「荒川ぎしの片岩」歌碑

1.テキスト

つくづくと
「粋なもやうの
 博多帯」
荒川ぎし
 の
  片岩のいろ
   宮沢賢治

2.出典

書簡22(保阪嘉内宛)

3.建立/除幕日

2003年(平成15年)9月 建立

4.所在地

埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1417-1 埼玉県立自然の博物館 駐車場

5.碑について

 埼玉県長瀞町の荒川沿いにある「埼玉県立自然の博物館」の前の駐車場に、この歌碑はあります。
 歌碑の裏側には、下のように書かれています。

「雨ニモマケズ風ニモマケズ…」で有名な
 宮沢賢治は明治二十九年八月二十七日
 岩手県花巻町(現花巻市)に生まれる
 盛岡高等農林学校二年 二十歳の時
地質調査研究のため先生学友と共に
秩父地方を訪れ大正五年(一九一六)九月三日
虎岩を見学 その美しさを歌に詠む
 碑の歌ははがきに九首の歌を書き無二の
親友保阪嘉内に宛てて小鹿野より送った
中の一首である
 その後賢治は農学校教師 農民指導
等に情熱を傾け童話や詩など多くの
作品を遺した
 長瀞町と賢治の貴重な出会いの証を
賢治の故郷の岩手山に似た石に刻み永く
後世に伝え町の教育文化の向上と観光
発展に資するため町内外有志の浄財と
町の協力によりこの歌碑を建立する

  平成十五年九月
   宮沢賢治歌碑建立委員会
          書 千島榮一
          刻(有)小林石材店

 ということで、この碑石のユニークな形は、「南部片富士」とも呼ばれる岩手山の形を象徴するものだったのですね。

 そして、この場所に賢治の歌碑が建てられている理由は、ちょうどこの碑の後ろから荒川の河原に降りたあたりに、その昔に賢治も見たであろう「虎岩」があるからです。虎の縞模様のように見えるために「虎岩」と呼ばれていたこの地の結晶片岩を、賢治は「粋な模様の博多帯」に喩えたわけですが、こういうところに「博多帯」という言葉がさっと出てくるのは、古着屋の息子として小さい頃から様々な着物に親しんでいたからなのかもしれません。

  「埼玉県立自然の博物館」の正面には、「日本地質学発祥の地」という立派な碑も建てられています。

 1877年に東京大学に地質学教室が創設されると、翌年にはその初代教授のナウマンがこの長瀞地方の地質調査を行い、それ以降この地域は日本の地質学上の重要な研究拠点となって、多くの地質学者を育てることとなりました。地質の多彩なサンプルが見られるところから、ここは「地球の窓」とも呼ばれています。
 賢治たちの学生時代の秩父研修旅行も、このような流れの中にあったわけです。
 上の「日本地質学発祥の地」の碑石は、「赤鉄石英片岩」という石ででいているのだそうで、碑の右側面には、この石が河原にあった時に形成された「ポットホール」を観察することもできます。


詩碑の後ろを流れる荒川