賢治の素足

 童話「ひかりの素足」に現れる「貝殻のやうに白くひかる大きなすあし」の人とは、賢治自身が何度か幻視した人の姿に由来するのだろうということを、以前に「「光のすあし」は誰か」という記事に書きました。
 実際、「ひかりの素足」の初期段階の草稿と同じ時期に書かれたと推定される「小岩井農場」の「パート九」には、次のような箇所があります。

わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
(中略)
あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも
その貝殻のやうに白くひかり
底の平らな巨きなすあしにふむのでせう

 すなわち、「貝殻のやうに白くひかる」、「赤い瑪瑙の棘の野はら」などの描写が、「ひかりの素足」と共通しているのです。

 賢治は、眼の前に現れたこの「素足」を、特別の感情をもって見たのだと思いますが、実は賢治の生涯においては、彼自身の白い「素足」が、ひそかに見守られていた時があったのです。
 見つめていたのは、賢治が生涯でただ一度だけ本気で結婚を考えた相手と言われる人、伊藤チヱでした。

 伊藤チヱは、賢治の友人伊藤七雄の妹で、1928年6月に賢治はこの兄妹が暮らす伊豆大島を訪ねました。この時の作品が、「三原三部」です。
 森荘已池は、賢治の没後に伊藤チヱを訪ねていろいろと賢治とのエピソードについてインタビューしていますが、以下はそのような森荘已池の文章「「三原三部」の人」の一部です(『宮沢賢治の肖像』p.187)。

 第二部を読むと、ちょうど作者が伊藤七雄、ちゑ兄妹二人と、畠に出て問答しながら指導して、それを書いたように見えるにちがいない。私もそうとばかり思っていたし、そう受けとってもまちがいだとはいわれない。ところがちゑさんのいうところによると、
 ―あの人の白い足ばかりみていて、あと何にもお話しませんでした。
ということだった。
 もちろん、いくらかの会話は、うけとりされ、かわされたことであろうが、ちゑさんはひたすら、この人の素足をみていたのである。このちゑさんの話に、私は深く感動させられた。宮沢賢治の生涯にあって、この伊豆の大島の日は、もっともかがやかしい日だったかも知れない。これは何と禁欲的なラブシーンであろうか。(強調は引用者)

 上の引用部冒頭に出てくる「第二部」というのは、賢治の詩「三原 第二部」のことです。
 大島に来て、兄妹が暮らす家の畠に裸足で立った賢治は、躁的なまでに快活に、その土壌を分析し、講義を始めます。

かういふ土ははだしがちゃうどいゝのです
噴かれた灰が・・・のメソッドとかいふやうなもので
気層のなかですっかり篩ひわけられたので
こゝらはいちめんちゃうど手頃な半ミリ以下になってゐて
礫もなければあんまり多くの膠質体もないのです
それで腐植も適量にあり
荳科のものがひとりで大へん育つところを考へますと
石灰なども決して少くないやうすです
燐酸の方はこれからだんだんわかります
たゞ旱害がときどき来るかもしれません
けれどもそれもいはゆる乾燥地農法では
ほとんど仲間に入らないかもしれません
まあ敷草と浅土層をつくること
この二つが一ばん手ごろとおもひます

 この場面なのでしょうね、伊藤チヱが「あの人の白い足ばかり見ていた」というのは・・・。

 私は2002年5月に、伊豆大島を訪ねてみたことがあります。その昔、伊藤家があったあたりに行くと、そこには今も畠が作られていて、火山灰に由来すると思われるしっとりとした黒土がありました。
 このような土の上に、賢治が裸足で立っていたのだろうと、しばし感慨にふけったことを思い出します。

かふいふ土ははだしがちゃうどいゝのです

【参考ページ】
大島紀行詩群
火の島
大島紀行