この3月に秩父地方に行った際に見学してきた三つの碑、「雨ニモマケズ」詩碑、「荒川ぎしの片岩」歌碑、「本野上」歌碑を、「石碑の部屋」にアップしました。
これで、当サイトにアップしている賢治文学碑の数は、139基になりました。
賢治が、秩父地方の地質学研修旅行に行ってこれらの歌を詠んだのは、今からちょうど100年前の1916年ですが、この年20歳になった賢治にとって、この1916年とは、その活動範囲や視野が一挙に広がった、画期となる年でした。
それまでの賢治にとって、岩手県の外に出た経験と言えば、16歳で中学校の修学旅行において、お隣の宮城県の松島、仙台へ行っただけだったのですが、この1916年には、まず3月に盛岡高等農林学校の修学旅行で京都、大阪、奈良をめぐり、8月には「独逸語夏季講習会」を受講するために上京して約1か月の東京暮らしを行い、そしてそのまま9月の秩父旅行に合流したのです。
賢治が岩手から飛び出して、コスモポリタンとなっていくために、重要な意味のある一年だったのではないかと思います。
コメント