夜の呪禁(2)

『中世の罪と罰』 網野善彦他編『中世の罪と罰』(東京大学出版会)は、中世日本の「犯罪のカタログ」として読むだけでも、理屈抜きで面白い本です。たとえば、室町幕府の「武政軌範」という文書には、犯罪の一つとして「牛馬の尾を切ること」というのが挙げられているのだそうです。
 「牛馬の尾を切る」のは、たしかによいことではないでしょうが、わざわざ幕府の公式文書に記してあるのは、特にこれを明文法的に禁止しなければならないような事情があったのだろうと考えざるをえません。それにしても、中世において「牛馬の尾を切ること」にいったいどんな意味があったのか、現代の我々には想像もつきませんが、平安時代の漢詩文集『本朝文粋』には、「尾なき牛の歌」という滑稽な詩があるというのです・・・。

 と、話は佳境に入っていくのですが、続きは原著に譲るとして、今回の本論に戻ります。この本において笠松宏至氏は、中世の農村を規定していた法や掟に関して、次のような例を挙げておられます。

 鎌倉時代中頃の弘長3年(1263)に、神祇官が摂津の広田社に下したという「社内住人検断規式」という十八箇条の刑事法令には、「夜田を刈る輩の事」という一条があり、「夜田を刈る事は、田舎の習、殊にこれを禁ずる・・・」という一節があったということです。
 また、天正16年(1588)、近江今堀郷の「惣掟」には、「田や野良の作物を盗んだ者をみつけ、殺した者には、それが昼であれば米五斗、夜であれば三石の褒美を出す」こと、また「宵六つから明六つまでの間、稲を持って通る者は罪科に処す」という規定がありました。
 さらに、天正13年(1585)の近江の玉緒村の「惣掟」においては、「宵六時以後は一切作物を収穫してはならない」、「朝六時より前は、野良へ出てはならない」と定められていたということです。

 つまり、中世の農村では、夜に農作物を盗んだ者が厳罰に処せられることはもとより、たとえ自分の田畑であっても、夜間に収穫作業をすることは禁じられており、さらに夜には「稲を持って通る」ことも、農民が「野良へ出る」ことさえも、禁止されていたというわけです。
 笠松氏はこれらの例を紹介した後、次のように述べておられます。

・・・では何故、夜中に野良に出たり、稲を刈ったり、作物を持って通行してはいけないのか。また「田舎の習」は、ほかにどんな「夜の法」をもっていたのか。私には全くわからない。ただこうしたささやかな例からも、中世の夜には昼とは違うルールが存在していたことを窺うことだけは出来る。


 で、ここからが前回の話の続きです。思うに、古くから農村にはこのようなタブーが存在していたからこそ、夜中に農作業をしている百姓夫婦をみかけた賢治は、「善鬼呪禁」という作品において、その行いに異議を唱えたのではないでしょうか。そして、「苗代の水がおはぐろみたいに黒くなる」、「植わった大豆が行列する」、「月に暈が現れる」、「空も魚の眼球に変わる」など、「録でもないことが/いくらもいくらも起ってくる」として、彼らの行動の不吉さに警鐘を鳴らそうとしたのではないでしょうか。
 この時、農作業を中止すべきと賢治が考えた理由について、私が前回の記事のように理屈で考えてみようとしたのはとんだ筋違いで、作業をやめるべき理由の本質は、論理を超えたこのような「禁忌」にあったのだろうと思います。だからこそ、そこで行われている事態の禍々しさを祓うべく、賢治は「呪禁」を書きとめる必要があったのではないでしょうか。

 それでは、どういう潜在的な意図で、夜間に収穫作業をしたり作物を移動させたりすることがタブーとされるに至ったのか、それをさらに詮索しようとするのは野暮なことかもしれませんが、あえて理屈を付けるとすれば、やはりこれらの行動は「農作物泥棒」と紛らわしいからだ、ということなのかと思います。明かりもない中世の闇夜において、作物を盗難から守るためには、類似した行動をすべて禁止しておくのが最も効率的だったのでしょう。

 ここでちょっと連想するのは、最近2~3年、日本各地で「農作物泥棒」が横行して大きな社会問題となっていることです。
 こちらのページは、警察庁が発表した「農作物等の窃盗の現状等について」という調査結果ですが、平成14年から15年にかけて、農作物の窃盗被害は563件から1000件へと77.6%も増加したことが示されています。またこちらのページを見ると、昨秋の収穫期においても、やはり全国で深刻な被害が続いていたことがわかります。

 今この21世紀初頭という時期に、なぜ農作物の大規模な窃盗が問題化するのか、それをここで考えてみると、その背景には、様々な「規制緩和」が進行し、人や物の流れがボーダーレス化し、さらに昼と夜の境さえもボーダーレス化している、まさに現代という時代の特性が作用していると言えるでしょう。
 一昔前ならば、たとえ農作物をごっそり盗み取っても、ほとんどの流通を農協などが管理している状況下では、身元や出所を隠したまま大量の作物を換金することは困難だったでしょう。それが現代では、規制緩和によって流通形態が多様化したおかげで、泥棒たちも「安全」に盗品を売りさばくことができるようになったのです。
 農村社会の閉鎖性が薄れるとともに、村で馴染みのない顔を見かけても、今は誰もあまり気にとめません。また、コンビニエンスストアには24時間いつでも煌々と明かりが灯り、人々は夜中でも昼間と変わりなく行動するのが当たり前の時代になって、中世には厳然と存在していた「昼」と「夜」の間の境界線は、消え失せてしまいました。誰かが夜間に大型トラックを動かし、何かの作業をしていても、人の目には違和感を引き起こさなくなりました。

 現代の我々が生活しているのはこのような状況下で、したがってまたそこには新たな「罪と罰」が生まれてくるのでしょう。
 しかし、20世紀初頭の花巻には、中世の農村から受け継がれてきた心性が生きつづけており、「夜には昼とは違うルールが存在していた」のだと思われます。そしてそれが賢治の感覚を通して、「善鬼呪禁」という作品の底流に流れていたのではないかと思うのです。