その後もばたばたしていたのでご報告が遅れてしまいましたが、去る9月4日に、「第2回イーハトーブ・プロジェクトin京都 ― 能『光の素足』」を、無事とり行うことができました。
当日は、台風が通り過ぎた後にもまだかなりの雨が降り続く、あいにくの天候でした。しかし、100名近くの方々が夕暮れの法然院に集まって下さいました。心より、御礼申し上げます。
今回は、観世流シテ方能楽師・中所宜夫さんに、創作能「光の素足」を、法然院本堂の阿弥陀様の前で、お一人で舞い謡っていただくという試みでした。
プログラムは、まず能に先立って、中所さんによる賢治の童話「ひかりの素足」の一部の朗読です。一郎と楢夫が、「うすあかりの国」で鬼に責められながら彷徨う場面、そしてそこに「にょらいじゅりょうぼん」という言葉とともに不思議な白い素足の人が現れる場面が、朗々と読まれました。途中、「にょらいじゅりょうぼん」と一郎が繰り返した瞬間、奥に控えていた日蓮宗のお坊様による如来寿量品の読経が始まり、中所さんの朗読と重なり合って進行しました。
朗読が終わると切れ目なく、「ダーダーダーダーダースコダーダー」という地鳴りのような謡が始まりました。童話「ひかりの素足」から数年後の一郎が、山中で一人で剣舞を舞っているのです。私たちは、能の「舞い」と「謡い」が持っている凄いエネルギーの中に、引き込まれていったのでした・・・。
開演前の法然院本堂
佐々木 伸行
素晴らしい機会を、有難う御座いました。
帰ってから、「ひかりの素足」「銀河鉄道の夜」を読んで見ました。また第一回目の「災害と賢治」を読み返し、その関連性を強く感じました。 「日照りのときは・・・」の所作に身悶えのような賢治の苦悩を感じさせられました。「ひとのために何かしてあげるために生まれてくる」母のおしえだったとか、そういえば「うまれて来るとしても、自分の事ばかりで苦しまないように・・」永訣の朝で、妹トシも言ってました。
乗移ったような舞を見ながら、賢治は地球から77光年の距離にある新星だ(NHKこだわり人物伝ロジャー・パルバース)、また、テレビで見た、立花隆氏の宇宙飛行士の見た地球の事を思っていました、なぜ賢治はあの時代にこんな宇宙的なものの見方が出来たのだろうかと。
賢治の作品にも、能にも関心を持つ事が無かったのですが、能はこんなにも本人に迫りうるものか、と感じました。
取りとめのないことを、書きました。アンケートを出せなかったので此処でかかせていただきました。
有難う御座いました。
hamagaki
佐々木 伸行 様、先日は雨の中をお越しいただきまして、ありがとうございました。しばらくぶりにお会いできて、嬉しかったです。
中所宜夫さんの能は、初めて拝見した時から強い力に引き込まれるようなものを感じたのですが、その謡のテキストを味読するとともに、ますます奥深さを感じています。
賢治の「ひかりの素足」と「銀河鉄道の夜」の内的な連関性が、(中所さんは意識しないままに)能の形式のうちに取り込まれているということも驚きなのですが、結局はこの二つの物語を通じて賢治が個人的に乗り越えようとした課題=妹トシの喪失という最大の悲しみを、賢治がいかにして克服しようとしたかという「道」が、能の中で示唆されている有り様に、また不思議な感興を覚えるのです。
二つの物語の根底にトシの死があったことは、能「光の素足」の謡に「永訣の朝」の一節が引用されていることによって暗示されていると解釈することができますが、それではそのトシの死の悲しみを、賢治はどうやって克服しようとしたのか?
これは、賢治の残した作品から読み解くと、「青森挽歌」の中の《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けっしてひとりをいのってはいけない》という言葉が鍵になると思われます。あるいは、「手紙四」にも同じ趣旨の言葉がありますが。
すなわち賢治は、妹の死にとらわれている自分を超克するために、「常に一人のことを祈るのでなく、全ての人のことを祈らなければならない」という課題を、自らに背負わせたわけです。
これがその後、能の中で引用された「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉に結晶していったのでしょうし、単なる「たてまえ」ではなくてこの言葉を身を以て体得できるのは、これも謡で何度も繰り返されていた、「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」という言葉のように、自分と宇宙との一体感を根底に持っているからこそなのだろうと、この能を味わいつつあらためて感じました。
すなわち、能に登場した「光の素足」=賢治の魂は、自らの個人的な喪失体験を、普遍性の方へ超越していくことで乗り越えたということを、一郎に語り聞かせたわけですね。
何か自分の勝手な感想ばかり書いてしまいましたが、今後ともよろしくお願い申し上げます。