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随縁真如・心生滅・唯心

 1921年(大正10年)4月の、父政次郎との関西旅行の際に作られた短歌の中に、「随縁真如」という見出しが付けられた3首があります。

     ※ 随縁真如
784 みまなこをひらけばひらくあめつちにその七舌しちぜつのかぎを得たまふ。
     ※ 同
785 さながらにきざむこゝろの峯々にいま咲きわたる厚朴の花かも
786 暮れそめぬふりさけみればみねちかき講堂あたりまたたく灯あり。

 父とともに比叡山に登って延暦寺に参拝した際の作品で、この前には「※ 根本中堂」「※ 大講堂」という見出しが付けられた作が並んでいますから、 時間的には根本中堂や大講堂に参った後のものかと思われます。

 この「随縁真如」というのはなかなか難しい仏教用語ですが、『岩波仏教辞典』では、次のように説明されています。

随縁真如 ずいえんしんにょ 心の本質としての真如・法性がさまざまな縁にしたがって(随縁)作動すること。不変真如の対。真如は自らの真実のあり方を隠して妄法を顕現し、あるいは迷いの妄染にたいして自己の功徳を顕し出し、迷いの心をかりたてて清浄なるはたらきを起こさせる。『大乗起信論』にたいする賢首大師法蔵の注釈『大乗起信論義記』では、真如に不変・随縁の二義をあげて心真如・心生滅の世界を解釈した。

 すなわち、「真如」というものに、「不変真如」と「随縁真如」という二側面があり、真如そのものは本質的には変わらずただ一つであるが(=不変真如)、一方でそれが様々に変わりゆく(と感じられる)現実的・現象的側面のことを、「随縁真如」と呼ぶということなのでしょう。
 説明にもあるように、「随縁真如」という言葉は、中国の法蔵が『大乗起信論義記』で初めて用いたものと言われており、『大乗起信論』における「真如」の概念を、より詳しく解き明かそうとしたものです。
 この『大乗起信論』に関しては、賢治も中学3年の1911年(明治44年)8月4日から1週間、大沢温泉で開かれた「夏期講習会」で島地大等の講義を聴き、さらに8月18日から盛岡の願教寺で行われた大等の講習会にも自発的に出席して、同じ『大乗起信論』を受講しています。山根知子氏は、「賢治においても、この島地大等の導きに応じて、その大乗起信論の思想が見出せる法華経の内容としてとりわけ「如来寿量品」第十六への感動につながったのだと思われる」(「宮沢賢治の文学と浄土真宗信仰」)と述べ、『大乗起信論』が賢治の信仰に大きな影響を与えたと評価しておられます。

 賢治が、比叡山で詠んだ上記の短歌に、なぜ「随縁真如」などという難解なタイトルを付けたのかに関して、小倉豊文氏は次のように述べています(小倉豊文『宮沢賢治「雨ニモマケズ」手帳研究』p.89)。

 「随縁真如」とは「不変真如」の対。賢治は恐らく日蓮上人の「立正観鈔」の「伝教大師ノ血脈ニ云ク、夫一言ノ妙法トハ両眼を開イテ五塵ノ境ヲ見ル時ハ随縁真如ナルベシ。無念ニ住スル時ハ不変真如ナルベシ」を想起したに相違あるまい。大乗起信論では、真如には活動的な方面と不動の方面があるとし、前者を随縁真如、後者を不変真如という。即ち真如が種々千差万別の迷悟の縁に随って万法を現わすのが前者、しかも常に真如の本体は不変不動であるのが後者である。だから、「随縁真如」の第二首目は「峯々にいま咲きわたす厚朴の花」も「柳は緑花は紅」の「随縁真如」の相なのである。なお「血脈」は「内証仏法相承血脈譜」の略称。

 小倉氏が指摘するとおり、賢治は天台宗の総本山たるこの比叡山延暦寺に参拝するにあたり、日蓮の「立正観抄」の内容を、心にしっかりと意識していたのだろうと、私も思います。
 「立正観抄」は、天台宗の学僧から日蓮の弟子になった最蓮房という僧からの、当時の天台宗の主張に関する質問に日蓮が答えた書であり、日蓮の立場から当時の天台宗を、厳しく批判する内容となっています。したがって、日蓮を排他的に尊崇していたこの頃の賢治が、天台宗の本家本元である延暦寺を訪ねるとなると、日蓮自身による評価をあらかじめ知っておくために、これは是非とも予習をしておくべき文献だったはずなのです。
 小倉氏が引用している前後も含めて、あらためて「立正観抄」の文章を見ると、次のように書かれています。

問ふ、天台此の一言の妙法之を証得し給へる証拠之有りや。答ふ、此の事天台一家の秘事なり。世に流布せる学者之を知らず。潅頂玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り。天台御入滅の後は石塔の中に之有り。伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き、道邃和尚より伝受し給ふ血脈とは是なり。此の書に云はく「一言の妙旨、一教の玄義」文。伝教大師の註血脈に云はく「夫一言の妙法とは、両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし。五眼を閉じて無念に住する時は当に不変真如なるべし。故に此の一言を聞くに万法茲に達し、一代の修多羅一言に含す」文。此の両大師の血脈の如くんば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。(『平成新版 日蓮大聖人御書』p.771)

 このあたりは、教義の伝承、すなわち「血脈」について述べているところで、中国の天台大師智顗から日本の伝教大師最澄に対して正統的な継承が行われた証拠として、「最澄が、比叡山を開いた時に地中から出てきた八舌の鑰を唐に持って行って、智顗が施錠した石塔の鍵穴に差し込むと開いた」という伝説を引いています。そして、その最澄からの血脈は、大切な「一言の妙法」を忘れて他の行にふけっている当時の天台僧たちよりも、この日蓮こそが正しく受け継いでいるのだということを、主張しているわけです。

 そして上記の「立正観抄」の内容は、賢治が比叡山で詠んだ短歌に、ぴったりと重なり合うものです。
 すなわち、上に引用する直前の「※ 大講堂」にある、「776 いつくしき五色の幡はかけたれどみこころいかにとざしたまはん」では、大講堂に五色の幡をいくら厳かに掛けていても、最澄からの血脈が途絶えてしまったことでその「御心」は閉ざされていると嘆じ、「781 みづうみのひかりはるかにすなつちを掻きたまひけんその日遠しも」では、最澄が延暦寺を開くために比叡山の砂土を掻いた日は、既に遠い過去になってしまったと悲しんでいるのです。

 次いで、本記事冒頭に記した短歌784では、その砂土の中から最澄が「七舌のかぎ」を得たことを取り上げていますが、これは「立正観抄」に「八舌のかぎ」が出てくることに対応しています。本来は「八舌」なのに賢治が「舌」と書いていることについて、一部の賢治研究者は、これは「南無妙法蓮華経」の文字を賢治がこう喩えたのだと論じており、もしそうであれば「立正観抄」の上記引用部分で言われている「一言の妙法」が、「南無妙法蓮華経」を指していると解釈できることと符合します。一方で、これは賢治の単純な勘違いかもしれず、実際のところはわかりません。

 それはさておき、この短歌784の「みまなこをひらけばひらく」という部分こそが、今回の「随縁真如」が日蓮の「立正観抄」を下敷きにしていると考えられる、最大の根拠です。「両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし」と日蓮が記しているように、「みまなこをひら」いて直接見えるこの現象界、あるいはその心象が、とりもなおさず随縁真如なのであり、この日蓮の文章があって初めて、この一首に「随縁真如」という見出しが付けられるべき理由が明らかになります。

 次の短歌785は、「歌稿〔A〕」(大正七年五月より)の「677 けわしくもそらをきざめる峯々にかゞやくはなの芽よいざひらけ」や、やはり1918年(大正7年)6月発行の『アザリア』第六号に掲載された断章「〔峯や谷は〕」に挿入されていた短歌「けはしくも刻むこゝろのみねみねにさきわたりたるほゝの花はも。」を先駆とするものです。また、「〔峯や谷は〕」の発展形と言える短篇「マグノリアの木」にも、「けはしくも刻むこころの峯々に いま咲きそむるマグノリアかも。」として登場します。
 年を経てこれだけ何度も出てくるというのは、これが賢治にとって、非常に印象深いモチーフだったことの表れでしょう。

 比叡山でこの短歌が詠まれた状況としては、下山を始めて実際に険しい山道を歩いている時に、3年ほど前の自作短歌がふと思い出されたということかと推測されますが、「こゝろの峯々」と書かれているように、この峯は目の前の外界に見える景色でありながら、仏教的な観点からすると単に自分の心の中で展開している現象にすぎないとも言えるのです。「〔峯や谷は〕」では「この峯や谷は実に私が刻んだのです」とあり、「マグノリアの木」では(これがお前の世界なのだよ、お前に丁度あたり前の世界なのだよ。それよりもっとほんたうはこれがお前の中の景色なのだよ。)と誰かが、あるいは自分自身が言い、(さうです。さうです。さうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕方がないのです。)と返事をしたように、これはただ自らの「心象」なのです。

 このような「現象世界」と「心」との関係について、『大乗起信論』では、次のように説かれています。(岩波文庫『大乗起信論』の高崎直道氏による現代語訳より)

 この〈大乗〉〔という言葉〕には二つの側面がある。一つは〔大乗とよばれる〕もの(法)〔すなわち何をさして大乗とよぶのか〕、他はその内容(義)〔すなわち「大乗」ということばの意味、あるいは、それが「大きい乗りもの」とよばれる理由〕である。
 まず、ここにいう〔大乗とよばれる〕もの(法)とは〔具体的には〕衆生ひとりひとりの心(衆生心)をさす。(p.177)

 正しい教えの提示は、〔まず、衆生心という〕一つの心なるもの(一心法)に関して、二つの部門に分れる。二つとは、第一に〈心の真実のあり方〉(心真如)について説く部門。第二に〈心の生滅するあり方〉(心生滅)について述べる部門である。この両部門はそれぞれに一切のもの(法)を包摂している。何となれば(此義云何。直訳すれば「これはどういう意味かというと」)、〔両部門は同じ一つの心の両面で、〕相互に切り離せないから、〔そして、一切は唯心で、心の外に対象となるもの(法)が外界に実在することはないからである。〕(p.179)

 〔 〕内の部分は、訳者高崎直道氏が説明のために挿入した字句ですが、懇切丁寧な補足によって、『大乗起信論』の持つ唯心論的で一元論的な性格が、よくわかります。「〔峯や谷は〕」や「マグノリアの木」に述べられているように、このような立場から見れば目の前の険しい峯々は、自分の心の中の仮象であり、心が作り出している風景にすぎず、それ以外にはないのです。
 「心」の働きのこのような側面が、『大乗起信論』によれば生滅を繰り返す「心生滅」であり、法蔵の『大乗起信論義記』によれば縁に随って現れる「随縁真如」なのです。そしてまさにこのことが、短歌785にも「随縁真如」というタイトルが付けられている理由です。
 短歌785でこの険しい斜面に咲く白い「厚朴の花」は、短篇「マグノリアの木」では洋名で「マグノリアの木の花」と呼ばれますが、そこでは「マグノリアの木は寂静印です」と讃歎される存在です。寂静印とは、悟りの境地(涅槃)の静かな安らぎを表す印のことですから、刻まれた峯々が「随縁真如」ならば、この美しく白い花が「不変真如」を象徴するということかと思われます。

 宮澤賢治という人は、上のような作品や多くの書簡で、かなり徹底した唯心論的一元論の世界観を表明していますが、『法華経』のテキストや日蓮は、そこまで一元論的な見方を強調してはいません。賢治における唯心論的一元論の由来はいったいどこにあるのだろうと、つねづね私は気になっているのですが、『大乗起信論』はその重要な淵源の一つだったのかもしれません。

 『春と修羅』の「」も、下記のようにすぐれて唯心論的な世界観を基調にしています。

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません

 するとその冒頭で、「わたくしといふ現象」について、「風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら...」と描かれている部分は、『大乗起信論』の言う「心生滅」という概念に、由来しているのではないかと思えてきます。
 そして、(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから)というパラドキシカルな相互包含構造は、わたくしとみんなが持つ「衆生ひとりひとりの心(衆生心)」が、「それぞれに一切のもの(法)を包摂している」(『大乗起信論』)と考えることによってのみ、合理的に理解することができるのです。

 あるいは、賢治的な意味での「心象」とは、仏教的には「随縁真如」に相当すると言えるのかもしれません。

大乗起信論 (岩波文庫) 大乗起信論 (岩波文庫)
宇井 伯寿 (翻訳), 高崎 直道 (翻訳)

岩波書店 (1994/1/17)

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