先日の「「山川草木悉皆成仏」の由来(1)」という記事では、岡田真美子氏による「東アジア的環境思想としての悉有仏性論」という2002年の論文をもとにして、現在はよく知られている「山川草木悉皆成仏」という言葉が、実は仏典に直接由来するものではなく、最近になって梅原猛氏が造語したものだろうという話をご紹介しました。
その後、2015年に公刊された末木文美士著『草木成仏の思想』という本においても、「(「山川草木悉皆成仏」は)もとはと言えば、哲学者の梅原猛が言い出したことで、それを中曽根康弘首相が第104回国会における施政方針演説(1986年1月27日)において使ったことで、一気に広まったようだ」と書かれており、今やこの「梅原猛造語説」は、広く認められることとなっているようです。
前回の記事「「山川草木悉皆成仏」の由来(1)」の最後では、実際これが梅原猛氏の言い出した言葉だとしても、宮澤賢治の書簡にはこれと非常に似た表現が二度も現れていることから、賢治にも造詣の深かった梅原氏のことなので、氏の着想の源は賢治にあったのではないかという、勝手な憶測も書いてみていました。
ちなみに、その賢治の表現とは、保阪嘉内あて書簡中の下記のようなものです。(強調は引用者)
ねがはくはこの功徳をあまねく一切に及ぼして十界百界もろともに仝じく仏道成就せん。 一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。(書簡63、1918年5月19日)
わが成仏の日は山川草木みな成仏する。山川草木すでに絶対の姿ならば我が対なく不可思儀ならばそれでよささうなものですがそうではありません。(書簡76、1918年6月27日)
ところで今回、たまたま梅原氏の書いたものを読んでいましたら、氏自身がこの言葉について、「宮沢賢治も...言及している」と、賢治との関わりについて述べている箇所を見つけました。それは、角川ソフィア文庫『仏教の思想5 絶対の真理<天台>』の、「文庫版 序」の最後の部分です。
もうひとつ最澄についての重要な問題は、仏性論であろう。最澄は、仏性は特定の人間だけに存在するものでなく、すべての人間に存在するという説をとり、仏性を特定の人間だけに認める南都仏教を代表する学僧、徳一と激しく論争した。そして最澄の後継者において仏性の範囲は徐々に広がり、すべての人間であるばかりか、動物、植物や、山や川もすべて仏性があるものとされた。
そして、この思想はついに「山川草木悉皆成仏」という言葉で表される天台本覚論なるものを生み出したのである。福永光司氏は、このような思想は中国天台にもあり、道教思想の影響であるとされる。しかし、このような思想が主流になったのはやはり日本の天台においてであろう。このような山や川にまで仏性を認める思想について、私はしばしば縄文の昔までさかのぼる日本古来の思想にその源を求めた。土着の思想が仏教の中に入り、ついに仏教を変えてしまったのである。
宮沢賢治も、しばしば「山川草木悉皆成仏」という言葉に言及している。人間ばかりか獣も鳥も木や花も、あるいは山や川でさえ、人間のような心をもち、人間のような言葉を語る彼の童話も、このような天台本覚論をその思想の根底としているのであろう。
一九九六年四月
梅原 猛
上記の第二段落で梅原氏は、「「山川草木悉皆成仏」という言葉で表される天台本覚論」と表現しており、あたかも中世に生まれた「天台本覚論」において「山川草木悉皆成仏」という言葉が用いられていたかのような印象も与えますが、冒頭にも述べたように、そのような事実はありません。
また最後の段落では、「宮沢賢治も、しばしば「山川草木悉皆成仏」という言葉に言及している」と述べられていますが、上で見ていただいたように、賢治もこのとおりの言葉を用いているわけではなく、それによく似た「山川草木みな成仏」と書いているだけですから、注意を要します。
繰り返しになりますが、「山川草木悉皆成仏」という言葉をこのままの形で用いたのは、現在確認されているかぎりでは、梅原猛氏が最初なのです。梅原氏による上のような記述を見ると、氏はこの言葉がもっと以前から使われている由緒あるものだという風に箔付けたかったのかもしれません。
しかし何はともあれ、これによって梅原氏が賢治による用例を知っていたのではないかという以前の予想は確かめられたわけで、氏による「山川草木悉皆成仏」という八文字熟語化は、賢治の書簡における表現を直接の母体として行われた可能性が、より高まったと思います。
ただ、この言葉が賢治のオリジナルなのか否か、すなわち賢治による使用のさらに前に、同様の前例があったかどうかということについては、やはりまだ何とも言えません。
仏教の思想 5 絶対の真理<天台> (角川ソフィア文庫) 田村 芳朗 (著), 梅原 猛 (著) KADOKAWA (2014/6/15) Amazonで詳しく見る |
GFB@MC_sashiba
はじめまして。
『「山川草木悉皆成仏」の由来』、興味深く読ませていただいております。
環境思想や「日本人の自然観」の観点からこの問題を調べていました。
実は、梅原も目にしていた可能性が高い岡倉天心の「泰東巧芸史」に「山川草木悉皆成仏」という用例があります。
「泰東巧芸史」は平凡社ライブラリー『日本美術史』などに収められています。
梅原は1970年代に「近代日本思想大系」シリーズの岡倉天心と和辻哲郎の巻の編集と解説を担当しており、和辻哲郎の巻の解説で「泰東巧芸史」に触れています。
また、2022年3月に運用が始まった国立国会図書館の「次世代デジタルライブラリー」でも現在29件の用例がヒットします。
その中には梅原が目にしていてもおかしくないものがいくつかあります。
宮澤賢治以降、梅原猛以前の類似の事例についてもいくつか取り上げています。
岡田論文による造語説については、一定の評価はできるものの、「借用」したものを「造語」したと主張している可能性も考慮すべきではないか、というのが私の考えです。
また、晩期になり、愛用した「山川草木悉皆成仏」を梅原は用いなくなります。なぜ「草木国土悉皆成仏」を用いるようになったのかも以下の記事で検討しています。
かなり名長くなってしまったので恐縮なのですが、ご笑覧いただけたら幸いです。
梅原猛と「山川草木悉皆成仏」の2022年|GFB #note https://note.com/gfb/n/ne1f7f1d6a609
たいへんすばらしい記事をありがとうございました。
早い段階で目にしていなければここまでたどり着けませんませんでした。
お礼申し上げます。
hamagaki
GFB@MC_sashiba 様、コメントをありがとうございます。
貴note記事の「梅原猛と「山川草木悉皆成仏」の2022年」を、拝読させていただきました。
「山川草木悉皆成仏」という言葉と梅原氏の用例、当時の政治や日文研、そして梅原猛の思想そのものへの肉迫など、広範な領域を一望できて、感動とともに蒙を啓かれた思いです。
「梅原猛造語説」に関しては、上の拙記事にも引用しましたように、梅原氏自身が「宮沢賢治も、しばしば「山川草木悉皆成仏」という言葉に言及している」と書いている以上、氏ももはや「この言葉が自分の造語である」と言うつもりはなかったのでしょうが、しかし賢治の言う「山川草木みな成仏」から、梅原氏の「山川草木悉皆成仏」に至るプロセスや、賢治の用例の背景について、上の記事の時点で私にはわかりませんでした。
このたびのご指摘によって、賢治の書簡の例よりも前に、岡倉天心の「泰東巧芸史」や、さらに国会図書館「次世代デジタルライブラリー」で判明した多数の用例の存在を知ることができて、賢治の言葉はこれらを下敷きとしたものだったのだろうと、得心が行きました。
ご教示をいただきまして、誠にありがとうございました。
それにしても、「次世代デジタルライブラリー」は私は初めて知ったのですが、すごい威力ですね。
私自身は、せいぜい宮沢賢治に関する文献を調べる程度の範囲になると思いますが、今後いろいろ使ってみたいと思います。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
GFB@MC_sashiba
長文駄文大変失礼いたしました。
要点のみを、とも思ったのですが、経緯がわかる形の方がよいかと思いnoteの記事を添付いたしました。
触れにくい内容も多々あったかと思います。
特に後段は完全な私見ですので読み流していただいて大丈夫です。
「次世代デジタルライブラリー」はすごいですね。
岡倉天心の例から「山川草木悉皆成仏」は見つかりそうだなと思っていたのですが、「山川国土悉皆成仏」のような用例まで拾えたのには驚きました。
昔から皆さん混同していたのかもしれません。
梅原猛もおそらくは混乱していたのだろうと思います。
それが自身の代名詞のような言葉になり、賢治の名前を出してしまい、岡田ご夫妻に問われ、やがて用いなくなり…
氏らしいエピソードだと思います。
ただ、表記が統一されるタイミングが気になって、というのが弊記事の内容です。
この部分はさらに検討していきたいと思っています。
宮沢賢治がどこから着想を得ていたのかも気になるところです。
ツールの発達で思わぬ発見があるかもしれません。
今後ともご教示いただけたらと思います。
このたびはありがとうございました。
hamagaki
GFB@MC_sashiba 様、お返事をありがとうございます。
梅原猛氏の本は、「素人の読み物」としてはとても面白かったのですが、あそこまで独自の構図を描くためには、やはり様々な力業も使っているわけですね。
その後も「次世代デジタルライブラリー」では、いろいろ遊んでみているところです。
このたびは、ありがとうございました。