佐藤通雅編著『アルカリ色のくも』

 つい先日、佐藤通雅編著『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』(NHK出版)が刊行されました。

アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む
佐藤 通雅 (著)
NHK出版 (2021/2/20)
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 編著者の佐藤通雅氏は、『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』によって2000年に第10回宮沢賢治賞を受賞された、歌人であり宮沢賢治研究家でいらっしゃいますが、私としては氏が2007年に刊行された『賢治短歌へ』(洋々社)がとりわけ印象的で、そこで佐藤氏が賢治短歌の分析を通じて浮き彫りにされた、賢治の特異な感受性や想像力の諸相は、私がその後こういった問題について考えていく上で、とても貴重な導きとなりました。(当時の記事は、「佐藤通雅著『賢治短歌へ』(1)」「佐藤通雅著『賢治短歌へ』(2)」)

 今回の『アルカリ色のくも 宮沢賢治の青春短歌を読む』は、『NHK短歌』に2016年から2020年まで連載された「宮沢賢治の短歌」をまとめた「第一部 宮沢賢治の短歌鑑賞」と、佐藤氏による書き下ろしの「第二部 解説 賢治短歌の成立」で、構成されています。
 第一部では、賢治の歌作を「第一期 盛岡中学時代」「第二期 盛岡中学卒業から盛岡高等農林学校入学まで」「第三期 森岡高等農林学校時代」「第四期 盛岡高等農林学校卒業以後」の四期に分けて、9名の気鋭の歌人が、賢治の代表的な短歌を詳しく解釈・鑑賞していきます。難解な作品も多い賢治の短歌ですが、現役の歌人ならではの細かな語法への着目によって、その世界がわかりやすく解き明かされます。
 第二部は、佐藤通雅氏が同じく上の四期に分けて、賢治の生涯の状況とその間に詠まれた短歌の特性を、やはり歌人としての視点から分析した論考です。これは、前著『賢治短歌へ』の凝縮されたエッセンスとも言える文章ですが、前著では前人未踏の原野を切り拓きつつ進んで行くような臨場感が生々しかったのに較べ、今回の「解説」は、前著で著者が開拓した領野の全体を、見通しよく眺望できる構図になっています。短歌に表現された賢治の心情が、その思春期から青年期へという人生の軌跡とともに、よく理解できます。

 その中でも、賢治が「歌稿〔A〕」から「歌稿〔B〕」を編み直した際に、その冒頭と末尾を飾る短歌群を加えた心境に関する下記の推察は、これらの短歌を味わう上で、私にとっては新たな興味を加えてくれた感があります。

 歌稿〔A〕をもとに、さらに歌稿〔B〕を編むとき、自分の青年期までの表現活動を決算する意図があった。そのため冒頭に盛岡中学校入学期を加え、最後尾には、ノートの類から復活させて関西旅行詠を置いた。ここまでが、現存資料によって推定できることだ。
 だが、〔B〕そのものも最終歌稿というわけではない。もし賢治がさらに存命していたなら、ふたたび多くの手入れがなされ、歌稿〔C〕へ、歌稿〔X〕へと進んでいっただろうことは、ほぼまちがいない。(p.300)

 また、賢治の短歌を歴史的に位置づけようとする際に、今から1300年前の『万葉集』にさかのぼるだけでは足りず、1万6000年前の縄文時代―― 「文字の文化」以前に人々を結びつけていた「声の文化」の時代―― を見据えなければならないとする雄大な視野も、とても刺激的でした。「文字の文化」が人間の自我を掘り下げ「ひとり」の深化をもたらしたとすれば、それ以前の「声の文化」は「みんな」を繋げていたのです。

 さらに佐藤氏は最後に、賢治短歌と現代の短歌との間の、不思議な近縁性も、指摘します。
 明治以降の近代の短歌が、〈私〉という一人称を基点として表現活動を行ったことに対して、賢治の短歌は通常の〈私〉という一人称には収まらず、あたかも一人称を解体しようとする特異さを持っているというのが、『賢治短歌へ』の頃から一貫する佐藤氏の指摘です。今回の「解説」では、この点は次のように述べられています。

 もう一度確認するが、従来の短歌観は、作品の背後に一人の〈私〉がおり、その〈私〉が情を叙べることを基本としていた。ところがこれらの作品には、何度読んでも奇妙な印象がのこる。それは基本をはみ出していることに起因すると、わかってきた。(p.274-275)

 ところが賢治の場合、明確な一人称、すなわち〈私〉から出発しているわけではない。そればかりか〈私〉も、周辺の自然とほとんど同格だと感じとられている。このことをつきつめれば、全生命体の一つでしかありえない〈私〉へ行き着く。したがって一人称ではなく多人称であり、場合によっては無人称でさえある。(p.293)

 ここで「多人称」「無人称」と呼ばれている事態は、前著『賢治短歌へ』では、〈超一人称〉(同書p.186)と呼ばれていたものです。
 そして佐藤氏は、賢治の時代には彼独特のものだったこのような事態は、「〈私〉の成立しがたい時代」である現代の個人の置かれた状況と、奇しくも似てきていると言うのです。

 背景にあるのは、人間力を総なめにする科学力であり、情報力だ。自体は、日常の隅々にまで及んでいるから、誰もがのがれることはできない。身近な例でいれば、健康不安で病院にいっても、身体の触診よりも血液検査の数値が重要視される。すなわち個人は生身の存在ではなく、数値的存在でしかない。
 これはほんの一例であり、おなじようなことは、あらゆる面で生じている。「自我」や「主体」は勿論、「一人の私」でさえ、成立しがたくなった。現代の短歌が、〈私〉の輪郭不明、不在となったのも、根は共通している。
 ところで、思いがけないことに、輪郭不明については賢治がすでに体験し、賢治短歌として記しとどめていることだった。〈私〉不在では、短歌表現としての成立がむずかいしということもふくめて、先駆的な作業でさえあった。じっさい、賢治はやがて他の領域へ移行していく。(p.309)

 そして佐藤氏は、多分に「賢治短歌的」なテイストを帯びた、現代の若い歌人二人の作品も紹介しておられます。

 このような意味において、従来は若書きとか習作とかいう評価にとどまっていた「賢治短歌」という領域も、佐藤氏によれば現代的な新たな視点から、見直してみることができるというわけです。
 帯のキャッチフレーズによれば、賢治短歌は「近代短歌最後の秘境」ということですが、従来訪れる人の少なかったこの秘境は、現代の最先端にもつながっている場所でした。

 ところで、佐藤通雅氏が指摘する、賢治の短歌における「一人称の解体」、あるいは超一人称、多人称、無人称とも呼ばれる事態は、先日の記事「さそりのめだま・小いぬのめだま」で引用した、安永浩氏による「他者認識の発達心理学」とも言うべき観点から眺めてみると、またあらためて面白いのではないかと思います。
 ここで、通常の一人称に収まらない賢治の短歌のわかりやすい例として、さらに次の二首を挙げてみます。

32 黒板は赤き傷うけ雲たれてうすくらき日をすゝりなくなり

299 星群の微光に立ちて甲斐なさをなげくはわれとタンクのやぐら

 32では、赤いチョークの線と思われる「赤き傷」を引かれた黒板と、それを見て痛々しい思いに駆られる作者の心情が、知らないうちに思わず融合してしまい、どちらが主語とも区別できないままに、「すゝりなく」様子が詠まれています。
 299では、「われとタンクのやぐら」は一応言葉としては並列されていますが、「星群の微光に立ちて甲斐なさをなげく」という立ち位置と心情を共有するあまり、自分と無機物が無媒介に融合して、「We」と呼ぶべき同盟を形成しています。

 一方、「さそりのめだま・小いぬのめだま」に引用したように、安永浩氏は『精神医学の方法論』において、人間が生まれてから獲得していく他者認識の発達過程に、次のような段階を想定しています。

(I= We)
 I ⇔ We ⇔ (objects)
 I ⇔ You :………:
 I ⇔ He, They…↓
      ↳真の Things

 各段階の意味については、元の記事を参照していただければありがたいですが、人間が「自己」と「他者」の違いを認識し、「自我」を確立していくのは、「I ⇔ You」の段階や「I ⇔ He, They」の段階を経ることによってであり、佐藤氏の言う「近代短歌における一人称としての〈私〉」も、この過程を通して現れるのでしょう。
 これに対して、短歌32や299において、「作者と黒板」あるいは「作者とタンクのやぐら」は、(I= We)のように完全に一体化はしていないものの、その次の「I ⇔ We ⇔ (objects)」という段階に位置しているようで、両者は一体となった「We」を成しています。
 安永的な角度から見れば、このような状態が佐藤氏の言う〈超一人称〉の一つの内実と言えるのではないでしょうか。

 人間において、上記のような発達過程は、次の段階に行くとその前の段階は上書きされて消えてしまうわけではなく、「地層」のように現在の層の下にそのまま保存されていて、何かきっかけがあれば、古いものが表に顔を出すこともあるものです。たとえば、恋人同士の二人は第三者の存在など忘れて「I ⇔ You」の閉じられた世界に入りこむことができますし、神秘的な法悦体験においては、自己と他者と世界の境界も溶け去ってしまい、(I= We)という世界合一体験に至ることもありえます。

 賢治の場合、もちろん社会的な人格としては、成熟した大人としての「自己」を確立し、「他者」や「物質」を客観的に認識していたわけですが、彼の心の各所では、「真のThings」が現れる前の「アニミズム」の層や、ひたすら〈みちづれ〉を求める「I ⇔ You」の層や、上に見たような「I ⇔ We」の層や、自己と他者が溶けてしまう(I= We)の層など、ふだんから太古の地層が生き生きと顔を出す露頭が至るところにあって、事あるごとに彼の感性を揺り動かしていた、と言えるのではないかと思います。

 ということで、このたび刊行された『アルカリ色のくも』という、賢治短歌に関する素晴らしい書籍を読んで、たまたま先週考えていたことを、思わず連想してしまいました。

 それにしてもこの本は、300ページ以上もあって内容も非常に深く、多くの賢治ファンにとって短歌の貴重なガイドブックになると思いますが、1600円というその価格は、かなりお買い得なのではないでしょうか。