「いしはら」か「せきげん」か

 去年の12月23日(祝)の昼前、京都バッハ合唱団の I さんから、突然メールが来ました。

「告別」の歌詞なんですが、「おまへはひとりであの石原の草を刈る」の石原は、いしはらなのかせきげんなのか、もめております。どうなんでしょう?

とのこと。
 京都バッハ合唱団は、12月25日の公演で、バッハの「クリスマス・オラトリオ」とともに、千原英喜作曲「混声合唱とピアノのための組曲 雨ニモマケズ」を歌うことになっていて、これはその本番直前の、緊迫したオーケストラ合わせの練習の最中のことだったのです。

 この「告別」とはもちろん、「春と修羅 第二集」に収められているあの名作です。

三八四
  告別
               一九二五、一〇、二五、

おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管(くわん)とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大低無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

 この最後から9行目に、「おまへはひとりであの石原の草を刈る」という問題の箇所があります。この「石原」を、「いしはら」と歌うのか、「せきげん」と歌うのかということが、合唱団で問題になっていたというわけですね。
 これが議論になったことには、ちょっとした背景がありました。

 千原英喜作曲「混声合唱とピアノのための組曲 雨ニモマケズ」は、「I. 告別(1)」、「II. 告別(2)」、「III. 野の師父」、「IV. 雨ニモマケズ」という4つの曲から構成されているのですが、その出版楽譜(下記)においては・・・

混声合唱とピアノのための組曲 千原英喜 雨ニモマケズ
作曲 千原英喜 作詩 宮沢賢治
全音楽譜出版社 2008-06-13
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「II. 告別(2)」(p.31)の中で、次のように歌詞は記入されています。

千原英喜「告別(2)」より

 すなわち、作曲者は「いしはら」と読ませているんですね。
 となると、もう答えは出ているではないかと思われるでしょうが、ここにもう一つの要素がからんでくるのです。

 この「混声合唱とピアノのための組曲 雨ニモマケズ」は2007年9月に京都において初演され、その演奏会は私も聴きに行ってきたのですが、この初演においては、問題の箇所は「あのせきげんのくさをかる」と歌われ、さらにこの夜の演奏が、『千原英喜作品全集 第5巻』としてCDになり、発売されているのです。

千原英喜作品全集 第5巻 ~宮沢賢治による作品集~ 千原英喜作品全集 第5巻 ~宮沢賢治による作品集~
当間修一 大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団
大阪コレギウム・ムジクム 2009-03-15
Amazonで詳しく見る

 この初演には、作曲者の千原英喜氏も立ち会い、また上記CDのライナー・ノートには千原氏自身が、

ここに収められたどれもが、私がこれまで聴いた彼らの演奏中、最高潮の、歌う喜びと幸せに溢れている。CD化によって皆さんに聴いていただけるのが嬉しい。私の絶好調の作品群、会心の一枚である。

とまで書いて「お墨付き」を与えているのですから、作曲者は「せきげん」という読みの方を「公認」したのだろうかとも、あながち思えなくもありません。

 私自身は、これまで深く考えることもなく「いしはら」と読んでいたのですが、あらためて正式に問い詰められると、「いしはら」だと断定する確固とした根拠を持ち合わせているわけでもありません。
 大事な本番を控えた合唱団の方に、どうお答えすればよいのか・・・。私は迷ったあげく、とりあえず賢治の他の作品における「石原」の用法を調べて、下記のようなお返事を送りました。

 宮沢賢治自身がこの箇所に振り仮名を付けているわけではないので、これは確定的な答えは出ない問題ですが、私は「いしはら」でよいと思います。
 賢治の作品に「石原」という単語が登場する例は結構たくさんあります。
唯一生前に刊行された童話集『注文の多い料理店』の中に「鹿踊りのはじまり」という作品が収められていますが、その一節に、

「いくつもの小流(こなが)れや石原(いしはら)を越(こ)えて、山脈(さんみやく)のかたちも大(おほ)きくはつきりなり、・・・」

という箇所があります。ここでは賢治自身が「石原」に「いしはら」とルビを振っているようです。
 これが、最も有力と思われる「いしはら」の根拠です。

 それ以外には、短歌において

北のそら見えずかなしも小石原ひかりなき雲しづに這ひつゝ
岩手やま焼石原に鐘なりて片脚あげて立てるものあり

という例がありますが、これらもそれぞれ語感から、「こいしはら」「やけいしはら」だろうと推測されます。
 上記以外の他の用例からは、はっきりした推定はできませんが、私としては上に引用した例から、賢治は「石原」という語を、平素から「いしはら」と読んでいたのだろうと考えます。

あと、これを補足するつもりで、続けて下記のようなメールや、

 あと、詩「告別」の朗読においても、私の聴いた範囲内ではすべて「いしはら」と読まれていたと記憶します。

とか、

 一般的に考えても、「雪原(せつげん)」ならともかく、「石原」の読みとして「せきげん」は、ちょっと普通は耳にしないですよね。
 コンサートの聴衆にとっては、「せきげんの草を刈る」と聴いて「石原」と理解してもらうのは困難でしょうから、やっぱり「いしはら」の方が「聴衆にも優しい」と思います。

などというメールをお送りしたりしました。

 私の返答メールは、I さんの携帯から指揮者さんの携帯に転送され、結局、本番では「いしはら」と歌うことになったとのことでした。(私は残念ながらこの12月25日の公演は聴けなかったのですが、聴きに行かれた星野祐美子さんが、ブログで「すごくよかった」と書いておられます。)

 以上、本来なら専門の研究者の方にお尋ねして、責任を持って回答すべきかとも思ったのですが、本番直前の練習中ということで、急いで自分なりのお答えをしたという一連の経緯です。
 しかし、100%正解と断定できる問題でもないので、今でも時々思い出しては、あれでよかったんだろうか、と考えてみたりもしています。

◇          ◇

 それはともかく、この「京都バッハ合唱団」による「組曲 雨ニモマケズ」の公演が、またこんどの日曜日に京都で開かれます。曲目は、この「告別」を含んだ「組曲 雨ニモマケズ」に加えて、J.S.バッハのモテット第5番「来たれ、イエスよ、来たれ」、マタイ受難曲より「神よ、憐れみたまえ」、ヘンデル「詩編曲「主は言われた」、芥川也寸志「弦楽のための三章 トリプティーク」。
 1月23日(日)の午後4時開演で、場所は「日本聖公会 聖マリア教会」です。教会は、平安神宮の北東にあたり、丸太町通に面しています。
 また、同じプログラムで、3月6日(日)に福岡・西南学院大学チャペルでも公演が行われます。

 もちろん、他の曲目も楽しみですが、この「組曲 雨ニモマケズ」の弦楽合奏版は、なかなか実演では聴ける機会が少ないと思いますので、お時間のある方にはぜひお奨めしたいと思います。

京都バッハ合唱団/バッハ・ストリングアンサンブル