以前に「1921年と1931年」という記事において、その1枚目のスライドをご紹介した発表を、昨日してきました。
とくに賢治に関心を持った人の集まりではないので、準備しながら心配でしたが、暖かく真面目に聞いていただけたのでほっとしました。
賢治の作品からの引用スライドもいろいろ出したのですが、下はその発表の最後のスライド4枚です。
これだけでなんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、要は、賢治の特異な体験を「解離」という機制によってとらえようとする柴山雅俊氏の説は、作品における記述にも非常にあてはまると思われ、またこのような特性は、賢治が「心象」という言葉によって自他未分の形で自らの体験を記述しようとしたことにも通底しているのではないかということが、言いたかったのです。
「自他(主客)未分」という観点は、賢治だけでなく当時の海外や日本(西田幾多郎など)の思想にも共通したものがあったのだろうというご指摘などもいただき、私にとって非常に参考になりました。
賢治の世界観が形成される背景には、仏教やウィリアム・ジェイムズにとどまらず、もっと他にも源流があったのではないかということは、私もかねてから感じていたところです。今後も微力ながら考えてみたいと思っています。
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