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溢れ出るシニフィアンの頃

 2013年にNHKの朝ドラ「あまちゃん」の主演をした、能年玲奈さんという役者さんがおられますが、彼女は所属事務所とのトラブルが原因で、戸籍上の本名でもある「能年玲奈」という名前での芸能活動を、禁じられてしまいました。「あまちゃん」で一躍お茶の間のヒロインとなったにもかかわらず、それ以来彼女は一般のTVドラマには出演できない状態が続いていますが、しかしその後「のん」という芸名で活動を再開し、今では映画、舞台、音楽など、様々な分野で輝かしい活躍を続けておられるのは、皆様ご存じのとおりです。

 このような「名前を奪われる」という出来事から連想するのは、スタジオジブリのアニメ映画「千と千尋の神隠し」です。
 この物語の冒頭で、主人公の荻野千尋という女の子は、魔女の湯婆婆に名前を剥奪され、自由を奪われて湯屋で奴隷のように働かされます。名前を失くした彼女にその代わりとして与えられたのが、元の「荻野千尋」の断片である「せん」であったことは、「のうねんれな」が芸能界の見えない巨大な力によって「のん」に変えられてしまった悲劇に、何とも似ているように感じられます。

 「名前」というのは単なる「記号」にすぎず、その記号が指し示す「本体」や「内容」の重要性に比べると、取るに足りないものと思われている節もありますが、上のような例が明らかにしてくれるように、時には本体を拘束して自由を奪い、また時には突き動かしたりもするのです。そのために、古今東西の人々は、名前というものを恐れ、名前に呪縛をかけられないように「本当の名前」を秘匿するなどの手段も、講じていました。
 記号論の言葉で言えば、「名前などの記号表現=意味するものシニフィアン」と、「それによって指し示される内容=意味されるものシニフィエ」との結びつきにおいて、時にシニフィアンの方が優位に立って、シニフィエを支配する側面もある、ということでしょうか。

 ここで宮澤賢治に目を転じると、彼の作品について私がとりわけ感じるのは、やはり「シニフィアンの優位」ということなのです。
 賢治の作品が素晴らしいのは、そこに盛り込まれている彼の深い思想や、そこに描かれている人情の機微や自然の圧倒的な美しさによるところもたしかに大きいでしょうが、それ以前に何よりも、彼の書いた作品が「コトバとして」美しく、私たちの目や耳や心に入ってきた途端に躍動する、という性質を持っていることを、見逃してはならないと思います。

 たとえば、次のようなテキスト……。

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)

(「春と修羅」)

 ここに連ねられている言葉の「意味」は、それはそれとして研究者がその深みを探索してきたにせよ、まあ普通に読んだだけでは、何のことを言っているのか正直よくわかりません。
 しかし、意味などわからなくとも確かに何かは感じられます。私は高校生の頃にこの詩をはじめて読んだ時、もちろんその意味はほとんどわかりませんでしたが、何とも表現しがたい、壮麗で重大で痛切な感じが、激しく迫ってくるのを感じました。そしてこの感じは、どこがどう似ているとか説明することはできなかったのですが、ベートーヴェンの音楽のようだと思いました。

 あるいはまた、次のようなテキスト。

   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装いさうのげん月のした
とりの黒尾を頭巾づきんにかざり
片刃かたはの太刀をひらめかす
原体はらたい村の舞手おどりこたちよ
ときいろのはるの樹液じゆえき
アルペン農の辛酸しんさんに投げ
せいしののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮まだかはと縄とをまとふ
気圏の戦士わがともたちよ

(「原体剣舞連」)

 こちらの方が、言葉の意味自体は少しわかりやすいかもしれませんが、しかしこれらの文字の奧底からあふれ出してくる、激しい地鳴りのようなものは、その意味内容以上に、ここに並べられている言葉の響きや韻律によって、醸し出されているように思われます。これはまた「春と修羅」とは別の種類の、しかしやはり音楽的な、感興を与えてくれます。

 このように、テキスト自体が非常に強い力を持って、自律的に躍動しているような賢治の作品をあれこれ読んでいると、いつしか音楽を聴いたり、動的な造形作品を眺めたりしているような気分になってきて、そこで用いられている外形的なコトバ(シニフィアン)と、その実際の意味内容(シニフィエ)が、奇妙に分離しているような感じに襲われます。シニフィアンが、その意味内容を置き去りにして、勝手に飛びまわり、遊びまわっているような感じです。

融銅はまだくらめかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたりかげつたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれてゐる
おれは新らしくてパリパリの
銀杏いてうなみきをくぐつてゆく
その一本の水平なえだに
りつぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはつて
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない

(「真空溶媒」)

 こういう賢治のテキストを読んでいると、銀杏の枝にぶら下がっている「りつばな硝子のわかもの」が、もうたいてい「三角にかはつて」いたとしても、「そんなにふしぎなことでもない」ように思えてきます。「それはいったいどういうこと?」などと気にせずに、そこにコトバが構築している世界の中に、いつしか入っていけるようになるのです。

 こういった文脈において、詩集における次の作品である「蠕虫舞手アンネリダタンツエーリン」は、なかなか示唆的です。

 (えゝ 水ゾルですよ
  おぼろな寒天アガアの液ですよ)
日は黄金きんの薔薇
赤いちいさな蠕虫ぜんちゆう
水とひかりをからだにまとひ
ひとりでをどりをやつてゐる
 (えゝ、エイト  γガムマア  イー  スイツクス  αアルフア
  ことにもアラベスクの飾り文字)

(「蠕虫舞手」)

 水の中で、小さなボウフラが一心に踊っている様子を、「飾り文字」のように見立てているわけですが、ここで舞手が表現している「8γe6α」という文字列には何の意図や意味もなく、まさに「シニフィエから解放された純粋なシニフィアン」として、無邪気に戯れつづけているのです。

 以上は、詩集『春と修羅』の中でも比較的初期、すなわち1922年の前半に着想された作品群ですが、おそらく同じ時期に書かれた童話「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」は、冒頭に挙げた「のん」「せん」という「シニフィアンの剥奪・過少」とは全く対照的な、「シニフィアンの過剰」に度肝を抜かれるような作品です。
 「ペンネンネンネンネン・ネネム」という、主人公の名前がまず何より過剰の極みですし、このお話にはこれ以外にも、「ケンケンケンケンケンケン・クエク警察長」とか、ばけもの「ウウウウエイ」とか、奇術師「テン・テンテンテン・テヂマア」とか、「ハンムンムンムンムン・ムムネ市」とか、過剰な固有名詞がいっぱい出てきます。フゥフィーボー博士は、「プウルウキインイイの現象」を説明するために、黒板に「みみずのやうな横文字を一ぺんに三百ばかり書きました」というのですから、ここにも過剰な記号が溢れています。
 話の内容も、読者に対してたとえば「皆さんは、もし世界裁判長になって周囲から褒めそやされても、慢心せず地道に生きていきましょう」などという教訓を伝えようとするものではなく、ただもう奇想天外なストーリーが延々と展開されていく、という感じです。
 超現実的で奇天烈なキャラクターが、一方的に自分勝手に活躍し、何が不思議で何が不思議でないという境目がわからなくなっていく様子は、「真空溶媒」にも似ています。

 ところではたして賢治は、こういった作品によって、いったい何を言いたかったのだろうか、という疑問が湧いてきますが、おそらくその答えは、そこに特別の意味やメッセージはない、ということなのではないでしょうか。
 ただただ、己れの中から溢れ出てくるシニフィアンの奔流を、そのシニフィエなんかに頓着せず、ひたすら書きとめ、推敲した結果として生まれたのが、これらの作品群だったのではないでしょうか。その中には、堅固な交響曲のような形に結晶したものもあれば、シュールレアリスムの絵画のような外見をとったものもあった、ということのように思えます。

 ここで連想するのは、かねてから入沢康夫さんが、「詩人がいて、その詩人が何かその人独自の伝えたいことを持ち、それが表現されて作品が産まれ、読者はその作品を読んで、作者の伝えようとするものを正確にキャッチし、そしれそれに十全に共感する、という図式を、詩に関してはぼくは信ずることができない」(『詩の構造についての覚え書』p.11)と若い頃に書き、そして最後までツイッターのプロフィールに「「詩は感想や印象を述べたり、演説をしたりするためにあるのではない」というのが、以前からの私の実感。」と掲げておられたことです。
 入沢さんの思考をここで汲み尽くすことは私の力を越えていますが、しかし入沢さんのおっしゃっているのもまた、詩というのは「作者の伝えようとするもの=シニフィエ」を読者に伝達するためのものではない、ということであり、それは言いかえればやはり「シニフィアンがシニフィエよりも優位にある」ということなのではないでしょうか。

 ただ、賢治のように稀有な才能も、生涯にわたってずっとこんなシニフィアンの奔流を抱えていたわけではなくて、「春と修羅 第二集」から「春と修羅 第三集」へと進むにつれて、表現は徐々に大人しくなっていきますし、さらに晩年の文語詩に至っては、上記とは全く対照的に、過少な言葉の中に、極端に凝縮した意味を込めようとするようにもなっていくのです。(ここでは、逆にシニフィエがシニフィアンを上回っているようです。)

 おそらく、思春期からずっと短歌を作っていた賢治が、「短唱」と呼ばれる過渡的形態を経て、他に類をみないほどの長大な口語詩を作るようになっていったのも、このように溢れ出てくる過剰なシニフィアンを、もはや三十一文字の定型に収めることができなくなったからとも言えるでしょう。
 すなわち、賢治の天賦の才と言えるこの過剰なシニフィアンの横溢も、ピークはせいぜい1922年~1923年という比較的短期間だったのではないか、と思います。

 そしてこの時期こそが、「心象スケッチ」の最盛期だったと言えるのではないでしょうか。というか、そもそも賢治が「心象スケッチ」という作業を始めた動機も、自己の内から爆発的に溢れ出てくるシニフィアン群に自らも驚き、これを何とか記録に残しておこうとしたことにあったのかもしれません。

 ところでちょうど一昨日、宮沢賢治学会イーハトーブセンター主催の夏季セミナー「宮沢賢治とオノマトペ」が開催されたということですが、賢治のオノマトペが独特なのも、こういった「過剰なシニフィアンの奔流」という現象に関係があるのではないかと、考えたりもします。
 たとえば「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」に出てくるオノマトペを一瞥しても、おかみさんは「ポオ、ポオ、ポオ、ポオ」と泣き、ウウウウエイは「ケロ、ケロ、ケロロ、ケロ、ケロ」と笑い、チャリネルという楽器は「トッテントッテントッテンテン」と鳴り、奇術大一座の見物客は「きちがひ鯨のやうな声」で「ケテン! ケテン!」と怒鳴るなど、独創的なオノマトペで溢れかえっています。最後の火山の爆発は、「ガアン、ドロドロドロドロ、ノンノンノンノンノン」です。
 これらには、何か表現上の深い意図とか目論みがあるというよりも、彼が作品を書いているうちに、中からただどんどん溢れてきたものだったのではないかというのが、個人的な印象です。