四、七、五、

   

   気圧が高くなったので

   地平の青い膨らみが

   徐々に平位に復して来た

   蓋し国土の質たるや

   剛に過ぐるを尊ばず

   地面が踏みに従って

   小さい歪みをなすことは

   天竺乃至西域の

   永い夢想であったのである

   

   紫紺のいろに湿った雲のこっち側

   何か播かれた四角な畑に

   かながら製の幢幡とでもいふべきものが

   八つ正しく立てられてゐて

   いろいろの風にさまざまになびくのは

   たしかに鳥を追ふための装置であって

   誰とて異論もないのであるが

   それがことさらあゝいふ風な

   八の数をそろへたり

   方位を正して置かれたことは

   ある種拝天の余習であるか

   一種の隔世遺伝であるか

   わたしはこれをある契機から

   ドルメン周囲の施設の型と考へる

   

   日が青山に落ちやうとして

   麦が古金に熟するとする

   わたしが名指す古金とは

   今日世上一般の

   暗い黄いろなものでなく

   竜樹菩薩の大論に

   わづかに暗示されたるもの、

   すなはちその徳はなはだ高く

   その相はるかに旺んであって

   むしろ quick gold ともなすべき

   わくわくたるそれを云ふのである

   水はいつでも水であって

   一気圧下に零度で凍り

   摂氏四度の水銀は、

   比重十三ポイント六なるごとき

   さうした式の考へ方は

   現代科学の域内にても

   俗説たるを免れぬ

   

   さう亀茲国の夕日のなかを

   やっぱりたぶんかういふふうに

   鳥がすうすう流れたことは

   そこの出土の壁画から

   だゞちに指摘できるけれども

   池地の青いけむりのなかを

   はぐろとんぼがとんだかどうか

   そは杳として知るを得ぬ

 

 


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